先日、なにかスポーツで勝ったチームの監督が「選手たちに感謝したいと思います」と言ってるのが耳にはいった。
「したいと思います」はよくある言い方だ。しかし、時々私はヘンに感じる。
生中継で、レポーターが町へ出て「お話を伺いたいと思います」と言って市井の人々にマイクを向ける。
環境問題を扱った番組で、最後に「環境に配慮してムダなゴミを出さないように心がけたいと思います」とコメントする。
こういうのは、「話してもらいたいけど逃げられてうまくいかないかも」、「心がけるべきなんだけど、ほんとに実行できるかはねぇ・・・」という気持ちが隠れてるのかもしれないと解釈して、断定しないことも理解できる。「イン・シャー・アッラー」みたいなもので(アラーが望むなら、というイスラム教徒の決まり文句。これで、できなくてもワシのせいじゃないもんね、という言い訳になるという)。
しかし、感謝することはそう難しいわけでもあるまい。「感謝します!」くらい言い切ったほうがサワヤカだと思う。
実際のところは、上記のような理屈でなく、単に、「思います」でもつけたほうがソフトに謙虚そうになるというだけのことなのだろう。ただ私は、やたらと謙遜のポーズをとることに対して苛立ちを覚えるタチなもので、時折気になってしまうのだった。
「したいと思います」はよくある言い方だ。しかし、時々私はヘンに感じる。
生中継で、レポーターが町へ出て「お話を伺いたいと思います」と言って市井の人々にマイクを向ける。
環境問題を扱った番組で、最後に「環境に配慮してムダなゴミを出さないように心がけたいと思います」とコメントする。
こういうのは、「話してもらいたいけど逃げられてうまくいかないかも」、「心がけるべきなんだけど、ほんとに実行できるかはねぇ・・・」という気持ちが隠れてるのかもしれないと解釈して、断定しないことも理解できる。「イン・シャー・アッラー」みたいなもので(アラーが望むなら、というイスラム教徒の決まり文句。これで、できなくてもワシのせいじゃないもんね、という言い訳になるという)。
しかし、感謝することはそう難しいわけでもあるまい。「感謝します!」くらい言い切ったほうがサワヤカだと思う。
実際のところは、上記のような理屈でなく、単に、「思います」でもつけたほうがソフトに謙虚そうになるというだけのことなのだろう。ただ私は、やたらと謙遜のポーズをとることに対して苛立ちを覚えるタチなもので、時折気になってしまうのだった。
僭越ながら,わたくしもそうです.某スーパーマーケットの店内アナウンスで,
未成年のお客さまへの酒類の販売は遠慮させていただいております
というのを聞いて,なんでこんないいまわしをするんだろうかと,唖然としたのをおぼえています.「当店では未成年者には酒を売りません」とはっきりいいきったほうが,よっぽどその店の信用をたかめることになるんではないかとおもうんですが・・・.