ライン河、古代においてはローマ支配化のガリアと、ゲルマニアとの自然の国境を成していたこの河。だから、「左岸」と「右岸」とは中々に重要な区別であろう。左岸の町にはローマ遺跡がたびたびあり、有名どころがケルンでありマインツであり、小さいけどボッパルトもそれに入る。
スイスに始まり、ボーデン湖にそそぎ、しばらくスイスを流れて、ドイツとの国境になり、北へ折れて独仏国境となり、そしてドイツに入ってやがてオランダから北海へと抜ける大河。
国際的な河であるとともに、やはりドイツの河という印象が強く、かつ、国境を成したり国境の近くであることから、ナショナリズムと結びつきやすい。
ヨーロッパの広い地域を支配したカール大帝のあと、孫たちによって分割され、ラインはほぼドイツに相当する東フランクにはいった。
三十年戦争のあと、ドイツの荒廃は特にひどく、フランスの領土がライン左岸に拡大し、革命後のナポレオン支配下で左岸と一部の右岸はフランスのものとなった。
ウィーン会議のあと、プロイセンがラインラント、ヴェストファーレンを獲得して、ラインは再びフドイツの河になった。
この時期、フランスとドイツの双方でラインをめぐる愛国詩が書かれ、その代表例が、1840年の『ラインの護り』マックス・シュネッケンブルガー。
雄叫びが響く、雷鳴のように、剣の激突、怒涛のように、
「ラインへ、ラインへ、ドイツのラインへ だれがラインを護るのか」
愛する祖国よ、心安らかでいるがよい、ラインの護りは堅く忠実だ
この訳は、加藤雅彦『ライン河』に拠る。
この歌は、今日うたわれることはまずないそうだ。確かに、ラインの観光土産店で民謡集はよくあるが、これが収録されたものは見たことがない。90年にコブレンツに行ったときには、河近くにこういう名前のレストランがあったが。
ここで欠かせないのは、映画『カサブランカ』である。中立国であるモロッコのカサブランカが舞台のこのメロドラマ、キャバレーでドイツ将校たちがこの『ラインの護り』を歌っており、周囲の観客たちは苦々しい顔をしている。そこでフランス国歌『ラ・マルセイエーズ』を演奏させて大合唱、「フランス万歳」で盛り上がる。『君が代』では勢いがなくて無理だろう。
これより先のフランス映画『大いなる幻影』--第一次大戦中の、ドイツ軍の捕虜収容所が舞台ーーに、これとだぶる場面がある。
戦況がドイツ軍有利なときに、収容所側の人々は『ラインの護り』を歌っている。そして捕虜たちによる演芸パーティー、その最中に、フランス軍がどこそこで勝ったという知らせがはいり、捕虜たちが『ラ・マルセイエーズ』を歌い出す。この映画は37年なので、『カサブランカ』は真似したのかもしれない。
『ラ・マルセイエーズ』は元々、フランンス革命の最中に、革命をつぶそうとして周囲の国々から攻めてくる軍隊に対抗する気運の中で作られた歌なので、歌詞は過激である。もとは『ライン軍の歌』といったらしい。たぶん当時ラインはむしろフランスのものだったろう。では、『ラインの護り』にこれをぶつけるという行為は、当時またラインがドイツに取り返されていたフランス側の意趣返しというふうにも見えてくる。
それにしても。『カサブランカ』は1943年の映画である。まだ戦争終わってない。もしもアメリカが負けて、こんなん作った人々はどうなっていたことか。アメリカ人ってつくづく強気だ。
私の見た『カサブランカ』では、二つの歌に字幕がついているものとないものとあった。、『ラインの護り』はさほど有名でないし、フランス国歌に対抗して出てくるし国歌と間違われやすい。字幕つけてくれよ。私とて、卒論がドイツ軍歌で民謡も調べていたからたまたまわかったのだけど。
なお、ロシア語通訳者の米原万里さんのエッセイによると、どこかの国でアメリカ映画をたくさん上映して見せ付けたところ散々で、特に『カサブランカ』が不評だったそうだ。モロッコを植民地にして疑問も持たない連中が自由の闘士ヅラしてるのが片腹痛いということで。では例の場面などもさぞ噴飯ものに違いない。
私はいろいろな意味で興味深いと思っている。ゲルマニストとしてムカっとするのも事実であるが、のせられてしまうのも認める。たぶんナショナリズムは感傷に訴えやすいのだ、「博愛」や「世界市民」を説くよりも。
スイスに始まり、ボーデン湖にそそぎ、しばらくスイスを流れて、ドイツとの国境になり、北へ折れて独仏国境となり、そしてドイツに入ってやがてオランダから北海へと抜ける大河。
国際的な河であるとともに、やはりドイツの河という印象が強く、かつ、国境を成したり国境の近くであることから、ナショナリズムと結びつきやすい。
ヨーロッパの広い地域を支配したカール大帝のあと、孫たちによって分割され、ラインはほぼドイツに相当する東フランクにはいった。
三十年戦争のあと、ドイツの荒廃は特にひどく、フランスの領土がライン左岸に拡大し、革命後のナポレオン支配下で左岸と一部の右岸はフランスのものとなった。
ウィーン会議のあと、プロイセンがラインラント、ヴェストファーレンを獲得して、ラインは再びフドイツの河になった。
この時期、フランスとドイツの双方でラインをめぐる愛国詩が書かれ、その代表例が、1840年の『ラインの護り』マックス・シュネッケンブルガー。
雄叫びが響く、雷鳴のように、剣の激突、怒涛のように、
「ラインへ、ラインへ、ドイツのラインへ だれがラインを護るのか」
愛する祖国よ、心安らかでいるがよい、ラインの護りは堅く忠実だ
この訳は、加藤雅彦『ライン河』に拠る。
この歌は、今日うたわれることはまずないそうだ。確かに、ラインの観光土産店で民謡集はよくあるが、これが収録されたものは見たことがない。90年にコブレンツに行ったときには、河近くにこういう名前のレストランがあったが。
ここで欠かせないのは、映画『カサブランカ』である。中立国であるモロッコのカサブランカが舞台のこのメロドラマ、キャバレーでドイツ将校たちがこの『ラインの護り』を歌っており、周囲の観客たちは苦々しい顔をしている。そこでフランス国歌『ラ・マルセイエーズ』を演奏させて大合唱、「フランス万歳」で盛り上がる。『君が代』では勢いがなくて無理だろう。
これより先のフランス映画『大いなる幻影』--第一次大戦中の、ドイツ軍の捕虜収容所が舞台ーーに、これとだぶる場面がある。
戦況がドイツ軍有利なときに、収容所側の人々は『ラインの護り』を歌っている。そして捕虜たちによる演芸パーティー、その最中に、フランス軍がどこそこで勝ったという知らせがはいり、捕虜たちが『ラ・マルセイエーズ』を歌い出す。この映画は37年なので、『カサブランカ』は真似したのかもしれない。
『ラ・マルセイエーズ』は元々、フランンス革命の最中に、革命をつぶそうとして周囲の国々から攻めてくる軍隊に対抗する気運の中で作られた歌なので、歌詞は過激である。もとは『ライン軍の歌』といったらしい。たぶん当時ラインはむしろフランスのものだったろう。では、『ラインの護り』にこれをぶつけるという行為は、当時またラインがドイツに取り返されていたフランス側の意趣返しというふうにも見えてくる。
それにしても。『カサブランカ』は1943年の映画である。まだ戦争終わってない。もしもアメリカが負けて、こんなん作った人々はどうなっていたことか。アメリカ人ってつくづく強気だ。
私の見た『カサブランカ』では、二つの歌に字幕がついているものとないものとあった。、『ラインの護り』はさほど有名でないし、フランス国歌に対抗して出てくるし国歌と間違われやすい。字幕つけてくれよ。私とて、卒論がドイツ軍歌で民謡も調べていたからたまたまわかったのだけど。
なお、ロシア語通訳者の米原万里さんのエッセイによると、どこかの国でアメリカ映画をたくさん上映して見せ付けたところ散々で、特に『カサブランカ』が不評だったそうだ。モロッコを植民地にして疑問も持たない連中が自由の闘士ヅラしてるのが片腹痛いということで。では例の場面などもさぞ噴飯ものに違いない。
私はいろいろな意味で興味深いと思っている。ゲルマニストとしてムカっとするのも事実であるが、のせられてしまうのも認める。たぶんナショナリズムは感傷に訴えやすいのだ、「博愛」や「世界市民」を説くよりも。
>アメリカ人ってつくづく強気だ
日本なんかでも映画ってそーゆー手段に使われたりしてますが
アメリカは今でもよくやりますよね。
>自由の闘士ヅラしてるのが片腹痛いということで
第一次も第二次も英米仏が勝ったものですから
彼らが正義で負けた方は悪みたいなイメージがありますが
むしろ英米仏の方が酷いことしているのですから
彼らの叫ぶ「自由」という言葉には、何の感銘も受けないですね。
そーいった目で見ると「カサブランカ」はダメ映画ですね。
戦争・自由が云々という点を抜きに見ると、とても
おもしろいんですが。
ちなみに、イングリッド・バーグマンはとても美人だと思いますが
彼女の演ずるイルザという女は、好きくなれません(笑)
そもそも、自由を求める戦いの歴史はドイツにだってちゃんとあったのですが。
『カサブランカ』について、渡辺淳一ーーいつも読んでると思わないで下さいねーーの映画エッセイ『恋愛学校』での解釈は、あれは男女のメロドラマなどではなくひたすら男のカッコつけ、ヤクザ的やせ我慢の物語だ、ということでした。
悲しいことに、人間の現実ですねぇ。
自分より下位の者がいるということで
人って落ち着くものですからね。
しかし
「ひたすら男のカッコつけ、ヤクザ的やせ我慢の物語だ」
というのは、すごい評ですね。仮にやせ我慢としても
今のヤクザはあんなことできないと思うんですが。
とゆーか、男がやせ我慢できなかったら
それって、人としてかなりやばいんでありません?
やせ我慢を「かっこつけ」と決めつけるあたり
ちょっとアレですねぇ。
好きな言葉は痩せ我慢、って山本五十六でしたっけ。美意識として不可欠のものだと思います、たぶんオシャレする女心にも通じるでしょう(痛い靴を我慢するなんて私には不可解ですが)。
ついでに:わりに最近出たちくま新書『おんなの浮気』堀江珠喜 にも、『カサブランカ』が言及されてます。イルザこそ浮気女のはずなのに清純そうな顔に観客は忘れてしまう、それに二人とも大人の冷静な男だったから修羅場にもならなかった。同じ女でも「悪女」になったり清純派になったりするのは環境が大きいだろう、という文脈です。
これもナショナリズムバリバリの大カタルシスものって感じの音楽ですね。
ロシアらしい素朴な旋律と迫力あるオーケストラに空砲まで鳴らすというすごくドラマチックな曲で、盛り上がりが単純に好きです。
初演は1882年ですが、フランス以外のヨーロッパ諸国では好意的な評価を受けたそうです(ていうかフランスでは演奏もされなかったかも…)。
ただチャイコフスキー自身は祝典序曲が嫌いで、ノリノリで書いたというわけではなかったみたいです…。
カサブランカは大学の英語の授業でダイジェストで見ました。聞き取りの授業だったので必死で、内容をあまり楽しめなかったのが残念でした。
]ていうかフランスでは演奏もされなかったかも…)。
不謹慎ながら、こういうヨソの国同士のトラブルはむしろヤジウマとして好奇心を感じてしまいます。
なかなか興味深いですね。
WWⅡまでのはかなり長閑な感じのものもありますし、大戦中は特定人物の讃歌のようなものも多かったりして、いろいろ調べると面白そうです。
私の卒論は「ドイツ憲法」絡みで「抵抗権論」でした。
ドイツのは、兵士(ゾルダーテン)が歌っていればゾルダーテンリーダーにしていたようなので、戦争の色皆無なものも歌集にかなり混じってました。
このへんはまたいつか話題にしてみます。
この話題、楽しみにしております。