弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

「強すぎる官邸」黙る霞ヶ関

2021-01-13 18:23:07 | 歴史・社会
このブログでは、「強すぎる官邸支配による霞ヶ関の弱体化」について、何回も記事にしてきました。

内閣人事局はどうなる? 2018-03-25
2018年頃から、「内閣人事局」の評判が悪くなっていました。高級官僚が安倍総理と総理夫人に「忖度」しているのは、内閣人事局に人事を握られているからだと。

内閣人事局ができる前、日本の政治は、「官僚内閣制」と呼ばれていました。国権の最高機関たる国会が方向を定めるのではなく、実質、官僚によって牛耳られていると。そしてその官僚、政治の方向を「国益」で判断するのではなく、自分たちの「省益」を最優先していると。
官僚たちの行動をゆがめている原因の一つは人事権です。

高級官僚の人事権は、大臣が握っているといっても実質的には次官が握っていました。高橋洋一「霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」」(4)でも紹介したように、竹中さんが総務大臣になったときも、事務次官がもってくる人事リストを何度つきかえしても、同じ幹部候補のメンバーを担当だけ入れ替えてもってくるから、なかなか手こずったそうです(民主党政権の公務員制度改革2009-10-06)。
内閣人事局は本来、それまでは官僚に牛耳られていた政治の主導権を、本来の議院内閣制に戻すための政策の筈でした。
それなのになぜ、今回のように、目の敵にされる事態となったのでしょうか。原因が2つ考えられます。

第1
お役人はそもそも、自らの人事権を持っている人事権者には頭が上がらない、上ばかりを見るいわゆる「ヒラメ役人」が大勢を占めているかもしれません。内閣人事局ができるままでは、省内のトップが人事権を握っていたため、省内のトップの意向を常に忖度して政策が立案されていました。
内閣人事局ができた結果、人事権者が省内トップから官邸に移行しました。ヒラメ役人たちは従来通り、人事権者に忖度する態度をとり続けた結果、今度は官邸に忖度することになってしまった、ということではないかと。

第2
第2代の内閣人事局長は萩生田光一氏です。安倍総理のお友達で、保守志向の強い政治家であることが記憶されます。
安倍総理は、内閣人事局で官僚の人事権を行使するにあたり、もっと穏やかに事を進めるべきだったでしょう。「官僚とは人事権者に忖度する人種である」ということに気づいていれば、今日のような状況に至ることなく内閣を運営できていたかもしれません。

2020年のコロナ危機が発生する中、霞ヶ関の劣化がより顕著に影響を表すようになりました。
このブログでは、『内閣人事局の功罪 2020-05-31』で問題を再度取り上げ、『安倍長期政権で霞ヶ関がガタガタ 2020-09-12』『菅次期政権による霞ヶ関支配 2020-09-14』においては、具体的に、総務省に関しては片山善博氏、厚労省に関しては舛添要一氏の見解を紹介してきました。また、『霞が関官僚の惨状 2020-12-29』では農水省の実態について記事を紹介しました。

1月12日、いよいよこの問題が朝日新聞朝刊の一面で取り上げられました。
コロナ迷走、強すぎた官邸 「私から言えない」官僚たち
朝日新聞デジタル 2021年1月12日
『「官邸主導」「強い官邸」をめざした平成の政治改革の終着駅とも言えるのが、第2次安倍政権だった。内閣人事局の誕生で、首相や官邸は官僚たちの人事権を掌握。リーダーシップを強め、かつての縦割りの弊害を打破していった。
一方、首相の安倍晋三が率いる自民党が国政選挙で勝ち続ける中、官邸はさらに力を強めていった。「強すぎる官邸」を前に、官僚たちは直言や意見することを控えるようになった。
官邸を恐れて遠ざかる官僚。そして知恵を出さない官僚たちを信頼できず、トップダウンで指示を出す官邸官僚。布マスクの全戸配布などの迷走したコロナ対策は、官邸主導の負の側面が凝縮したかのようだった。
元事務次官の一人はこう残念がる。「新型コロナの対策は未知のことばかり。こんな時こそ、霞が関の知恵を結集させるべきだが、それができていない」
7年8カ月に及ぶ最長政権は昨年9月に幕を下ろした。しかし、安倍政権の間、人事権を手に霞が関ににらみをきかせてきた官房長官の菅義偉が「安倍政権の継承」を掲げて首相のイスに座った。
コロナ対策の迷走は続く。「官邸に行きたいが、菅さんの機嫌が悪いようだ」。官僚たちの間ではそんな会話がかわされる。官邸は官僚たちの仕事ぶりに不満を抱き、官僚たちは官邸を恐れ、萎縮するという相互不信の構図はいまも変わっていない。(敬称略)
  ・・・
平成の改革で誕生した第2次安倍政権の「強すぎる官邸」には二人の主がいた。首相の安倍と、官房長官の菅義偉。・・・
外交と内政での役割分担に加え、二人の違いは官僚の人事にあるという見方もある。
ある元事務次官は言う。
「安倍首相は自分の気に入った官僚を引き立てるが、人事で官僚全体を統治する思想は薄かった。管さんは能力があっても異を唱える官僚は飛ばす。人事による恐怖を官僚統治に使っている。」
事務次官時代、恐怖の統治による負の遺産を目の当たりにする。安倍政権が長くなるにつれ、部下から新しい政策が出なくなったという。官邸が政策そのものにだめ出しすることは以前の政権からよくあった。が、安倍官邸では、政策そのものの評価にとどまらず、政策を提案した官僚個人についても「あれは駄目だ」と評価される、と官僚たちはささやきあった。
政策を提案して失敗すれば決定的なマイナス評価になるのならば、無理に新提案をしなくてよい・・。現場にはそんな空気が広がっていた。元次官は「減点主義で官僚たちが萎縮した」と語る。保身を図る官僚たちの心境を、あるOBはこう代弁した。「『キジも鳴かずば撃たれまい』ということだ」』

安倍政権時代の管官房長官、そして菅政権での菅総理が、内閣人事局を中心とした人事権の濫用により、霞ヶ関を弱体化してきたことが明らかです。
そこにコロナ禍が襲いかかりました。霞ヶ関が知恵を結集して対策を講じるべきところ、なすすべもありません。コロナ対策において、日本は東アジアの負け組に位置づけられてしまっています。

日経新聞「私の履歴書」で、2020年12月は元通産次官の福川伸次さんでした。
第12回(12月12日)の記事です。68年11月末に第2次佐藤再改造内閣が発足し、大平正芳氏が通産大臣に就任しました。福川さんは大臣秘書官に指名されました。
『大平大臣は人事に関してはすべて熊谷典文次官、大慈弥嘉久次官に任せ、一切介入しなかった。「役人はやる気にさせれば何でもやるからな」と信頼しておられた。』

私は、内閣人事局が発足する前、「霞ヶ関は人事権を独占しているがため、『省益あって国益なし』のひどい状態になっている。」と考えていました。内閣人事局はこの弊害をなくすために作られたものです。
しかし、安倍政権、菅政権時代の霞ヶ関の体たらくを見せつけられると、むしろ昔日の霞ヶ関が懐かしいくらいです。
コメント
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