弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

炉心溶融の判定基準発見

2016-02-25 20:35:46 | サイエンス・パソコン
久方ぶりに福島原発事故関連です。

炉心溶融の判定基準発見 東電、3日後に公表可能だった
朝日新聞デジタル 2月24日(水)21時21分配信
『東京電力は24日、福島第一原発事故当時の社内マニュアルに、核燃料が溶け落ちる炉心溶融(メルトダウン)を判定する基準が明記されていたが、その存在に5年間気付かなかったと発表し、謝罪した。東電は事故から2カ月後の2011年5月まで炉心溶融を公表しなかったが、基準に従えば3日後の3月14日には1、3号機について判定できていたという。』

考えれば考えるほどアホらしい話です。
福島原発事故が発生した直後、日本中の原子力の叡知が注目していたはずです。そのような状況下、『社内マニュアルに気づいていれば「炉心溶融」と発表できた。気づかなかったので発表が遅れた。』との言い訳には唖然とします。叡知が結集しても出せなかった結論が、誰が書いたか解らないような一編のマニュアルの記述のみで出せるなんて。

当時、官邸・保安院・東電による言論統制は酷いものでした。「間接証拠に基づいて推論するとこのようになっている蓋然性が高い」といった議論は御法度です。「直接証拠が現れない限り、その事象は発生していない」という態度で終始していました。東電社員の誰かが今回見つかったマニュアルをその当時に引っ張り出したとしても、「そのマニュアルは根拠が不明確である」として一蹴されたでしょう。

事故発生直後の私のブログ記事を読み返してみました。

2011年3月12日福ちゃん!がんばれ!!
『昨日(地震発生日)の夜から、東京電力福島第1原子力発電所でトラブルが発生しているらしい情報が入ってきました。それも、付帯設備の火災などではなく、炉心に関連しているらしく、嫌な予感はしていました。
それが本日の午後3時、「爆発音が聞こえた。原発の1号機建家が鉄骨を残して外壁がなくなっている。」という報道です。またそれ以前から、冷却不足で燃料棒の溶融があったらしく、それが「炉心溶融」という不吉な言葉で報道されていました。
これは大変なことになった。スリーマイル、チェルノブイリ、チャイナシンドロームなどの映像が浮かびます。
何とか、最悪の事態を避けて解決して欲しい。
現地では、多くの専門家たちが叡智を傾け、不眠不休の努力をしているはずです。私にできることといったら声援を送るぐらいです。』

2011年3月23日原子力安全保安院はどうなっているのか
こちらの記事によると、地震発生翌日の12日、経済産業省原子力安全・保安院の中村幸一郎・審議官が、「(1号機の)炉心の中の燃料が溶けているとみてよい」と記者会見で明らかにしたところが、菅首相が中村幸一郎審議官の“更迭”を命じたというのです。
「菅首相と枝野官房長官は、中村審議官が国民に不安を与えたと問題視し、もう会見させるなといってきた」(経産省幹部)
たしかに、福島第1原発「炉心溶融が進んでいる可能性」 保安院
『2011/3/12 15:30
 経済産業省の原子力安全・保安院は12日午後2時、東京電力の福島第一原発1号機で原子炉の心臓部が損なわれる「炉心溶融が進んでいる可能性がある」と発表した。発電所の周辺地域から、燃料の核分裂に伴うセシウムやヨウ素が検出されたという。燃料が溶けて漏れ出たと考えられる。炉心溶融が事実だとすれば、最悪の原子力事故が起きたことになる。炉心溶融の現象が日本で確認されたのは初めて。』
という記事がありました。写真には『記者会見する経済産業省原子力安全・保安院の中村幸一郎審議官(12日午後)』となっています。
しかし12日のこの発言、今になってみれば全然違和感がなく、だれもが「うん、その通り」と認める内容です。
どうもこのときから、官邸の圧力により、原子力安全保安院は真実をフランクに語ることをやめてしまったようです。
この点については、NB-OnLineの記事原子力保安院密着ルポ 「伝言ゲームの参加者が多すぎる」からも読み取れます。
『3月12日、17時から始まった会見で、官邸との協議を終えた中村幸一郎審議官の口ぶりは重かった。
「詳しいことについて、東京電力に確認できていないので何も申し上げられない」「(炉心溶融が起きているか)予断をもったことを申し上げるのは適当ではない」
結局、再度会見を設けることで記者側と合意。ある記者は「これまでは今後の可能性も含めて詳しく説明してくれていたのに、まるで別人のようだ。何か官邸に言われたのか」といぶかしんでいた。』
3月12日、14時の記者会見では「炉心溶融が進んでいる可能性」と率直に述べたのに対し、17時までの間に官邸から強い圧力がかかったのでしょうね。
そして中村審議官は更迭され、西山審議官が後を継ぎ、現在に至っているというわけです。』

原発事故発生の翌日である3月12日、保安院の中村幸一郎審議官はしっかりと炉心溶融の発生を確信し、その点を記者会見で述べていたのです。しかし、当時の管政権はこのような見解を押し潰してしまいました。

本日の新聞記事もどうかしています。5年前のことを忘れてしまったのでしょうか。よくも新聞1面でしゃあしゃあと、「マニュアルの存在に気づかなかったことが問題だ」などと述べられるものです。

《原発事故関連ブログ記事の目録》
xls-hashimotoさんが、東電福島原発事故調査 私説集の中で、私説0007 ブログ「弁理士の日々」の東電福島原発事故まとめとして私のブログにおける福島原発事故記事の目録を作成してくださっています。
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