弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

「戦争をしない国」であるためには

2015-08-09 18:17:10 | 歴史・社会
安保関連法案の議論、集団的自衛権の議論において、「日本が戦争をする国になっていいのか」という主張があります。
ここでは逆に、「日本が戦争をしない国であり続けるにはどうしたらいいのか」を考えてみたいと思います。

現状認識を、以下のⅠとⅡに分け、それぞれについて戦争をしないための対応を列挙します。

《現状認識Ⅰ》
日本の周辺国はみな平和愛好国家であり、一番危険なのは日本である。日本さえ軍備を持たなければ、東アジアは平和が保たれる。

《現状認識Ⅱ》
日本の周辺には、隙さえあれば軍事力を背景に自国の勢力圏を拡大しようとする覇権主義大国が現存する。

《上記現状認識Ⅰ、Ⅱそれぞれについて、戦争をしないための対応》
(Ⅰ-1)日本が憲法9条を守り、軍事力を個別的自衛権への対応に限定していれば、日本は戦争をしないことになる。

(Ⅱ-1)日本が主体となり、同盟国と連携しつつ抑止力を確保することにより、周辺の覇権主義大国が武力進出する動機を封じ込める。

(Ⅱ-2)日本は主体とならず、強大な同盟国の抑止力に頼り、周辺の覇権主義大国が武力進出する動機を封じ込める。

(Ⅱ-3)同盟国が頼りにならなくても、日本は個別的自衛権しか保有しない。もし抑止力が不十分で周辺の覇権主義大国が武力進出してきたら、日本が「戦争をしない国」であり続けるため、他国の日本への武力進出をそのまま許容する。日本が覇権主義大国の属国になってもかまわない。

さて・・・
現在、自民党連立政権が実現しようとしている安保関連法案は、上記(Ⅱ-1)の方針の下、「戦争をしない国」であり続けようとしているものと私は理解しています。
それに対して、『今回の安保関連法案では、日本が「戦争をする国」になってしまう。安保関連法案を通さない方が、日本が「戦争をする国」にならなくて済む。』と主張するのは、どのような認識によるのでしょうか。

日本の同盟国であるアメリカのオバマ大統領が「世界の警察官であることをやめた!」と宣言し、実際に軍事費は大幅に削減されつつあります。従って、上記(Ⅱ-2)の方針では「戦争をしない」保証が怪しくなってきています。
(Ⅱ-1)でもなく、(Ⅱ-2)でもない。
ということは、(Ⅰ-1)又は(Ⅱ-3)ということになります。
上記(Ⅰ-1)は、終戦直後の世界の認識であって、21世紀の現在を《現状認識Ⅰ》のように認識している人はほとんどいないでしょう。
そうすると、残るのは(Ⅱ-3)のみです。

私が察するところ、現在の日本人の相当多くの人たちが、「他国が日本に武力進出してきたとして、それに対して自分が命を的にして日本を守るより、相手に屈して属国になった方がまし」と考えているのではないでしょうか。そのような雰囲気を感じます。

実は日本は、他国に武力で屈して属国になった経験が1回しかありません。1回とは、先の大戦後の連合国による占領です。
しかしそのとき、日本は決して「他国の属国になることによる塗炭の苦しみ」を味わっていないのです。このブログの記事から、昭和20年8月以降の占領時代について拾ってみます。
山田風太郎日記(2)」昭和19年から昭和20年にかけての山田風太郎の日記です。
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昭和20年8月30日
「敵進駐軍はお世辞もいわなければ恫喝もしない。ただ冷然として無表情な事務的態度であるという。両者のいずれかを期待していた国民は、この態度にあっけにとられ、やがて恐怖をおぼえるであろう。最も驚くべきはこの敵の態度である。」
昭和20年10月16日
山田青年は学校疎開先の信州にいます。
「東京から帰った斎藤のおやじは、『エレエもんだよ、向こうの奴らは。やっぱり大国民だね。コセコセ狡い日本人たあだいぶちがうね。鷹揚でのんきで、戦勝国なんて気配は一つも見えねえ。話しているのを見ると、どっちが勝ったのか負けたのかわかりゃしねえ』とほめちぎっている。」

日本人は、他国による占領で苦しみを味わいませんでした。むしろ、終戦前の方がよっぽど苦しかったでしょう。そのため、「覇権国家である他国に軍事的に屈するぐらいなら、自分の命を的にしてでも国を守る」という動機付けができないのだと思います。
世界の各国の中でも際だって異質な国民性であるということができるでしょう。
コメント (3)
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