弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

小選挙区制誕生の経緯

2011-10-25 21:26:27 | 歴史・社会
10月8日付け朝日新聞朝刊の「オピニオン」には、細川護煕氏と河野洋平氏が登場し、「94年政治改革の悔い」という記事になっています。
93年8月に細川政権が発足して自民党は下野しました。その後の自民党総裁が河野洋平氏です。
記事によると、政府と自民党はそれぞれ(小選挙区比例代表)並立制や政党助成制度導入などの政治改革法案を提出。両者の妥協案が生まれません。
そして94年1月、細川首相と河野自民党総裁とが政治改革法案の合意書に署名し、衆議院議員選挙がそれまでの中選挙区制から今の小選挙区比例代表並立制に代わったのです。

河野「あの時は世論の政治不信が放置できないほど高まっていました。腐敗防止法をくつる話などもあったけれど、第8次選挙制度審議会の答申などもあり、「まず選挙制度の改革を」となった。自民党内には逡巡がありましたが、流れはどんどんそちらに行き、小選挙区制に踏み切りました。でも今日の状況を見ると、それが正しかったか、忸怩(じくじ)たるものがある。政治劣化の一因もそこにあるのではないか。政党の堕落、政治家の資質の劣化が制度によって起きたのでは、と。」
河野「小選挙区制では一つの党の候補者が1人に絞られているから有権者には選択肢があまりなく、政党を選ぶことはできても個人は選べない。しかも候補者は党が決めるから執行部にこびる。苦労のない何とかチルドレンみたいな人がたくさん当選する。」

私も94年当時、心の中で「選挙制度一つ変えられないのでは何も改革が進まないではないか」と思っており、中選挙区から小選挙区比例代表並立制への変更に賛成していました。今から思えば不明の至りで、忸怩たるものがあります。

石原慎太郎著「国家なる幻影〈下〉―わが政治なる反回想 (文春文庫)(単行本1999年1月)」には、当時のいきさつが詳細に語られています。

『これ(選挙制度改革)を主唱することをこそ自分達の脱党と新党造りの正当性のよすがとする小沢(一郎)氏たちは、選挙制度の変革こそが政治改革の唯一絶対必要条件であり、これに反対する者は歴史的必然性をもった変革を理解できぬ、時代錯誤の頑強極まりない「守旧派」でしかないと唱えて回っていた。』
当時「守旧」という言葉は石原氏にとってもほとんど初めて耳にするものでした。そうですか。今でこそ「守旧派」とは変革反対派を非難する決まり言葉になっていますが、このときに初めて登場したのですね。
『これは結果として大成功だったと思う。
社会的な受けとり方、というよりあくまでもただの印象として、「保守」の全くの同義語でしかない「守旧」という言葉は、あの政治状況の中で、「保守」をはるかに超えて何とも保守的な、つまり保守よりも退嬰的な、要するに頑強極まりない姿勢という印象を実に効果的に国民大衆に抱かせてしまったと思う。
その言語による洗脳にもっとも敏感、というより、浅はかにも強く反応したのはジャーナリズムであって、単純というよりもむしろ大方白痴的な日本のメディアは、実に短絡的に「守旧」すなわち悪、それならざるものすなわち善、という規定でこの問題についての報道を行って顧みなかった。』

それでも自民党の中でも事への賛否は真っ二つに分かれて議論が続き、結果として眺めてみれば、最後に成立した新しい法律は手間暇かけただけより悪いものになっていきました。
参議院議員選挙はその昔、地方区と全国区に別れていました。田中角栄内閣の時代、その全国区が比例区に変わりました。石原氏は田中首相がどのようなくだらない理由(汚職事件の隠蔽)で選挙制度を犠牲にしたのかをここで語るとともに、参議院での比例代表制採用がどのような弊害をもたらしたかを語ります。そして・・・
『衆議院自民党の対処はいたずらな世論に引きずられ、加えて今は脱党していった小沢氏の恫喝に屈してさらなる改悪でしかない(衆議院土井たか子)議長の裁定案を鵜呑みにしてしまい、これなら受けとるまいという案をわざわざ指し示したのに、自民党はなんであんなものを飲んでしまったのかしらと議長本人を慨嘆させるような結末とあいなった。』
そして、冒頭の細川首相と河野自民党総裁による政治改革法案の合意書署名があり、衆議院での採決となりました。
『たぶん当人もきわめて不本意だったろう土井議長が法律案の概要を読み上げ、賛成者の起立を促し、私の周囲の全員が起立していたが、私一人は座ったままでいた。・・・私が眺めた限り、はるか彼方にいる共産党の全員と私以外の全員が起立していた。』
二度目の採決時、日頃親しい山中貞則氏が心配して「石原君、立てよ、おい慎太郎、立てよ」と声をかけてきたので石原氏は「山中さん、あなたこんなのもに本気で賛成しているんですか」と敢えて言葉を返したら、山中氏が思わず笑い出して「ほんとはお前のいう通りなんだよな」いったら周りが爆笑してしまい、そのせいか、党内の造反分子への懲罰云々はその後話題になりませんでした。
後で聞いたところでは、同じ自民党の中でもう一人だけ、反対を唱えて座ったきりだったそうです。
『最近またある折に橋本首相が、小選挙区制のせいで選び出されてくる政治家はオールマイティを要求され、スペシャリストが育ちにくくなったと所見を述べていたが、オールマイティといえば聞こえはいいが、総花的という域を出ず、特技専門を持たぬ政治家などしょせん官僚の走り使いを出るものではありはしまいに。』

94年当時、党議に反してまで小選挙区制反対を貫いたその一事をもって、私は石原慎太郎氏を尊敬しています。そして願うのは晩節を汚さぬことです。
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