現代では「志を持つ」とか「志を立てる」という言葉は死語になった感があります。思えば明治の初年、開校間もない札幌農学校の生徒達に、「少年よ大志を懐け」と、声高らかに語ったクラーク博士は偉大な師でありました。<o:p></o:p>
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クラーク博士が語った言葉の全文を以下に記します。<o:p></o:p>
Boys be ambitious. not for money or for selfish aggrandizement, not for<o:p></o:p>
that evanescent thing which men call fame. Be ambitious for the attainment<o:p></o:p>
of all that a man ought to be.<o:p></o:p>
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青年よ大望を持て。金銭や利己的誇負(こふ)の為ならず。世の人々の名誉と称するその実 虚しきことの為ならず。人として当(まさ)にかくあるべきあらゆることを達成せんとする大望をもつべし<o:p></o:p>
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続いて、この話には決まって札幌農学校二期生の内村鑑三と新渡戸稲造の名が挙がります。実はこの二人はクラーク博士から直接に薫陶を受けたという事実が無いにもかかわらず、何故か直接に教育を受けたという誤った説が多く見受けられます。この二人の二期生が農学校に入学した時には、クラーク博士は八ケ月半の札幌での仕事を終えて、既にアメリカに帰国していたのです。内村等は、クラーク博士のことを、直接教育を受けた一期生の佐藤昌介や大島正健を通して知ったのでした。これを思うと、クラーク博士から受けた教えと感動を二期生以降の生徒に伝えた佐藤昌介等の功績は大きいといわねばなりません。後に大島正健は母校を去り、佐藤昌介は残って後進の指導に当たり、北海道帝国大学の総長にまで昇った他、新渡戸稲造と共に東京女子大学の創立にも関わりました。<o:p></o:p>
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さて、孔子は「吾十有五にして學に志し、三十にして立つ」と、言っています。また、広く親しまれている名歌「ふるさと」の歌詞の中にも「志」についての一節があります。<o:p></o:p>
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1.兎追ひし かの山 小鮒釣りし かの川<o:p></o:p>
夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷<o:p></o:p>
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2.いかに在ます父母 恙なしや友がき<o:p></o:p>
雨に風につけても 思ひ出づる故郷<o:p></o:p>
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3.志を果たして 何時の日にか帰らん<o:p></o:p>
山は青き故郷 水は清き故郷<o:p></o:p>
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この歌詞を読むと、旧い時代の若者にとっては、志を果たしてふるさとに帰ることが自然な願いであったことを教えてくれます。<o:p></o:p>
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大山綱夫『佐藤昌介と大島正健』 学士会<o:p></o:p>
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