明治時代の詩人、原雨城の七言絶句「熊本城」を紹介します。熊本城は言うまでも無く、加藤清正公が築いた名城です。(写真 下)
熊本城
蘇嶽東望西火海
白川南下水潺湲
藤公偉業城偕熾
秋雨春風弔勇魂
蘇嶽ヲ東ニ望ミ 西ハ火ノ海
白川南ニ下ッテ 水潺湲(せんかん)
藤公ノ偉業 城ト偕(とも)ニ熾(さか)ンニ
秋雨春風 勇魂ヲ弔ウ
「訳」
雄大な阿蘇の五岳を東の空に望み、西は洋々として不知火の海が広がる。
白川の水は悠然と熊本平野を南にさらさらと音をのこして流れる。熊本城(銀杏城)が厳としてその威容を長久に示すように、加藤清正の赫々たる武勲、治水工事 による安民救済の功績は後世に燦然として輝くことである。そして、菩提寺本妙寺の苔深い石磴に降る蕭々たる秋の雨や、春の楠の若葉に嫋々と吹き来る東風も、清正のたけき魂をなぐさめることである。
「語釈」
景行天皇が西巡の際、海上に点滅する火をご覧になり、供の者に聞かれたが、誰もその火を解明することができなかったといいます。蘇岳は、熊本県と大分県にまたがる二重式活火山で、カルデラ内に高岳、中岳、根子岳鳥、帽子岳、杵島岳の五岳があります。
詩の作者、原雨城は書と南画も得意としました。阿蘇山には生涯、幾度も登りました。
熊本城
蘇嶽東望西火海
白川南下水潺湲
藤公偉業城偕熾
秋雨春風弔勇魂
蘇嶽ヲ東ニ望ミ 西ハ火ノ海
白川南ニ下ッテ 水潺湲(せんかん)
藤公ノ偉業 城ト偕(とも)ニ熾(さか)ンニ
秋雨春風 勇魂ヲ弔ウ
「訳」
雄大な阿蘇の五岳を東の空に望み、西は洋々として不知火の海が広がる。
白川の水は悠然と熊本平野を南にさらさらと音をのこして流れる。熊本城(銀杏城)が厳としてその威容を長久に示すように、加藤清正の赫々たる武勲、治水工事 による安民救済の功績は後世に燦然として輝くことである。そして、菩提寺本妙寺の苔深い石磴に降る蕭々たる秋の雨や、春の楠の若葉に嫋々と吹き来る東風も、清正のたけき魂をなぐさめることである。
「語釈」
景行天皇が西巡の際、海上に点滅する火をご覧になり、供の者に聞かれたが、誰もその火を解明することができなかったといいます。蘇岳は、熊本県と大分県にまたがる二重式活火山で、カルデラ内に高岳、中岳、根子岳鳥、帽子岳、杵島岳の五岳があります。
詩の作者、原雨城は書と南画も得意としました。阿蘇山には生涯、幾度も登りました。
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