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船中八策

2010-08-10 06:25:44 | 歴史
司馬遼太郎が長編小説「竜馬がゆく」のあとがきに次のように書いています。「坂本竜馬は維新史の奇蹟、と言われる。同時代に活躍したいわゆる英雄、豪傑、志士と比べて型やぶりでした。幕末維新に生きた幾千人の志士たちの中で、一人も類例を見ない。日本史が坂本竜馬を持ったことは、それ自体が奇蹟であった。なぜなら、天がこの奇蹟的人物を恵まなかったならば、歴史はあるいは変わっていたのではないか。」
「薩長連合、大政奉還、あれぁ、全部竜馬一人がやったことさ」と勝海舟も言ったということです。
 不肖、私も竜馬の人間的な魅力に大いに共感します。それは、将来に対する明確で具体的なビジョンと思想を持っていたこと。周囲の人々を惹き付ける豊かな包容力と愛嬌があったこと。すさまじい行動力と、当時の人には乏しかった経済感覚と直感力があったことなどによります。

竜馬は大した学問もなく、多くの他の志士が持っていた藩士という身分や、藩の後援のない一介の浪人でした。しかし竜馬には北辰一刀流の免許皆伝、江戸の千葉道場の塾頭を勤めたという、当時普遍的とも言える輝かしい経歴があり、それが背骨となっていました。そして北辰一刀流に関わる豊富な人脈と共に、彼の活動上の強い支えになっていたと思われます。

周知のことでしょうが「船中八策」は、慶応3年(1867年)に坂本竜馬が長崎から大阪に向かう船の中で、土佐藩の参政の後藤象二郎に示したと言われる八ヶ条の策のことです。これは近代日本の骨格を決めることになった重要な策となりました。

第一 天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令よろしく朝廷より出づべき事
第二 上下議政局を設け、議員を置きて、万機を参賛せしめ、万機よろしく公議に決すべき事
   (明治政府は明治23年になってようやく貴族院、衆議院から成る帝国議会を開設しま
した。これが今日の参議院、衆議院です。)
第三 有財の公卿・諸侯および天下の人材を顧問に備え、官爵を給ひ、よろしく従来有名無実
   の官を除くべき事
第四 外国の交際、広く公議を採り、新たに至当の規約(新条約)を立つべき事
第五 古来の律令を折衷し、新たに無窮の大典を選定すべき事
第六 海軍よろしく拡張すべき事
第七 御親兵を置き、帝都を守備せしむべき事
第八 金銀物貨、よろしく外国と平均の法を設くべき事

後藤は、これを見て驚嘆したということです。当時の誰もが考えてもいなかった策であったからでしょう。この後、後藤は大政奉還の実現に向けて奔走しました。

この八策は竜馬が新政府に推挙した越前の由利公正(きみまさ)と土佐藩の福岡孝弟(たかちか)によりまとめられ、明治政府の基本方針「五箇条の御誓文」となりました。

一、 広く会議を興し万機公論に決すべし
一、 上下心を一にして、盛んに経綸を行ふべし
一、 官武一途、庶民に至る迄、各々其志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す
一、 旧来の陋習を破り、天地の公道に基くべし
一、 智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし

この御誓文は由利らが起草してから二か月後の慶応四年(1868年)三月に明治天皇が天地神明に誓うという形式で内外に発布されました。尚、ここには竜馬の「船中八策」の思想がことごとく盛りこまれていました。
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