yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

桃の種と邪馬台国 畿内説

2018-05-29 06:06:11 | 歴史
卑弥呼の邸宅があったとされる奈良・纏向遺跡から多数の桃の種が発見されました。過日、この種に対して科学的な年代測定(放射性炭素法)が、名古屋大学などの複数の団体で行われ、紀元135年から230年とわかりました。この年代は、種々の研究により卑弥呼の時代とされています。こうなると、卑弥呼畿内説は一層、有力になったのではないでしょうか。纏向遺跡の近くにある箸墓古墳は、卑弥呼の墓ともいわれていますので、ここの発掘が許可され、金属製の中国からの渡来品などが発見されれば、卑弥呼と中国の交流が証明され、邪馬台国畿内説は確定する可能性があるそうです。なお、中国から渡ってきた桃は魔よけの呪力があると考えられており、纏向遺跡に大量にあったということは、祭祀用に使ったとも考えられます。
コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 母と舟 | トップ | 宗教の効用 »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2018-06-24 16:15:15
古代の祭と政は本来同じものです。桃の種が多数出土するのは、そこに政治宗教都市が有ったと考えても問題はないと思います。ですがそこが邪馬壹(臺)国だった、卑弥呼の宮殿だったと考えるのは早計だと思います。魏志倭人伝には倭国には矛や鉄器があり内乱があったそうです。しかし巻向遺跡には首がない人骨、鏃が刺さった人骨は無いそうです。墓には殉葬もありません。棺はあっても槨は無しとありますから箸墓古墳には対応しません。おまけに周溝から鐙が出土してます。倭国は交易で栄えていたとありますから舶来品(漢鏡等)が豊富に出土しなければなりませんが巻向遺跡にはほとんどみられないそうです。外来土器の大半は東海由来で一大率が置かれていた伊都国を含む北九州由来の土器はほぼありません。これはものすごい矛盾ではないでしょうか?
返信する

コメントを投稿

歴史」カテゴリの最新記事