yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

千駄木57番地

2013-07-21 05:56:20 | 文学
夏目漱石の住居のあったのが千駄木57番地です。泉鏡花が「千駄木の森の夏ぞ昼も暗き」と書いたほど、周囲を樹木が取り巻き、鬱蒼としていました。当時は本郷区 駒込 千駄木(せんだぎ)でしたが、この場所は現在、文京区向丘2―20―7です。漱石は、明治36年に千駄木57番地に居を移しました。同じ時期に鴎外は千駄木21番地に住んでいました。漱石は東京帝国大学で英文学を教えるために、ここから約15分歩いて大学に通勤しました。漱石のこの家には、かつて明治23年から25年まで森鴎外が住んだことがあります。千駄木には、現在でも大学教授の住居が沢山あります。漱石は千駄木を「駒込の奧」と表現しましたが、彼は牛込に生まれたことから、「牛」が「駒」に替ったことを連想したのでしょう。有名な「我が輩は猫である」は千駄木での日常生活を描いています。漱石と鴎外は同じ時代の文士であり、正岡子規の家の句会で会ったこともありますが、親密な交際はしないながらも、文名の高い隣人を互いに評価していたということです。
 漱石は大正5年に逝去しました。葬儀の受付をしていたのは芥川龍之介でした。立派な風貌の紳士が会葬にみえたので、龍之介が名詞を見たら「森林太郎」(鴎外の本名)と書いてあったというエピソードがあります。因みに鴎外は漱石より5歳年上でした。 文豪、漱石と鴎外の共通点は色々あるでしょうが、あまり知られていない共通点が二つあるそうです。一つ目は、二人とも子供を一人ずつ亡くしているということです。鴎外は百日咳で「不律」という子を亡くしました。漱石はかわいがっていた「ひな子」という五女を亡くしました。二つ目の共通点は、二人の文豪の妻が、タイプは違いますが、揃って悪妻と言われていることです。しかし、作家の森まゆみさんは二人の夫人をとても魅力的な人だと評しています。漱石夫人は鷹揚な気前の良い人で、弟子たちから散々借金を申し込まれた時にも、たっぷり貸してあげたのに、その弟子達からひどい言われ方しているのは、何とも気の毒だと書いています。

  森まゆみ 「千駄木の漱石」學士會会報 2013―Ⅳ


        
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 半夜 良寛 | トップ | 電力の鬼 松永安左エ門 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

文学」カテゴリの最新記事