yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

「峠」 河井継之助

2022-07-11 06:24:51 | 歴史
映画「峠 最後のサムライ」が公開されています。不肖も映画を観て、郷里の英傑の生き様に改めて感動しました。かつて通学した小学校の近くに、栄涼寺という寺がありました。これは河井家の菩提寺でもあり、河井継之助の墓石がありましたが、戊辰戦争で家財や肉親の命を失った市民の中には継之助を怨む人もあり、墓石には傷がありました。
 司馬遼太郎は1963年に発表した短編「英雄児」において河井継之助を軍備増強に取り取り憑かれて「平衡感覚」を失い、「天災のような害」をもたらした人物として描きました。しかし、3年後に連載が始まった「峠」の継之助は、明治維新に先駆けて「富国強兵」を実現し、長岡藩をスイスのような「武装中立国」に仕立てようとした大人物として描きました。勝ち目のない戦いに臨んだのは、「徳川の天下は三百年、それが滅びるにあたって、たとえ一藩でも前将軍家の無実の罪をはらす藩がなければ、後世の者に嗤われる」「人間なる者がことごとく薩長の勝利者におもねり、言うべきことを言わなかったならば、後世は、その程度のものが日本人かと思うであろう」という思いからだったと作中で説明しています。人命を最優先するならば、継之助の選択は非難される。しかし、強者に抵抗せず屈服する者ばかりだったなら、後世の人々は自らの歴史に誇りを持てなくなってしまうのではないか、と司馬遼太郎は継之助を解釈しているようです。
形見として妻のすがに贈ったという「新古今集」兼芸法師の和歌があります。

かたちこそ深山がくれの朽木なれ こころは花になさばなりなむ

見た目はボロボロだが、それでも心には花がある、と強がったのです。
超大国ロシアに刃向かっている、小国の大統領と重なりました。
 

      朝日新聞
      司馬遼太郎 「峠」 新潮社 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする