山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘15年 南岐阜・紀州の探訪の旅 レポート <第10回>

2015-11-23 03:10:36 | くるま旅くらしの話

【今日(11/23・月)の予定】 

 道の駅:龍神 →(R371・R425・県道)→ 道の駅:紀州備長炭記念公園 →(県道・R42・R311)→ 道の駅:ふるさとセンター大塔(泊)

 

【昨日(11/22・日)のレポート】

<行程>

 吉野路大淀センター →(R169・R370)→ 道の駅:柿の郷くどやま →(R370・R409)→ 高野山参詣 →(R371)→ 道の駅:田辺市龍神ごまさんスカイタワー →(R371)→ 龍神温泉 → 道の駅:龍神(泊)  走行106km

<レポート>

天気:曇り

吉野路大淀センターの一夜は少し騒がしかった。傍を通る国道を走る車の音はそれほどでもなかったのだが、真夜中の2時頃から人声がし出して、何だと思ったら、何と農家の人たちが早くも今日の直売所に出荷する野菜類を運び込んで来ているのである。5時頃になると続々と軽トラがやって来て、野菜の直売所は、6時を過ぎるともう販売体制が整っている感じがした。開店時刻は8時半なのに、である。どうやら、野菜の陳列場所が決まっておらず、その日によっての早い者勝ち見たいな状況となっているらしい。7時半ごろになって、どうするのかと思っていたら、レジの人もやって来て、販売開始となっていた。泊りの消費者には真に有難い対応なのだが、生産者である農家の人たちにとっては、果たしてこのようなシステムで良いのであろうか。少し疑問を感じた。それにしてもこの地の生産農家の意欲は凄いなと思った。自分もニンジンとゴボウと大根などを買い入れた。

    

道の駅:吉野路大淀センター直売所の朝は活動的だ。6時過ぎには殆どの野菜が並び終わり、開店の1時間前の7時半にはもう販売が開始されている。

この道の駅にはゴミ箱もあり、水汲みも出来て良心的である。安心して一夜を明かすことが出来てありがたい。朝の内に今夜の夕食用の煮物の下ごしらえをしておくことにした。これは自分の担当である。旅の食事はどちらか一方が全てを負担するというのでは長続きしない。特に男サイドは、一人になってしまったまさかの時のためにも、自分で調理して食べるという技術を身につけておくことが大切だと思っている。

今日の予定は、高野山の参詣である。その後は、龍神村の龍神温泉に入って、後は寝るだけである。8時半に道の駅を出発して五條市方面に向かう。吉野川に沿って走る道を順調に辿る。吉野川はしばらく下るとその名を紀の川と変える。どの地点からそうなるのかは自分にはわからないけど、恐らくR24に出た、五條市辺りであろうか。橋本市に入って、川に架かる橋を渡り、しばらく走って、九度山町にはいる。ここに新しい道の駅がでいているので、ちょっと寄って見ることにした。九度山といえば、大阪夏・冬の陣で活躍した真田雪村が隠遁生活を送っていた場所として有名だ。高野山への登り口の一つでもある。何時も素通りだったが、道の駅が出来たとなると、これからは町中の史跡などを訪ねることが出来るようになる。新し道の駅は、柿の郷くどやまという名で、行って見るとこの辺りでは珍しい、かなり広い平坦地に造られていた。店の中も丁度旬を迎えている柿を初め、農産物を初め各種色とりどりの地場の生産物が所狭しと並んでいた。活気にあふれている。巨大な柿が一個500円で売られていたが、こんなに大きな柿を見るのは初めてだった。相棒はそれより少し小さい新品種の柿を求めていた。この道の駅にはゴミ箱も用意されており、最近の売らんかなだけで、消費者の後処理を無視した道の駅とは違った姿勢が見られてとても好感を抱いた。次回に来た時は是非泊って見たいなと思った。

その後は長い曲がりくねった山道を高野山に向かって登り、走り続ける。毎度のことながらこのような山奥によくもまあお大師様はお寺を開かれたものだと感嘆する。あの時代の人々の信仰心というものがどれほどのエネルギーを持っていたのか、それを取りまとめて導いた空海という方はどれほどのパワーを持った人物だったのか、想像もできない。ようやく坂を登り終えて、金剛峯寺への坂を下る。何だか物凄い車の混みようである。10時を少し過ぎた時刻なので、未だ駐車場にも余裕があるのではと思ったのだが、とんでもない見込み違いだった。今朝気付いたのだが、今日は日曜日で、明日も休日のため3連休の中日だったのである。異常に混んでいるのはその所為だろうかと思った。車を止められない時は諦めて龍神の方へ行こうと思いながら、のろのろと車の続く道をとにかく探してみることにした。奥の院を過ぎて、龍神に向かう道を行こうとしたら、その近くに臨時駐車場が設けられており、まだ空きスペースがあったので、とにかくそこへ車を入れることにした。奥の院の参道入り口までは350mほど離れている。折角来たのだから、奥の院だけでもお参りすることに決める。

それからは1時間半ほど時間をかけてゆっくりと参詣する。高野山は何度も来ており、桜池院というお寺さんの檀家見たいになっている。金剛峯寺近くにあるそこへは今日は参詣できなくて申し訳ないけど、この混みようではご容赦頂きたい。奥の院葉には久しぶりの参詣である。この辺りには古い日本の歴史を作って来た人たちのお墓が幾つも点在している。大昔のお墓が現役のままこれほど残っているのは、日本ではここだけなのかもしれない。又家や個人の墓だけでなく、企業や団体のお墓などもあって、真に開かれた墓地でもある。杉の老大木の森の中に並ぶ石塔の数々は、如何にも魂の安らぎ眠る場所として相応しい感じがする。時々有名人の墓などを覗きながら、奥の院の奥へと向かう。たいへんな人ごみで、外国からの観光グループも混ざっている。世界遺産として注目されているのかもしれない。こんなに大勢の人が押し掛けては、織田信長も、豊臣秀吉も、徳川家康もご機嫌を斜めにしておられるのではないかと思ったりした。

    

法然上人の墓。この他にも親鸞上人の墓もあり、高野山は宗派を問わない墓があるのはすごいと思う。

    

織田信長の墓。他の武将と比べて質素な感じがする。左は筒井順慶の墓。戦国の武将たちが枕を並べて休んでいる。

    

豊臣家の墓。成り上がるまでの秀吉の生きざまは立派だったが、成り上がった後のそれには、哀しさを覚えるほどだ。この墓は、何を語っているのか。

    

このような墓もある。シロアリ対策協会のやさしさと読むべきか、何だか人間の勝手さというか、滑稽さのようなものを感じさせる墓だ。

奥の院で般若心経を唱えて、旅の安全などを祈る。その後は、来た道をゆっくりと戻る。車に戻った時はちょうど昼食時となっていた。相棒がいつの間にか九度山の道の駅で買ってきためはり寿司をほおばる。めはり寿司はこれからが本番だと思っていたのだけど、早くもそれが用意されていたので、ちょっと驚いた。美味かった。

食事の後は、R371を龍神村方面へ向かう。この道は10数年前に一度通って以来の久しぶりの道である。以前は高野山からのスカイラインとして有料だったのが、今は無料となっている。どの道も早く無料となって欲しいものだ。そんなことを思いながら、カーブの多い山道を慎重に運転する。今日は日曜日とあって、ツーリングを楽しむバイク族が多い。飛び出すように走ってくるのもいるので、要注意である。20数キロほど走って、田辺市龍神ごまさんスカイタワーという長い名前の道の駅に着く。ここも以前来た時には無かった道の駅である。高所恐怖症の自分には、タワーの方は無用である。吉野や熊野の山並みを鳥瞰しながら、熊野詣での人達と時代のことを思ったりした。

14時半過ぎ、龍神温泉に到着する。駐車場が空いているか心配だったが、どうにかOKだった。少し早いけど、今日はこれからゆっくり温泉に浸り、その後は近くにある道の駅に行って、のんびり休養するつもりでいる。元湯まで少し歩いて、日本三大美人の湯と称されるその自慢の湯を味わう。もはや美人になど様はないけど、老人が少しでも若がえることが出来ればありがたい。熱くもなく、温くも無く、丁度いい湯加減の温泉だった。以前来た時は夕方で辺りが良く見えず、やたらに人が多かったことだけが印象に残っている。今日は下を流れる渓流の様子も見ることが出来て、露天風呂にもゆっくり身を沈めることが出来て満足だった。1時間余り温泉を楽しんで、車に戻る。

その後は道の駅:龍神へ。狭い駐車場で、2列しかない。道路の奥の方は桜の木が邪魔してSUN号を留められないので、道路側に駐車する。16時半となるともう夕暮れ時となる。深い山の谷に位置しているので、地デジは写らず、BSのみが頼りのTVだった。今朝下ごしらえしておいた煮物を作る。こちらの方は相棒の担当。その間にパソコンへの写真の取り入れや、ブログの基本情報の確認などで結構忙しい。17時半になって、夕食。今日はホッとウイスキーで良い気分になって、間もなく寝床の中へ。まだ20時にもなっていない。今日もまた長い夜が始まった。

コメント
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