山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘15年 南岐阜・紀州の探訪の旅 レポート <第11回>

2015-11-24 01:33:29 | くるま旅くらしの話

【今日(11/24・火)の予定】 

 道の駅:熊野古道中辺路 →(R311)→ 田辺市方面に戻る →(R311)→ 国道近くの王子社に順次参拝する →(R311)→ 道の駅:熊野古道中辺路 →(R311・R168)→ 道の駅:熊野古道ほんぐう(泊)  

 

【昨日(11/23・月)のレポート】

<行程>

 道の駅:龍神 →(R371・R425・県道)→ 道の駅:紀州備長炭記念公園 →(県道・R42・R311)→ 道の駅:ふるさとセンター大塔 → 道の駅:熊野古道中辺路(泊)  走行81km

<レポート>

天気:雨

道の駅:龍神の夜はいつもにも増して静かだった。山の中なので、トラックなどの通行は皆無、夜間はバイクも走らず、音を出すものといえば相棒の寝息くらいなのである。2時には起き出してブログの記事作成に取り組む。4時までには終って、再度寝床にもぐりこんで朝を迎える。6時過ぎ起き出して、少し歩くことにして川沿いの道を昨日入った龍神温泉まで往復する。昨日は車で通った道なのだが、歩いて見るとその良さがはっきりした。良く手入れされた杉や桧の森に挟まれて、蒼い色をした清流が所々岩にぶつかって白い波を上げている。道の脇には、所々川に流れ込む細い谷の流れがあり、それらはかなり急な斜面を流れ下って来るので、見上げると小さな滝が幾つも出来上がっていた。この辺りは雑木が殆どなくて、紅葉はほんの少ししか見られない。1kmほど歩くと、温泉の駐車場が見えて来た。昨日は旅館の駐車場には未だ到着した泊り客の車は少なかったが、今朝はほぼ満車に近い状態だった。秘湯の一つとして人気があるのであろう。温泉には、早や朝風呂に入るのか、何人かの地元の人らしき老人が入口の暖簾を潜って行った。写真などを撮った後、来た道を引き返して車に戻る。美味い空気だった。

    

龍神温泉に向かう道脇の渓流。この少し先に温泉があるのだが、この渓流に沿って造られているので、野趣深く秘湯の趣がある。

    

龍神温泉元湯の景観。この玄関を潜って、お湯は階段を下りた所に設けられている。

朝食を済ます頃になって、雨が降り出した。先ほどの歩きの時は薄い雲の向こうに青空も見えていたのだが、どうやら今日は天の機嫌は良からぬらしい。今日から中辺路に向かい、途中の王子社などに参拝しながら行く予定なのだが、雨の天気では何だか出端を挫かれた感じとなる。明日から本格的な中辺路の探訪予定で今日は道の駅:ふれあいセンター大塔まで行って泊る予定にしている。この先本降りの雨になった時は、王子社への参拝を取り止めて、道の駅で休養することにしようかと思いながらの出発だった。

雨はだんだん降りが強まって来た。少し走って道の駅:紀州備長炭記念公園に立ち寄る。雨の中に大型の観光バスが1台停まっていた。随分早いなと思ったら、中国辺りからの観光客だった。こんなところまで観光客が押し寄せているのかと思った。旅の気分で少なからず興奮しているのか、相変わらず大声で話す人が多い。隣に備長炭発見館という炭の展示解説施設があるのだけど、観光客は見向きもしないで、狭い店の中を埋めていた。自分たちの方は、バスが走り去るまで時間をつぶした後、その備長炭発見館に入り、炭や備長炭についての見聞を広めることにした。この道の駅のある辺りが備長炭の発祥の地の秋津川地区なのである。炭の歴史や製造プロセスなどについてビデオを見ながら学んだ。様々の炭のオブジェや製品などが展示されていて、館店内に流れる音楽も炭で作られた音によるもののようだった。我が家でも白炭は昔から愛用しており、今でも寝床の下には白炭を敷き詰めている。残念ながら紀州の備長炭ではなく、中国製のものなのだが、炭の効果は変わらないと思っている。備長炭が欲しいけど、今では手の届かぬ高価なものとなっている。帰り際に館員の方から、熊野古道に関する情報パンフレットを頂戴した。

    

備長炭発見館の片隅に、昔懐かしいオート三輪車の木炭車が展示されていた。戦後間もない、自分が小学生の頃は、木炭で走るトラックが走坂道を苦しげに登っていたのを思い出す。

雨は依然としてやむ気配なく降り続いている。道の駅を出発して、山を下り、田辺の市街地に入る。ここで若干食材等を仕入れることにして、スーパーへ。商品の陳列の仕方が関東とは違っているようで、なかなか目的の物が何処にあるかが判らず、探すのに手間取った。卵はついに見つからなかった。全国を訪ねていると、このような経験が何度かある。少しイラついた。雨の中を車に戻り、一先ず今日の泊り予定の道の駅:ふるさとセンター大塔まで行って見ることにした。このエリアの道の駅は未だ訪ねたことがなく、今日が初めてなので、どんな状況なのか判らない。行って見て泊り向きならば、もうそこで錨を下ろして休むことにしたい。そう思いながら行って見ると、これが大変狭い駐車場で、傍の道路は車の往来が多く、しかも平ではなく、傾斜地なのである。これではゆっくり出来ないと判断し、一つ先の明日泊る予定の道の駅:熊野古道中辺路まで行くことにした。ここもまだ行ったことのない場所だ。大塔の道の駅からは10数キロの距離しかない。間もなく到着する。

ここも傾斜地の駐車場で、あまり広くなかったのだが、この先となると熊野本宮まで行ってしまうことになり、行程がメチャメチャに狂ってしまう。傾斜地や狭いのは我慢して、とにかく今日は王子社の参拝は諦めることにして、ここに錨を下ろすことに決める。まだ、13時にもなっていない。しかし、雨は止むことなく降り続いており、状況は何も変わっていない。こんな時はまさに諦めが肝心だ。昼食の準備をし、少し遅れた昼の宴となった。起きていても何もすることがないので、自分は早々に一杯やって、午睡を決め込む。相棒は古道関係の資料をあれこれと確認していたようだった。目覚めたのは、16時半過ぎで、辺りは暗くなっていた。しばらくTVなどを見て過ごす。その後は、夕食、いつもの鬼平犯科帳を見て、再び寝床の中へ。明日は今日来た道を戻って、滝尻王子辺りから出直すことにしている。とにかく天気次第である。ダメな時は又どうするかを考えなければならない。やれやれ。

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