山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘15年 南岐阜・紀州の探訪の旅 レポート <第14回>

2015-11-27 04:37:47 | くるま旅くらしの話

【今日(11/27・金)の予定】 

 道の駅:なち →(県道)→ 大門坂(熊野古道散策)→(県道)→ 那智大社参拝・青岸渡寺参詣 →(県道・R42)→ その先未定

 

【昨日(11/26・木)のレポート】

<行程>

 道の駅:パーク七里御浜 →(R42他)→ 産田神社 →(R42他)→ 花の窟神社 →(R42)→ 道の駅:紀宝町ウミガメ公園 →(R42)→ 熊野速玉大社参拝 → 神倉神社参拝 →(R42他)→ 道の駅:なち → 那智大社、大滝の下見 → 道の駅:なち(泊) 走行84km 

<レポート>

天気:曇り後晴れ

今日は、暇のようで忙しい一日となった。余裕があったようで、無かったと言った方が正しいのかもしれない。昨夜は遅くまで雨が天井を叩き、明日も又雨なのかと諦めかけての眠りだった。夜間は直ぐ傍を走るR42の車で、さぞうるさいのではと覚悟していたのだが、存外静かで、気になったのはむしろ遠く下の方から響いてくる波の音だった。もし大地震が起きたりしたら、この道の駅は津波でひとたまりもなく破壊されつくしてしまうだろう。海抜10mほどしかないのである。そのようなことを思うと心穏やかでない気分になる。でもそのようなことはすっかり忘れて眠り果て、目覚めたのは1時半ごろだった。いつものようにブログを書き、もう一度寝床に入り、起き出したのは、7時少し前だった。外を見ると雨は上がるようで、青空が少しずつ見え出していた。この道の駅にはトイレはあるけど、簡易施設のようであまり上等ではない。ゴミ箱はなく、水汲む場所もない。長居は無用なので、朝食の後早めに出発することにする。

今日は、先ず昨日行かなかった、イザナミノミコトが火の神を産んだ場所だという、産田神社という所に行くことにしている。これは自分の中では、花の窟とセットになっているので、見落とすわけにはゆかないという思いがある。30分ほど走り、8時半ごろには到着する。こんもりと茂った樹木に囲まれた静かな佇まいの神社だった。イザナミノミコトは、どんな気持ちで火の神を産んだのであろうか。早速参拝する。入口の鳥居の傍に「さんま寿司発祥の地」という案内標が立っていた。紀州のさんま寿司は有名だが、この辺りから生まれたのかと確認した。その後は、もう一度花の窟に行き、参拝する。昨日は雨降りで暗かったのだが、今日はそれを補って余るほどの日射しが降り注いでいる。もう一度写真を撮り直したりした。

    

産田神社の佇まい。こんもりとした森に囲まれて、イザナミノミコトは、今何を思っているのだろうか。

一連のイザナミノミコトに関わる神社を見終えた後は、本日のメインの訪問先である新宮市の熊野速玉大社と神倉神社に参拝すべく、来た道を戻る。途中道の駅:紀宝町ウミガメ公園に寄りミカンなどを買う。新宮市内に入り、速玉大社には直ぐに到着。朱色の建物が強い日差しに鮮やかに輝いていた。玉砂利を踏みしめながら参拝する。境内には御神木のナギの大木があり、しっかり覚えることが出来た。もう一本天然記念物指定のオガタマの木もあり、嬉しい出会いだった。オガタマの木は、一円玉の裏側にデザイン化されて使われている。大木となると、少し違った様相をしてくるらしい。我が家のオガタマの木とは大分に貫録が違うなと思った。境内には、外国からの来訪者もいて、ここも国際的な観光の場となりつつあるのだなと思った。

    

熊野速玉大社の景観。朱色の拝殿が快晴の日差しを受けて鮮やかだった。

    

境内にあるご神木のナギの大樹。関東では見られない樹木である。しっかりとその特徴を記憶に刻んだ。

その後は、少し離れた大きな岩山のてっぺん近くにある神倉神社のゴトビキ岩を訪ねるべく出発する。神倉神社は、速玉大社に祀られているイザナギノミコトが元々坐せられていた場所である。速玉大社の方に遷られたので、これを新宮と呼ぶことになったのだという。由緒ある古い神社である。駐車場までの道が狭く、どうなるのかと冷や冷やしながらの運転だったが、どうにか無事に車を留めることが出来て安堵する。ゴトビキ岩の社までは、急な岩の階段が続き、これは大変なものだった。確か鎌倉時代に源頼朝が寄進したと聞いているその石の階段は、600段近くもあり、その大半が激急な傾斜のな坂道なのである。昨日の雨で滑り易くなっており、慎重の上にも慎重を重ねての登りとなった。相棒がいつギブアップするかと内心心配だったのだが、このところ古道の歩きにも少し慣れたのか、等々ゴトビキ岩の下にある社まで無事に到着してくれて良かった。

    

急な石段を登る。傾斜が45度くらいはあるではないかと思うほどだ。こんな石の階段が580余りも続いている。

ゴトビキとはこの地の呼び方で、ガマ蛙のことだとか。確かにそんな風にも見えたのだが、相棒の知識では、この岩は花の窟の伝説とつながっており、男性のシンボルを表わしているとも言えるのだとか。記紀の神話の世界では、この地は神々が様々な形で関わりを持たれて活躍されていたようだ。深く追求するのは性に合わないので、とにかくなるほどと思うことにしている。筑波山にもガマ岩というのがあるけど、ガマの油の口上を生み出すほどなので、かなりガマに似ているのだが、ゴトビキ岩の方はやはり相棒の説に近いように思えた。

    

ゴトビキ岩と直下に建てられている社。この景観は、新宮の街からも遠望できる。いわばランドマークのようなものでもある。

また、この神倉神社といえば、2月のお燈祭りで有名である。手に松明をかざした男衆が、この急な石段を駆け下りるという豪快というか、恐ろしきことを為す行事である。石段を登る途中で会った地元の方の話では、当日は2~3千人もの人がゴトビキ岩の付近に集まり、やがて一斉に松明をかざして石段を駆け下りるのだが、何と一番早い人は1分足らずで駆け下りるのだという。怪我をする人は少ないという。神懸かりになった人間の為すことは、神すらも呆れ返るほどなのか。誇らしげに語るその方の話に、驚き聴き入った。まだお燈祭りを見たことはない。特に見たいとも思わない。帰り道は登りよりも危険な下りなのでより慎重に歩を進める。途中から女人坂という下り専門の道があったので、それを利用して無事に下に辿り着く。最大の難関を乗り越えて参拝を済ませることが出来て満足する。

時刻はまだ12時前である。もうこれで今日の予定の殆ど終わり、あとは那智勝浦の補陀洛山寺に参詣するだけである。昼食は道の駅なちでとることにして出発。15分ほどで道の駅に到着する。ここは何年か前にも来ているのだけど、比較的新しい道の駅だ。JRの駅に隣接して造られており、世界遺産の紹介の観光センターの様なものもあり、又日帰り入浴の温泉もあって、今日はその温泉に入るのを楽しみにしている。ところが、情報を仕入れに行った相棒の話では、何とその肝心の温泉が工事中で閉鎖されているという。がっかりしてしまった。ここには2泊してじっくり世界遺産に関わる場所を探訪しようと考えていたのだが、期待を裏切られてしまった感じとなった。取り敢えず気を取り直して、昼食にする。昼食を終えて一休みしても、未だ13時になったばかりで、補陀洛山寺に行ったとしても14時にはここへ戻ることになり、温泉なしでは楽しみもない。と、いうことで明日の下見に那智山の方へ行って見ることにして出発。

明日の予定の中で気になっているのは、大門坂からの古道を少し歩きたいのだが、駐車場はどうなっているのか。それに那智の滝の下にある飛瀧神社にも参拝したのだが、こちらの駐車場はどうなっているか。この二つを確認しておきたい。10分ほどで大門坂の下方に着いたのだが、広い駐車場があって安堵する。これなら何の心配もない。更に滝の方へ行って見たのだが、こちらの方は近くにあるのは観光バス専用の駐車場だけで、SUN号を留められるような場所はなかった。ただ、少し離れた場所に空き地があり、そこは留めてもよさそうな場所だった。少し歩くのが長くなるけど、致し方あるまいと思った。これで、下見は終わり、明日は大丈夫だと思いながら来た道を戻り、途中の土産店などに入り店内を見て歩く。それでも未だ14時を過ぎたばかり。それじゃあ、今日中に飛瀧神社だけでも見ておこうかということになり、直ぐに引き返して先ほど目星をつけておいた駐車場へ。そこから300mほど歩いて、飛瀧神社に参拝する。滝の下から見上げる景観は、壮観としか言いようがない。華厳の滝とも袋田の滝とも違う、神秘さがある。よくもまあこんな場所があったものだと、改めて感じ入った。

    

那智の大滝の景観。その飛瀑は、豪快というよりも何か神秘的な厳かなものを感じさせる。

これで今日の予定は全部終了ということにして、その後は新宮市外れのショッピングモールに行って食材などの買い物を済まし道の駅に戻る。補陀洛山寺の参詣は明日にすることにした。温泉がないので、あとは夕食を済ませ寝るだけ。16時半を過ぎて周囲は少し暗くなりだした。泊りの旅車も何台かいるようだ。今日はこれで終わりである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする