山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

2004年 九州・山陰の旅 ジジババ漫遊紀行(第6日)

2015-01-27 04:27:44 | くるま旅くらしの話

<註:この記事は、10年前の旅の記録をリライトし、コメントを付したものです>

第6日:11月22日(月)

 <行程>

 道の駅:日向 →(R10)→ 鵜戸神宮 (R10・R220・R22)→ 飫肥市:飫肥城他探訪 →(R222)→ 道の駅:酒谷 〔泊〕 <130km>

  明け方の4時頃外に出てみると、北斗七星やカシオペア座の星々が大きく煌いていた。北極星も迷うことなく、「あれがそうだ!」と直ぐに確認できた。久しぶりに澄んだ美しい星空を見ることができて、感動一入(ひとしお)であった。それからもう一度寝床にもぐりこんだのだが、6時過ぎになって珍しくクニバアが先に起き出したので驚いた。どうやら日の出の写真を撮りたいらしい。駐車場の直ぐ下が海で、水平線が僅かに赤くなっているのが望まれる。水平線近くに薄い雲の層が黒く山のように邪魔をしているが、あの辺りから日が昇るのであろうか。日向の名に相応しい日の出が見られそうである。昨日は暗くてよく判らなかったが、明るくなるに連れて、ここはなかなか眺望の素晴らしい所であることが分かってきた。駐車場の近くの木々の下には、ツワ蕗の群れが凛とした黄色の花を咲かせていた。晩秋から初秋にかけての海岸近くの林などに多く見られるこの花が好きだ。

 そうこうしているうちに日の出となった。海の果ての一箇所が赤く染まり、暫くするとポコンと太陽が顔を出した。日向の日の出だ!クニバアは何回もシャッターを切っていた。写真はクニバアの方がはるかにレベルが上である。タクジイも2、3枚。果たしてどのような代物が撮れたのか、楽しみではある。

 我々の他にもう一台昨夜からここに泊った人がいて、同じように写真を撮っておられた。クニバアが話しかけたらしく、タクジイも何となく話しに加わる。お聞きすると、福岡からお見えになっているとのことであった。巨樹と苔に関心をお持ちのようで、椎葉近くにある神社の御神木が倒れたのを知り、わざわざそれを訪ねられたという。その樹の根元にあった苔を、神社に断って採って来られたとか。その一部をおすそ分け頂いた。山野さんとおっしゃるその方は、福岡市は室見川沿いにお住まいとのことだった。タクジイたちも昔福岡に住んでいた頃を思い出し、懐かしさと共に格別の親近感を覚えた。あれこれ旅や写真の話などをする。楽しい出会いのひと時であった。再会の機があることを念じながらお別れして、出発する。

 今日は、とにかく先ずは鵜戸神宮へ行くことである。日向という所は宮崎県では北部にあたり、県都宮崎まで70kmも離れている。ひたすら南下を続け、宮崎市内でR10と別れてR220に入り、青島を過ぎ、青い海と白い波が眩しく輝く日南海岸を暫く走って、ようやく鵜戸神宮に到着する。今回の旅は、ここが最南端拠点の予定である。

 「鵜戸さん参りは、春三月よ~」というシャンシャン馬道中唄、といってもこの一節しか知らないのだが、鵜戸神宮といえばこの唄の頭の文句だけが突出して記憶されおり、タクジイには初めて訪れる全く未知の世界なのである。神宮というからには一般の神社などより歴史や由緒ある所なのであろうか。神宮、大神宮、大社、神社などと神を祀る社の呼び方にいろいろあるようだが、どのような違いがあるのか良く分からない。神様にも格式や序列があって、尊称が異なるのであろうか。とにかく鵜戸神宮というのだから、格も高い神社なのであろう。

 R220を左折して細い道を海に向かう時には、長い距離だと離合がめんどうだなあと心配したが、直ぐに駐車場に着いたのでホッとした。車を降りてさっきからシクシクしていた腹具合の調整に、トイレに直行する。いざという時には、神様よりもトイレの方が最優先というのが人間の本性である。

鵜戸神宮は、駐車場から急坂を登り下って、とんでもない海岸の崖っ淵にあった。今まで見たどのような神社よりも変わった場所である。洞窟の中に本殿があって、いかにも神秘的である。何やらいろいろと由緒やいわれが書かれていたが、よく分からない。とにかく敬虔な気持ちになるのは確かである。

本殿の直ぐそばに、海に突き出た亀石という巨石があり、そこに穿たれた小さな桝形がある。そこに土を焼いて造った運玉という直径1cmくらいの丸い玉を投げて、上手く入れば願が叶うという。男は左手、女は右手で投げるのが決まりだとか。タクジイはそのようなことには滅多に係わらないが、クニバアの方は存外軽薄で、やりたがる。なかなか上って来ないので振り返ると、やっぱり、その運玉投げにチャレンジしていた。どうせ失敗ばかりだろうと見ていると、なんと何回目かにちゃんとその桝形の中に運玉が入ったではないか。一人ジャンプして手を叩いて喜んでいるのは、あれがもう直ぐ還暦を迎えるお人なのかと呆れかえった。それにしても何の願をこめたのであろうか?存外、宝くじのようなものなのかもしれない。

 鵜戸神宮に来た甲斐があったな、と思いつつ再び坂を上り下って駐車場へ。ここには、九州に住む人たちを中心とする、何百万という善男善女が訪れたのであろう、石段には磨り減って凹んでいる箇所が幾つもあった。

 さて、これからどうするか? 13時半になっている。日南市には初めて来たので案内も何もよく分からない。NHKの朝ドラで「わかば」というのをやっており、飫肥の町がメインになっている様なので、飫肥市というのがあるのかと地図を見てみたのだがそのような市はなくて、日南市の中に飫肥町があるというのを知ったのが、出発前のタクジイの知識レベルなのである。とにかく飫肥まで行って飫肥城などを見て、適当な場所があればそこで泊ってもいいなと考えながら出発する。

鵜戸神宮から更に南の方に向かって少し走り、油津で右折してR222へ。燃料が少なくなっていたので、スタンドで給油。給油していると急に空腹を覚えた。車だけが腹ぺこなのではなかった。気がついてみれば14時を過ぎているのに昼食が未だだった。近くにあったちゃんぽんのチェーン店にて食事を済ます。飫肥城到着15時。

 飫肥城脇にある駐車場にSUN号を停めて市内散策を開始する。お城の中や、その付近の屋敷町、更には商工者の住んでいた地域などをじっくりと歩き回った。藩校振徳堂も訪ねた。何人もの要人を輩出した学問所は素朴で、松下村塾のたたずまいとよく似ていた。明治時代に活躍した外交官小村寿太郎はここで学んだ人らしい。城下町としての風情は津和野よりも上ではないかと思った。この飫肥の町と油津を含めて、どうして日南市などというつまらない呼称にしたのか、失望するばかりである。新しい街づくりの姿勢としてこの名を選んだのであろうが、都市の名は歴史に根づくものである方がしっくり来る。日南だなんて、南の外れほどの軽いイメージしか浮かばず、つまらない平凡な名だなと思うのはタクジイだけであろうか。言わせてもらえば、飫肥市の方が遥かに判り易い。

 市内を歩いていると、家々の庭先にダリヤ風の美しい花を咲かせている小木が見られた。関東では見たこともない花である。もう冬間近かだというのに、このような花が今を盛りと咲いているのは、やはり南国ならではのことかと羨ましく思うと共に、この木を持って帰って植えることは出来ないだろうか?などと無謀なことを考えたりした。旅に出ると、このような思いにとらわれることがよくある。無理をしても結局は上手くゆかないことを知っているくせに、無理をしたがるのである。木々にとっては大迷惑のことなのであろう。

 街のスーパーで食材と一緒に地元産の焼酎を一本買う。TVドラマ「わかば」のPRの札が掛かっていた。この地も焼酎の名産地の一つなのであろう。今夜一杯やるつもりである。1時間半ほど歩き回って、飫肥の町の風情を満喫して車に戻る。どうやらここに泊まるわけには行かないようだ。R222を少し行った先に道の駅:酒谷というのがあるので、そこへ行って泊まることにした。20分程で到着。山の中である。

 少し早く着いたので、近くを散策する。隣接して公園のようなものがあり、駐車場の脇に先ほどの花の木があった。クニバアが、近くにいた人にその名を聞くと「木立ダリア」というのだそうだ。なるほど、さもあらんという名であった。公園の丘の向こう下はダム湖となっているらしく、遠くに湖水が光っていた。車に戻ったが、道の駅の売店などに働いている人の車以外で駐車しているのは、我々だけのようである。夜になればきっと寂しい場所となるのであろう。クニバアが耐えられるのか少し心配が脳裏を掠めたが、知らん振りを通すことにした。これから先、又移動するのは勘弁してもらいたい。 18時には夕食を済ませて早めに寝ることにした。(心配するようなことは何もない一夜であった)

【コメント】

◆この日に訪れた飫肥の町は、重伝建(=重要伝統的建造物群指定地区)の一つでした。この当時はそのような文化財があることも全く知らなかったのでした。又、昨日泊った日向の道の駅近くの美々津という所も、同じ重伝建の港町として指定されているのを知ったのは、かなり後のことでした。情報を持たないままの旅は、内容がプァとなるということを、今では自戒しています。

◆木立ちダリアのこと~この旅の中で出て来る、ダリア風の花を咲かせる大型の植物は、自分としては、ここの飫肥の地で初めて見かけたものでした。3mを超えるほどの高さの上部に、無数の大きな花をつけて咲くその姿に魅せられて、大変興奮しましたが、今では我が家の近辺にも、或いは全国各地の何処にでも数多く見かけるようになりました。木立ダリアというよりは、皇帝ダリアと呼ばれているようです。この花はメキシコが原産地ですから、どちらかといえば暖かい気候を好むようです。茨城県はその北限に近いらしく、11月に花が咲き始めても、霜が降りるような寒さになると、一発で全ての花を枯らしてしまいます。北国では暖房の措置などをしないと、開花させるのは不可能のようです。我家でも、この旅の間に見つけて連れ帰った苗が無事に根付いてくれて、毎年大輪の美しい花をたくさん咲かせてくれています。この花の開花時期には、旅に出ていることが多く、今年も咲き始めの頃に2~3個の花を見ただけでしたが、旅先の各地で、たくさんの花を見ることが出来て満足しています。

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