山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

旅の記録から:2005年東北の春訪ね旅(第23日)

2009-03-26 00:26:23 | くるま旅くらしの話

第23日 <5月16日()

道の駅:米山→道の駅:南方(宮城県南方町)→(古川佐沼線・陸羽街道)→道の駅:三本木(宮城県三本木町)→道の駅:おおさと(宮城県大郷町)→(陸羽街道・仙台、白石市経由・七ヶ宿街道) →道の駅:七ヶ宿(宮城県七ヶ宿町)→大峰桜(宮城県七ヶ宿町) →道の駅:高畠(山形県高畠町)→(米沢市・八谷街道)→道の駅:田沢(山形県米沢市)→道の駅:喜多の郷(福島県喜多方市)(泊)<257km>

 今日は宮城県で残っている道の駅を拾いながら七ヶ宿街道から米沢経由で喜多方の道の駅に泊まり、旅の垢を落として明日家に戻ることにしようと決める。

 朝、周辺を歩いてみると、隣接する公園の中に銅像が建っており、「第三代横綱 丸山権太左衛門」とあった。江戸時代のこの町出身の怪力無双の名横綱だったとのこと。そばにこの人の句碑があり、「一つかみ いざ参らせむ 年の豆」とあった。なかなかの人物だったことがわかり、妙に嬉しくなってカメラのシャッターを何回も切った。

  

 第3代横綱 丸山権太左衛門の銅像と句碑(宮城県米山町出身~江戸時代)

食事のあと出発。南方町の道の駅に寄った後、陸羽街道に出て仙台に向け南下。仙台バイパス通過してさらに南下を続け、白石市郊外から七ヶ宿街道に入って七ヶ宿の道の駅に向かう。七ヶ宿というのは江戸時代参勤交代で江戸までを往復する際この街道に七つの宿場があり、それがこの町の名の由来らしい。山又山のなかに宿場が点在していたのであろう。

途中町外れ(といってもこの辺りは皆どこも町外れの感じがするのだが)に「大峰桜」の案内板があるのに気がつき、車を停めて立ち寄る。今にも消え入りそうな小さな桜の古木が、周囲を防護柵に守られてそこにあった。

 山形県に入って、高畠町の道の駅に寄った後、米沢市外を通過して喜多方市に向う八谷街道へ。市の郊外(山中)にある道の駅戸沢に立寄る。喜多方に向う山道は、往路とは見違えるような新緑だった。4月末にこの道を下ってきた時は未だ両側に雪が残り、それが融け出して山の早春という感じだったが、今はわずかに山頂に付近に雪の塊を残すのみである。その生命の萌える輝きに感動の連続を味わいつつ、何本かの長いトンネルを抜け、喜多方市のはずれにある道の駅喜多の郷に着いたのは16時半頃だった。

 この道の駅にある「蔵の湯」という温泉は、17時を過ぎると100円割引となり300円で入ることが出来る。とても良心的な経営だと思う。お湯もいい。今日が最後となるので心ゆくまで温泉の湯浴みを楽しんだ。最後のビールも美味かった。

   *   *   *   *   *   *

<旅のエッセー>

        大 峰 桜 に 思 う

 宮城県白石市から米沢市に向って山間を縫って走る国道113号線は七ヶ宿街道と呼ばれている。七ヶ宿街道は、江戸時代の参勤交代の大名行列や一般の旅人が、白石と米沢との往来に要したこの山道に、七つの宿場があったことに由来している。白石市側から坂道を登ってゆくと、阿武隈川の支流である白石川上流の深い渓流に沿って小原温泉というのがあるが、この辺りを碧玉渓とも呼ぶらしい。更に山奥のトンネルを幾つか潜りぬけると大きなダム湖に出くわす。ロックヒル方式というコンクリートなどを使わないやり方で造られたダムで、完成までにかなり長い年月を要したようだ。そのほとりにある道の駅からは、観光客向けなのか巨大な噴水が時々水煙を上げているのが見える。

東北の春めぐりの旅も終りに近づいて、米沢を抜けて喜多方に立ち寄って、旅の締めくくりとして温泉に入って一夜を過ごしてから家に帰ろうと考えこの道を来たのだが、周囲の山々の萌え騒ぐ様子は、噴水の独りよがりの騒音よりもはるかに騒々しく目に聞こえてくる。その騒々しさを味わいながら幾つかの宿場らしい集落を通り抜けてゆくと、道の右側に「大峰桜」の案内板があるのに相棒が気づいた。あわてて車を停め、その案内板に近づいた。

十日以上前になるだろうか、秋田辺り確か角館だったか、TVのローカルニュースで、東北には1本しかないという桜の話を聞いたのを妙にはっきりと憶えていたのは、この旅の楽しみの一つが観桜にあり、且つとりわけ山桜に関心が深かったからなのかもしれない。そのたった1本があるのが、この七ヶ宿だったのを思い起こしたのだった。
こころ弾ませながら近づいてみると、周囲を保護柵に囲まれて4、5本の細く古い枝をわずかに伸ばした桜の株が一つあって、その枝先にほんの少し紅を含んだ白い楚々とした花を咲かせていた。今が満開のようである。けれども華やかさよりもむしろ悲壮さ、哀しさのようなものがその桜には漂っているような気がした。案内板には平成16年に天然記念物として町の文化財に指定された旨が記されていたが、それ以前はかなり乱暴に扱われていたか、或いは虐待されていたのかもしれない。今頃になって人間どもの突然の心変わりに戸惑っているようにも思えた。

 

 大峰桜。山桜に近い花が密やかに咲いていた。この後もずっと咲き続けて欲しいと願わずにはいられない。

 案内板によると、大峰桜というのは大山桜と奥丁子桜との自然交配により生まれた品種で、新潟県の大峰山という所で最初に発見されたのでその名がつけられたという。そしてわが国では新潟県と長野県の一部にしか自生していないという。その別格の1本がここにあるというわけである。日本中の至る所に在るソメイヨシノも、もともとは江戸ヒガンと大島桜の人工交配から生まれたもので、親はたった1本であり、それを枝分けした皆一代限りの樹なのだと聞く。寿命も100年そこそこで、確か弘前城址の隅に日本一の長寿という枯れ掛けたような感じのソメイヨシノの古木があったのを思い出した。東京の桜の名所の一つである小金井公園の中にも、小金井桜と名付けられた自然交配の桜が1本あったが、あれも長生きが難しそうな樹だった。この大峰桜も薄命の不倫の子のような運命を辿っているのかもしれない。(いや、これは考えすぎであろう)

桜の花に哀しみを感ずることは殆どないのだが、この樹にはどうしても華やかで楽しい美しさを覚えることはできなかった。でも生命の尽きるまでは精一杯美しい花を咲かせ続けて欲しい。そのことをひたすら願う。                              

大峰の桜花愛しや七ヶ宿    馬骨

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 旅の記録から:2005年東... | トップ | 旅の記録から:2005年東... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

くるま旅くらしの話」カテゴリの最新記事