山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

冬桜などの話

2010-12-29 00:33:36 | 宵宵妄話

 

この頃は冬に咲く桜を見かけることが多くなりました。20年ほど前までは、冬桜といえば、住んでいた小平市や東村山市の家から小金井公園までわざわざ見に行ったものでした。公園のそれは、古い冬桜の樹で、かなり疲れ果てた樹影の枝の先に、わずかにそれと判る花をつけているといった状態で、確かに珍しいけど何だかあまりにも可哀想な感じがして、心が痛むのを覚えたのでした。

東京の小金井公園は、桜の名所です。その昔は玉川上水の側道に桜並木がずっと続いていて、これが小金井桜として有名だったとのことですが、今はその大半が老木となって朽ち果て、後から植えた桜もまだ中途半端な大きさで、世代交代がどうも上手くいっていない感じがします。その桜並木に代わって、広大な公園に残存する桜の大木たちが、現在の小金井桜をカバーしているように思います。でも守谷市に引っ越して以降は、小金井公園を訪ねたこともなく、今ではどのような状態になっているのか、そのままで在ってくれれば良いのにと思うばかりです。

さて、冬桜ですが、これは別名ヒマラヤ桜とも呼ばれているようで、日本国在来の桜ではないようです。しかしその原種がヒマラヤ地方なのかどうかは私には分りません。これを初めて見たのは、しまなみ海道を旅した時で、生口島にある瀬戸田PA(尾道に向かう上り側)の構内でした。4年前に続いて今年も訪れたのですが、まだ時期が少し早かったのか、花を見ることは出来ませんでした。確か11月下旬くらいからの開花だと思います。今年見たのは樹勢が少し衰えた感じで、酸性雨と排気ガス公害に苦しめられているような印象を受け、少し心配でした。

この他にも冬桜は、奈良県の天理市と桜井市をつなぐ古道、山辺の道を歩く途中でも何本かを見ることが出来ます。雪が舞う寒さの中で、一塊の桜の花を見るというのは、何とも不思議なことで、大いに感動したのを思い起こします。

最近、冬桜を見かけることが多くなったというのは、守谷市内にも、何本かを見出して楽しむことが出来ているからなのです。総面積がわずか36平方キロメートル足らずの町の中を、6年間も歩いていると、どこに何があるのかが次第にはっきりしてきて、その中の一つに何本かの冬桜の存在を確認することが出来るのです。これらは恐らく愛好家の方が、珍しさに惹かれて苗木を求めて植えられたのだと思いますが、この寒い季節に可憐な春の花を見られるというのは、真に有難くも嬉しいことだと感謝せずにはいられません。

桜の花が大好きで、我が家の庭のメインツリーも桜なのです。庭に桜を植えるなどというのは、虫多く、枝が張って葉も多く、やがては巨大化してとんでもないことのように一般的には考えられているようですが、私の場合は、庭のど真ん中の桜の花の下で、親しき友を招いて一献を傾け合うのが夢なものですから、バカを承知で東北のオオヤマザクラの苗を探し当てて植えているわけなのです。植えて5年目の去年、初めて3個の花が咲き感動しました。酒を酌み交わすまでには、あと数年は掛かると思います。その念願が叶ったら、桜の木が邪魔なときには、自分と一緒に切り倒して葬って欲しいと、遺言書に書こうかなと思っています。

あちらこちらと桜の話の脱線ばかりで恐縮の至りです。守谷の冬桜は若いけど少し大きい樹木が鬼怒川運河の土手の近くに10本ほどと、それから農家の屋敷林に、これはやっと花を咲かせ始めたと思われる幼木が2本、散歩の通り道に顔を出してくれています。4月の桜とは違って、少し小ぶりな花の大きさです。一つひとつを見ると、花の可愛さ、可憐さはいや増すばかりですが、これが一本の木にビッシリと花をつけている様は、ヘタの部分が邪魔をするのか、花の美しさが少しぼやけてしまって、案外と気づかぬ存在となってしまっているようです。4月の桜は一つひとつでも樹全体でも文句なしに美しいと思いますが、冬桜は、団体の花は逞しく、個々の花は哀しさを伴った可憐さが特徴のようです。それ故に、馬骨的には冬桜は、目を近づけて静かに味わうべしということになります。

  

左は花盛りを迎えた冬桜。ちょっと目には、桜の花とは思えず、梅のような印象すらある。右はより近い目線からの冬桜の花。何とも可憐な咲きぶりである。

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