山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

百万両伝奇を読む

2010-12-28 06:05:52 | 宵宵妄話

風邪を引くバカ、風邪引かぬバカ。というのは当代においては結構適切な揶揄(やゆ)のような感じがします。そのバカに嵌まり込んで、2日ほど動かぬ旅くらしをしたのでしたが、その時に久しぶりに早乙女貢の「百万両伝奇」を読みました。安土桃山時代の戦国武将だった佐々成政の埋蔵軍用金を巡る宝探しの物語です。勿論作り話で、それも飛びっきりの変転めまぐるしい、話の筋を思い出すのも難しいほどの物語なのです。

私は雑読屋です。あらゆる分野の本を読みます。(正確には読みました)若い頃から、その時々の気まぐれで手当たり次第に本を買ってきました。特に文庫本は省スペースなものですから、引越しの多かったサラリーマン暮しでは、随分とたくさん手に入れて、とうとう我が家には置ききれなくなり、存命だった両親の住む実家にまで運んで置いて貰う様なことをしていました。両親が亡くなったのを機に思い切って処分しました。その多くは時代小説などの面白読み本とも言うべきもので、数百冊はあったように思います。

人生11回の引越しを終えて、守谷市に終の棲家を、のつもりで落ち着いた際に、もう一度本の大整理を行い、何とか新しい書斎に納めましたが、相当に処分したつもりでも、私を取り巻く3方の書棚は、90%以上が二重に収本をしています。したがって棚の表に並べた本は直ぐに見つけることが出来るのですが、奥の方に納めた本はその存在すらも判らないといった状況になっています。それで、時々本棚をかき回して奥の方から面白そうなものを見つけ出しては、まるで新本を発見したような気分になって読んでいるといった状況なのです。

この百万両伝奇もその1冊(実際は上下2冊)です。ちょっと本の内容のことを紹介しましょう。時代小説の面白本の多くは、善人と悪者とが登場し、これがテーマの下に幾つかの出来事を惹き起こし、最終的には悪が滅びて善が勝利して、めでたしめでたしとなるのですが、この百万両伝奇も大筋ではそのような構成になっています。

まず善側の登場人物ですが、主人公ともいうべきは5百石を領する旗本の部屋住みの次男坊(剣の達人)と、それに恋する3人の女性。一人は呉服屋の娘、もう一人は常磐津の師匠、そして矢場の女。その他に男気溢れる弁当屋(口入屋も兼ねる)の親分・子分。

悪者側は佐々家の再興を期す怪しげな首領とその一団。陰険な八丁堀の同心。それに悪徳商人。更にはご本人にはそのような認識のないまま悪の側に加担することになった、悪同心の師事するなにわの陽明学者大塩平八郎。その他にひさごとは無関係に事件に絡んで怪しげな行動をする猫獲り業の男など。まあ、ざっと主な登場人物といえば、このような状況です。

話の筋の方ですが、佐々家の子孫に伝わる金銀二つのひさご(=瓢箪(ひょうたん))があり、この中に百万両の埋蔵金のありかが示された絵図面が半分ずつ隠されており、このひさごを善悪が入り乱れて奪い、奪い返すという争奪の話なのです。もともと呉服屋の娘の家には金の瓢箪が、そして弁当屋の親分の所には銀の瓢箪があり、ことは盗賊として侵入した佐々家の再興を目論む一団が呉服屋夫妻を切り殺し、これを奪おうとしたことからストーリーは開始されます。財宝のことなど知らなかった関係者が、そのことに気づいてからは、その二つの瓢箪を追い掛けて善悪双方側が入り乱れて甲州から身延山、そして東海道は大阪へと、目まぐるしく変転する事件と共に動いてゆきます。そして大阪からは宝物のありかと知れた黒部の山奥深く、冬の季節を関係者一団が押しかけてゆき、終盤には幾つかのどんでん返しがあって、最後は善人側がその宝物を手に入れるということになります。しかしその後にもう一つの最後があって、手にした財宝は、飢饉に苦しむ人々のために使われることになるという、社会貢献に寄与するという話で終わりとなります。

読み出すと一気に事件の中に引き摺り込まれることになり、それがあまりにも変転目まぐるしいので、気持ちの切り替えが大変なのです。呉服屋の処女が追い詰められ、悪者に捕まって絶体絶命の状況が、突然次の場面に変転し、そこでは又次の話が展開され、元に戻るとなると、絶体絶命の娘が奇跡的に助かることとなる。それがわざとらしいことはよく承知しているのですが、でもどこかで、よかった、などとやっぱり思って安堵してしまいます。瀕死の重傷で再起不能と思われていた筈の悪者が生き返っていて、とんでもない場面に再登場したり、まさにシッチャカ・メッチャカの感じですが、面白本というのはそれが身上なのですから、これはもうその世界の中に入り込んで固唾を呑むという読み方が一番なのだと思います。このようなストーリーをバカバカしいとか、低俗だなどという輩には、人間の本当の姿が曇ってしか見えないだろうというのが、私のようなものの見解なのですが、さて、どうでしょうか。それをそれ狷介(けんかい)老人というのだ、などとはおっしゃらないで下さい。

早乙女貢という作家は、豪胆な精神をお持ちの方だと思っています。まだホンの一部しか作品を読んでいませんが、その代表作「会津士魂」は近々どうしても読まなければと思っています。この方にとって、伝奇小説などというものは、習作のようなものではなかったと思うのです。この百万両伝奇の中にも、史実として知られていることも幾つか登場させており、ご自分で作り話を楽しみながら書かれているといった感じがします。

佐々成政の厳冬期の山越えの話は有名ですが、(埋蔵金の話もどこかで耳にしたような気がします)それをモチーフにするとは凄いなあと思いました。立山連峰を武装集団が乗り越えてゆくなど、狂気の沙汰としか思えませんが、それに近いことを佐々成政という武将は行ったというのですから、これはもう褒めていいのか、呆れてものが言えないのか、現代では評価の難しい話だと思います。

ま、しょうもない話なのですが、風邪を引いても終日車の中でこのような読み本にうつつを抜かし、少年の気分に戻れるというのは、幸せというものではないかと、一人悦に入ったのでした。

 

   

早乙女貢著「百万両伝奇」。集英社文庫で、発行年月日を見たら、昭和60年6月25日、2刷目となっていた。25年前の物語は、内容をすっかり忘れており、懐かしくも新鮮だった。しかし、風邪の薬とはならなかったようである。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 若者の激走を観る | トップ | 冬桜などの話 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

宵宵妄話」カテゴリの最新記事