11月の初めから4日ほどブログを休んでしまったが、この短い期間にキノコ探訪に絡む小さな旅をしたのだった。3泊4日の、旅ともいえないような旅は、私にとって初めての相棒なしの旅でもあった。
今年の6月半ば、千葉県某所でのキャンピングカーの集まりで知り合った方の中に、キノコの鑑定をなさっている方が居られ、是非ともそれを見せて頂きたいとお願いの話をしたのだった。9月の終りの頃、そのご案内をわざわざ頂戴したのだったが、キノコの最盛期と思われる10月の大半を、思い立って四国八十八ヶ所めぐりの旅に出かけてしまったため、その期間に開催される鑑定会に出ることができず、ようやく今年最後の鑑定会を訪ねることが叶ったのだった。
鑑定会は11月3日の12時から13時まで開催されるのだが、折角だからその前にキノコを探しに行きましょうというお話しに、それならば前日に出かけた方が良いかなと思い、その話をしたところ、それならばその日も山へ行きましょうということになり、1泊2日の日程を組んだのだった。更にその後で、久しく会っていない八王子に住む親友を訪ねることを思い立ち、もう一日前から行くことを決めたのだった。そして結果的には、帰り道の運転途中に、温泉に入ることを急に思い立ち、もう1日を追加して最終的には3泊4日の旅となったのである。この間の出来事などについて2、3紹介したい。今日はその1回目である。
20年ほど前から、キノコを取りに行きたいと密かに思っていた。キノコの図鑑を買い、朝晩のトイレの中で獲物たちを眺め続けていたのだった。
未知のものと親しくなるための方法の中で、最も効果的なのは、写真を眺め続けることだと思っている。私の場合は、野草や樹木にも興味があり、その名称を覚える方法として、何種類かの図鑑の写真を眺め続けたのだった。最初は図鑑を持参して実物と対比させるようなことをしていたのだが、それはとんでもなく手間の掛かることで、理屈では良い方法のように思えるのだが、実際やってみるとうんざりするのである。結果的に最も良かったのが、トイレの中で心おきなく図鑑の写真と解説文を眺め続けることだった。全部を覚えられる筈もないのだけど、いつしかイメージは頭の中に取り込まれて、道端で似たような草を見つけると、それを心に留め置いて家に戻り、図鑑を開くと大抵は想像通りのものと一致するようになるのである。未だ一度もお目にかかっていないハクサンチドリの花に、北海道は摩周湖に登る道端で出会ったときなど、もう何年も前から知っていたように直ぐにそれと判ったし、常呂のワッカ原生花園の野草たちに会った時も、同じ感動を何度も味わった経験がある。
キノコについても同じ方法で写真を眺めていたのだったが、そのときの居住環境は都会のマンションの中であり、すぐ近くに山があるわけでもなく、コンクリートの部屋住まいの利便性ばかりに取り囲まれた暮らしでは、いざ出かけようという刺激に恵まれず、何時しかキノコのことを忘れてしまっていた。
タイトルの「くさびら」というのは、キノコの古い呼び名である。鑑定会を開いて居られる集まりの名を「藤野くさびらの会」という。藤野というのは神奈川県藤野町という地名で、現在は合併して相模原市の一部となっている。「くさびら」とは、最初は何のことだろうと辞書を引いてみたら、キノコのことだと判った。宇津保物語に記載されているというから、平安時代前期の頃であろうか。実際にはどのようなイメージでキノコが扱われていたのか解からないけど、現代から見れば何とも優雅さを含んだ呼び名のように思える。今の世に住む者の感覚と彼の時代の人たちの感覚との差は分らない。もしかしたら、「くさびら」というのは、あまり好感を持って呼ばれたことばではなかったのかも知れない。ま、そのことは措くとしよう。
私が何故キノコに関心を寄せているのかといえば、勿論食べることも願望の一つではあるけど、それよりも何よりも山の中を歩き回りたいのである。目的もなしに歩き回るのではなく、明確な目的を持って大自然の中を動き回りたいのである。春は山菜、秋はキノコというのが理想だと思うけど、そのどちらも熊に出会うとかの事故の危険性を除外したレベルで楽しみたいのである。
キノコについては、子供の頃の懐かしい思い出が加齢と共に膨らみだしている。茨城県北部の山の中(といっても藤野町ほどの規模ではない)で育ったのだが、小学生の頃秋になると、一日全校生でキノコ狩りを行なうというイベントがあったのを思い出す。子供たちが幾つかのグループに分かれて、付近の山へ出かけて行ってキノコを探し、持ち帰るのである。それを先生方が選別して安全なものを取り出し、キノコ汁を作って皆で食べたのだった。全児童数400人ほどの小さな学校だった。
その頃といえば、まだまだ食糧事情が安定していない時代であり、どこの家でも秋になればキノコ採りに出かけ、春は山菜をおかずに追加するのは当たり前の暮らしだったのである。今となれば懐かしいけど、往時はさほどに嬉しい食べ物ではなかったのである。ただそれらの獲物を探すというイベントは楽しかったのを覚えている。この歳になって、妙にキノコのことなどが気になりだしたのは、いよいよ老人の昔懐かしがり病現象が表れ出したのかもしれない。
もう一つ、単に懐かしさからではなく、キノコの不思議さを訪ねてみたいという思いもある。キノコというのは、実に不思議な、得体の知れない生き物である。木でも草でもなく、よくよく考えてみると、植物なのか動物なのか判らないようなところがある。形も色も味も千変万化でもある。同じようなキノコなのに、毒のあるものもあり、食物としては油断も隙も許されない、危険極まりないところがある。この不思議さを追い掛けてみたいなと思っている。一口に菌というけど、この世界は私にとっては全くの未知の世界である。死ぬまでの間に少しは訪ねてみるのも面白かろうと思っている。
旅のあり方を依然模索中なのだが、旅の本質は「出会い」の中にあると思っている。その出会いの中にキノコの世界を取り込んでみたいというのが、今の思いなのである。
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