山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

連理の木

2010-02-20 03:59:17 | くるま旅くらしの話

先日NHKの連続朝ドラを見ていましたら、酢橘(すだち)やみかんを作っているおばあちゃんへのインタビュー場面の中で、おばあちゃんが「連理の枝」という話をしていました。木の枝と枝とがつなぎ合い結び合って、二本の幹を結ぶ共通の枝として存在するように、人と人との結びつきも同じようにそれぞれの一部となるという話でした。亡きおじいさんとの連理の枝の話をされているのが印象的でした。インタビューをした若い女性記者には、初めての言葉だったらしく、彼女もいたく感銘を受けたようでした。

これを見ていて、実際に見た連理の木というのを思い出しました。4年ほど前の5月に佐渡への旅をしたのですが、その時に片田舎の神社の森の中にその樹を見たのです。佐渡は平成の大合併で島全体が一つの市になってしまい、場所の説明が少し難しくなりますが、確かあの神社があったのは、小木の隣町の羽茂(はもち)町という所だったと思います。この町外れ辺りの田んぼの脇に少し小高い丘があり、そこに草刈神社というのの社が建っていました。私たちがそこを訪ねたのは、連理の木を見ようとしたのではなく、農村歌舞伎ならぬ能を上演する舞台を見ようとしたからなのです。

     

佐渡市羽茂町にある草刈神社。さほど大きくはないが古びていて風格のある雰囲気の神社である。

佐渡は観世流能楽の大成者ともいわれる世阿弥が、この島に流されたこともあり、その影響を受けたのか、島内にはたくさんの能舞台が現存しています。私自身は能のことは全く知識も見聞の経験もなく、従って殆ど何も解らないのですが、佐渡に来てその舞台を何回か見れば、何とか理解できるのではないかと密かに思っており、その下地として今回は幾つかの能舞台を見てみようと思ったのでした。何しろ家内の方は、以前から薪能に憧れており、まだしっかり見たという経験がないものですから、大騒ぎ()なのです。佐渡の能は、主に田植えの終った後の6月頃に各地で上演されるということですが、訪ねた時は5月であり、そのような情報を得たのも現地に行ってからでしたので、上演を見ることは出来ず、上演をする舞台しか見られなかったのです。

草刈神社の能舞台は、藁葺き屋根のいかにも農村らしい、素朴な風格のある佇まいをしていました。家内もすっかり魅了されたらしく、ワクワクしながら舞台の見学をしていました。5月の初めは丁度これから田植えの農作業が始まるという時期で、勿論能舞台などを構っている人は誰もおらず、恐らく神主さんも田んぼに入って田植えの準備に勤(いそ)しんでおられたのではないかと思います。神社も無人という感じでした。

   

草刈神社野能舞台。全体をと、少し離れた所から撮ったのだが、上手く写っていないのが残念。ここの能舞台は、茅葺屋根でつくられている。6月の中旬に能が演ぜられるということだった。

さて、その神社に参拝して、その後社の周りを歩いていますと、白い説明板立っているのに気がつきました。行ってみると「連理の木」という見出しで、次のような説明が書かれていました。

「連理の木 樹種:サカキ(本サカキともいい、暖地性で佐渡にはない木である) 

連理:二本の木の幹や枝が一つになっているのをいい、男女の仲のむつまじい様とされる。 

〇白楽天の『長恨歌』の中に『天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん』とある。 

〇また、草刈神社の祭神スサノオノミコトが、ヤマタノオロチを退治して、クシイナダヒメを助け、ヒメとの新居を作られるときに詠まれた御歌に、『八雲起つ 出雲八重垣 妻隠みに 八重垣つくる その八重垣を』とあって、夫婦相愛の歌、日本最初の和歌といわれる。 

草刈神社社務所

という内容です。後半のこれは古事記だったかの一文だと思いますが、連理の木と直接どう関係するのかが良く解りませんでしたが、まあいいやと思いました。

それで、その案内板に書いてある矢印の方に行きますと、ありました。連理の木というのが在ったのです。いヤア不思議というか、もうそれを通り越して少し不気味な感じがしました。サカキの樹というのは、木の肌が茶色ですが、その茶色の木の半ば中間下辺りの枝が、ぎゅっと突き出してそれが隣の同じ樹の幹に繋がっているのです。決して細い枝ではなく、かなり太いものでした。よくもまあこのような現象が起るものだなあと思いました。

   

草刈神社境内にある連理の木。2本のサカキががっちりと太い枝で繋がっている。相当に強い絆で結ばれている感じがした。

連理というのは、理が連なるということで、理というのはここでは木の木目のことを指すのだそうです。お互いの木目を共有するというのは、もはやこれは一体化したといってもいいのかもしれません。科学的にはどのような説明が出来るのかわかりませんが、植物にはこのような不思議な力が備わっているということなのでしょう。

ところで、私が初めて知った連理の木というのは佐渡の羽茂町の草刈神社のそれだったわけですが、日本全国を見てみれば、幾つかの名木があるのだというのを、後で調べてみて初めて知りました。今までは佐渡のものまでも全く忘れ去っていたのですが、これからはこれら植物自然界の不思議を、旅の間に訪ねてみたいと思っています。

考えてみれば、ドラマのおばあちゃんの、連理の枝という話は、男と女の一組の生き方について、或いは人と人との本物の交わりというか、心の通わせのあり方について、実に含蓄あることを語っていると思います。勿論それはドラマの作者、或いはシナリオライターの方の思いの吐露でもあったのだと思いますが、見事な使い方だったと拍手をしたい感じがしています。

一般論はともかく、私自身の家内との連理の枝はどうなっているのか、子供たちとのそれはどうなのか、又兄弟姉妹たちとの枝はどうなっているのか、思いを巡らせば、もしかしたら枝と枝とが触れ合ってもいない箇所があるように思えて、心に深く反省を覚えるおばあちゃんのセリフなのでした。

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