山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

甲信越ちょっと旅:第6日

2009-06-26 02:28:40 | くるま旅くらしの話

第6日 <6月16日()

道の駅:北信州やまのうち →(R292R117)→ 道の駅:ふるさと豊田(中野市)→(R117)→ 道の駅:花の駅千曲川(飯山市)→(R117)→ 道の駅:信越さかえ(栄村) → (R117R353・県道) → 松之山温泉:ナステビュウ湯の山(十日町市) → (県道・R353R253) → 道の駅:まつだいふるさと会館(十日町市)→ (R253R117) → 道の駅:クロス10十日町(十日町市)→ (R117R253R17・県道) → 道の駅:たくみの里(みなかみ町)→ (R17R291) → 道の駅:月夜野矢瀬親水公園(みなかみ町) → (R291R17R120) → 道の駅:白沢(沼田市) (泊)     <220km

今回の気まぐれ旅も終わりに近づいている。来週から邦子どのの介護当番が始まるので、遅くとも18日までには帰宅しようと思っている。今日は未だ行ったことの無いエリアの下見をした後、上州に抜けて沼田の先にある道の駅:白沢に泊まろうと考えている。下見の中では、温泉博士に載っている松之山温泉に入るのを楽しみにしている。何だかんだ言いながら、気がつけばいつの間にか温泉めぐりのようなことになってしまっているようだ。やっぱり年寄りには温泉が一番の楽しみとなってしまっているのかもしれない。

早朝ものすごい騒音に外に出てみると、りんごの消毒をするダンゴ虫みたいな作業車が、隣接するリンゴ園の中を煙のような霧を吹いて動いていた。この作業車には、青森などの旅先でも毎度お目にかかっているけど、いつも思うのは、あれを運転している人は良くもまあ無事で生きておられるものだということだ。虫が駆除される前に運転している人そのものが駆除されてしまうのではないか。たちまち消毒薬の臭いが流れてきて、異常過敏な邦子どのが体調不良を訴えたので、すぐさま道路の反対側にあるもう一つの駐車場に移動した。しかし、100mほど移動しただけではダメらしく、又この隣もりんご畑であり、新たな消毒薬散布車がやってくるかもしれないので、急遽この道の駅を離れて、もう一つ近くの道の駅:ふるさと豊田の方へ向うことにして出発。落ち着きの無い早朝からの出来事だったが、生命にも関わることなので、仕方が無い。豊田の道の駅には20分ほどで到着。こちらの方は、薬害は大丈夫のようである。まだ6時半だった。ここでゆっくり朝食とする。それにしても、あの消毒ぶりを見ていると、りんごを食べるのには勇気が要る感じがする。そのようなこともあって、最近はりんごを殆ど食べない。我が家の年間消費量は10個にも満たないのではなかろうか。どうも白っぽい液の乾いた粉らしきものなどが残っているのを見ると、あの赤いダンゴ虫のような散布車を思い出してしまい、買う勇気が萎えるのである。

朝食の後もゆっくりして、出発は9時近くになった。この間、先ほどの移動中にエンジンオイルの警告灯が点滅したので驚き、急遽オイルの補給をする。ディーゼルエンジンはオイルの消損が多いというので、要注意である。オイル交換時にたっぷり入れて貰うように頼んでいるのだが、たっぷりの意味が人によって受け止め方が違うのかも知れない。常に補給用のオイルを持っているので、よほどのことが無い限り、焼損などという事件は起きないと思う。先ずはR117をのんびりと北上することにする。

千曲川に沿っていい気分でしばらく走ると、道の駅:花の駅千曲川というのがあった。勿論初めての駅である。ちょっと覗いたが、地元の優れた農産物などが数多く並べられていた。まだ新しい駅なのか、農産物を運び入れる農家の人たちや店の人にも活気が見られた。てんぷら用にズッキーニの花が売っているのを見て、邦子どのはかなり関心を持ったらしいが、今回は天ぷらの用意をしてこなかったので、見送りとなった。自分は、濃い紫色の花を咲かせているホタルブクロがあったので、それを一鉢買った。家に帰って大事に育てたい。思いがけなく珍しい野草などが手に入るのも、くるま旅の楽しみである。大いに満足して出発。

千曲川というのは、どこから信濃川に変わるのだろうか?どうも良く解らないけど、長野県では千曲川、新潟県に入って信濃川となるらしい。どちらも著名な同じ川なのに、県が変わると呼び方が違うというのは何だか変な感じだ。その県境にある長野県側の栄村の道の駅:信越さかえに立ち寄る。道の駅の直ぐ下が崖になっているようで、そこを千曲川が流れている。この川が300mほど隣の津南町に行くと信濃川となるわけである。しかし、信濃というのは長野県のことなのだろうから、新潟県なら越後川とでも言うべきではないか。ヒマなので、運転しながらつまらぬことを考えたりしている。道の駅:信越さかえは、生憎と休みだった。何か山菜の類はないかと期待していたのだったが、残念である。

   

鮮緑に染まる千曲川。新潟県との県境の栄村付近のこの辺りは千曲川だが、あと数百メートル足らずで信濃川となる。

津南に入ってしばらく走り、十日町市に入って直ぐ左折して信濃川を渡り、山道をしばらく走って松之山エリアに入り、温泉の方に向う。この辺りは雪が深いと聞く。津南町は山菜の名所でもある。春先に一度来て見たいと思っている場所でもある。今日通過して見た感じでは、相当の山の中のようで、さぞかし山菜は豊富に違いない。そのようなことを考えながら松之山温泉の日帰り入浴施設の「ナステビュウ湯の山」に到着する。良い天気で、かなり暑くなってきている。温泉に入るのには少し場違いな時間でもある。このところの入浴は、殆どが日中になっているけど、今日は又なんと10時20分である。この時間に風呂に入るのは初めてのような気がする。さすがに1時間も入るのは無理で、早めに出ることとなった。良い湯だった。今度はもっとゆっくりと、ここに泊まるつもりで来訪したい。この近郊は魚沼の米どころだが、その一部を担う棚田が多くあるらしい。邦子どのはその写真を撮りたいと話していた。来年辺りにもう一度来たいなと思いながら、温泉におさらばしたのだった。

松之山温泉からは、少し先にある道の駅:松代ふるさと会館に向う。このあたりは平成の大合併で、皆十日町市になったようである。道の駅:松代ふるさと会館は、ほくほく線発祥の地だとかで、鉄道の駅と一緒に造られていた。ほくほく線というのは、あまり良く知らないけど、JRではないらしい。六日町と上越市とを結ぶ60kmほどの区間で、東京方面からこの鉄道を経由するとかなり時間が短縮されるとかで、JRの特急が走っており、それで潤っているらしく、黒字路線だとか。これは後で調べたことではある。発祥の地というのはどういうことなのか良く解らないけど、立派な石碑にそう書いてあった。10分ほどで直ぐに出発。

松代の道の駅を出て少し行くとトンネルが幾つかあり、少し下って平野となり、再び信濃川に架かる橋を渡ると、そこが十日町市である。ここで昼食にすることにして、道の駅:クロス10十日町に車を停める。今日の昼食は今回二度目の外食で、この地の名物であるへぎそばを食べることにした。名物なのは知っていても、自分としては始めての土地であり、へぎそばも食べたことがない。皆、邦子どのから聞いた話である。邦子どのは何年か前、フォークダンスのクラブの団体旅行でこの地を訪問したことがある。道の駅の駅舎の中にもその蕎麦屋さんの店があり、市内の様子が判らないので、とりあえず空いてきた腹を満たすべく、そこに入ることにした。へぎそばというのは、そばの中に海草を入れて作るらしく、少し色が緑がかっている。健康に良さそうだ。今まで蓬(よもぎ)でも入っているのかと思っていたのだが、見当違いだった。2人前が大きな木枠に入って出てきて、かなりのボリュームだった。食べてみると、美味い!蕎麦だけの味とは少し違うけど、海草が蕎麦を引き立てている感じで、滑らかで良い食感である。若いときなら一人で全部を平らげるに違いないと思った。しかし今はこれで十分である。

   

へぎそば2人前。二人では少し物足りないが、一人では多過ぎるといった感じの分量である。あと1列くらい増やしてくれればいいのにと思ったりした。美味なり。

蕎麦を食べた後は、30分ほど別行動で好きな所を見ることにする。自分は駅舎から出て、市内のアーケード街を歩いてみた。これらのアーケード街は、冬の間の雪に対処するために作られているのであろう。メインの商店街に連なって作られている。以前栃尾市(今は長岡市)を訪れた時、それらは雁木(がんぎ)と呼ばれていたのを思い出す。栃尾ではかなりの昔から木製で作られていたとか。十日町も雪の深い所だから、このようなものが必需品なのだなと思いながら、商店街を往復した。この街の商店街は、シャッター通りにはなっていないようだった。雪と車社会との関わり合いを垣間見た感じがした。13時半、三国峠の方に向け出発。

R253を六日町方面に向って走ると、やがて長岡と東京を結ぶR17にぶつかる。それを右折して塩沢・石打などスキー場で有名な場所を通過する。このあたりは合併して南魚沼市となった。少し走って湯沢町の宇佐美で給油を済ます。石打も湯沢も、スキーに縁のない自分は、未だ来たことが無い場所である。東京近郊に住んでいて、スキーをやる人ならば、誰でも一度くらいは来ている所なのだと思う。湯沢などはすっかり都市化されていて、冬のリゾート地の賑わい振りが見える感じだった。

川端康成の小説「雪国」の書き出しの文章は有名だが、自分たちの今日は、「国境の長いトンネルを抜けると雨だった。」ということになる。坂を登って三国峠の下のトンネルを潜って群馬県側に出ると、雨降りの世界がそこにあった。方向も天候も「雪国」とは違うし、乗っている乗り物が列車ではなく車であるというのも、時代の変化を映しているなと思いながらの運転だった。九十九折れの長い坂を下って、猿ヶ京温泉を過ぎると、道の駅の案内板が現れた。R17からは右折して少し中に入った所である。「たくみの里」という駅名である。初めて聞く名なので、ちょっと寄ってみることにした。

道の駅:たくみの里は、なかなか魅力的な、特徴のある場所だった。様々な体験工房などがあり、それが集落全体に亘っている感じがして、ちょっと寄ったくらいではその良さが十分判らないと思われるほど、スケールの大きな文化交流地のようである。短い時間だったけど駅舎付近をざっと歩いてみて、今度来る時はここに数日滞在して何か体験してみるのもいいかなと思った。豆腐作りや蕎麦打ちなどの体験の他にこんにゃく作りなど、農村の手工芸を体験できるということである。通過するだけの、仮眠するだけの道の駅とは少し違う雰囲気があり、とても親近感を覚えたのだった。

その後は、再びR17に戻って、少し先にある道の駅:月夜野矢瀬親水公園も覗いてみた。ここは駅舎だけではその良さがわからない感じがした。親水というのは利根川の水に親しむということなのだろうけど、駅舎からはそのような気配は感じられない。16時近かった所為もあり、農産物などもあまり魅力を感ずるようなものは見出せなかった。直ぐにR17に戻り、沼田市を目指す。もうこの辺りまで来ると、山が少し遠くなって、平地が増えてきている感じがする。利根川の浸蝕がこのような地形をつくり始めているのかもしれない。沼田市の郊外で利根川を渡って、日光へ向うR120へ入る。沼田市外を抜けて少し走ると間もなく道の駅:白沢である。水上町辺りでは止んでいた雨が、沼田市街に入る頃から再び降り出し、道の駅に着く頃は篠つく豪雨となった。ワイパーを高速にしても追いつかないほどである。まだ17時前だというのに、まるで冬の季節のように暗闇がかっていた。この旅の間、必ずしも良い天気ばかりではなかったけど、これほどの酷い降り様は無かった。

とにかくここに錨を下ろし、夜を迎えることにする。この道の駅は温泉もあり水も汲めるしゴミ箱もある。そして販売されている野菜なども新鮮で価格も良心的である。くるま旅の者にはありがたい場所である。ファンの人も多いのではないか。我々もファンの一人であり、何度かお世話になっている。もう一度温泉に入ってもいいかなと思っていたけど、この雨では外に出るのも大変である。それに温泉のはしごというのは、贅沢すぎるかなと風呂は思いとどまり、早めに休むことにした。その後少し小止みとなった時間も合ったが、深夜近くまで断続的に豪雨が天井を叩いて、大荒れの天気だった。明日は金精峠を越えて日光へ出るつもりでおり、大丈夫かなとの不安を抱えた一夜だった。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 甲信越ちょっと旅:第5日 | トップ | 甲信越ちょっと旅:第7日 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

くるま旅くらしの話」カテゴリの最新記事