山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

日本一の新年会

2011-01-09 03:04:09 | 宵宵妄話

  今日の話は、自画自賛というか、勝手にそう思い込んでいる世界での話です。

 昨日は久しぶりに県都の水戸まで出かけました。毎年行なっている高校卒業時のクラスの新年会に出席するためです。世の中では、たくさんの種類の新年会が催されていると思いますが、私はこの新年会は日本一のものだと思っています。何故日本一なのかといえば、その内容が、真に新年会に相応しいものだと確信しているからです。日本広し(あまり広くもないか?)と雖も、他にこのような新年会は存在しないのではないかと思うからです。

何故そう思い込むのかといえば、私が幹事代行をしているからというのではなく、他の新年会には無いと思える幾つかの特徴があるからです。それらについて紹介しましょう。

まず第一に、この新年会は高校卒業後、一度も中断することなく現在まで続いているということです。18歳で卒業ですから、71歳の現在では連続53回開催されていることになります。つまり半世紀の歴史があるということです。

次にその出席者の多いことです。今日は17名の出席でしたが、前回は21名の出席でした。卒業時のクラス在籍者の半分には満たないのですが、50年以上経った今でも、毎回これだけの数のメンバーが集まる新年会などというものを私は他に知りません。

三番目は、酔いに任せて唄など歌って、騒ぐなどということは一切無しの集まりだということ。そして、今回などは会を始める前に、有志が集って、亡き恩師やクラスメートの墓参り(6名の物故者がいます)をし、宴の初めには黙祷を奉げて冥福を祈るということを行なっています。

このような紹介の仕方をすると、そりゃあ新年会じゃあないのでは?ということになるのかも知れません。しかし私的に言わせて頂けば、忘年会と変わらぬ内容の憂さ晴らし的な宴会は、それこそ新年会には相応しくないと思っています。新年会というのは、新しい年を迎えて、今年一年を良い年にして生きてゆこうと、全員が、そして一人ひとりがしみじみと実感できるような場であることが、それに相応しいのではないかと思うのです。酒席になれば、大騒ぎするというのは、若者に任せておけばいいことで、年を経てくれば、そのようなことはもう卒業しても良いのではないでしょうか。

私達の新年会は、簡単に言えば昨一年の近況報告会といえるかもしれません。一人ひとりが順番に、この1年を過した中での出来事や印象事などを報告し、時々メンバーから質問が飛び出してのやり取りがあります。一人3分の持ち時間は、10分ほどにもなることもあり、全員が話を終るまでには、結構時間がかかるのですが、それぞれの話は実に面白くて、時の経つのを忘れ、あっという間に終わってしまうという感じです。同じ年齢、同じ世代の生き方についての様々な情報が入り乱れ、普段の暮しではなかなか得ることの出来ない刺激を、それぞれが感ずることができて、少しも退屈しないのです。

学び舎も時も同じではあれ、その後の暮しは皆異なり、まさに多士済々です。現役時は殆どが指導的な役割を果たしていた人たちですから、皆個性が強いのです。他人と同じことをしようと考えている人物など一人も居ません。皆、それぞれに己の信念に基づいて生きようとする人物ばかりです。現役を退いた後は地域の中で、指導的立場で趣味を生かし育てている人、或いは未だ引退が叶わず仕事を引きずっている人、経営者として実業に身を置き先頭に立って活躍している人、もう一度理系の勉強をし直そうと学校に通って、年下の仲間と学びながら時々難しい質問を浴びせて、若い先生を困らせている元技術者、引退後改めて文学書を読み始めた科学者や短詩形文学にのめり込んだり、古文書にうつつを抜かす技術者等々、実に面白い連中ばかりなのです。このような人たちの夫々の年間報告は、国会答弁などを聞くよりは遙かに面白く、飽きません。

この集まりが50年以上も続いてきたのには勿論理由があり、その一つがクラスを担当された恩師の情熱と言うか、このクラスにかけられた思いの強さと深さがあります。恩師のI先生は、惜しくも3年ほど前に身罷られましたが、生前は毎年この新年会にご出席されるのを本当に楽しみにしておられました。この先生が、卒業後30年経ったときに、卒業時に皆で作成した記念文集の復刻版を自費でお作りになり、クラスメート全員に送って下さったのです。この復刻版を頂戴するまで、私なんぞは毎年新年会が開かれていたことなどつゆ知らない存在でした。丁度転勤で東京へ戻った時でもあり、それ以来特別の支障が無い限りは必ず出席するようになったのです。I先生はこのクラスの、集団としての凝集力の核として、今でも大きな力を発揮されていると私は思っています。

もう一つの長続きの理由は、長いこと幹事役を引き受けてくれたKさんと、それを支えてきた皆出席の諸兄の働きがあったからだと思います。何ごともそうですが、表に立つ人の蔭や裏には、それを支える存在が必ずあるものです。このクラスにも、自分のことは忘れてもそれぞれの役割を担って尽力された人が居られたのです。おかげさまで、今日まで絶えることなくこの集まりが続いているのだと思います。

私は数年前からこの新年会の代行幹事として役割を担当することとなりました。つまり、日本一の新年会の事務方を担当することになったわけです。このままで行くと、あの世への旅に出発するまで担当することになりそうです。そうなると、ちょっぴりこのクビキ(頚木)から逃れたいなという気持ちも生まれてきて、日本一とはいえ、少々気の重さも感じています。そんな事で今日ちょっぴりその旨の問題提起(?)をしましたら、代行幹事をもっと増やして協同体制でやって行こうという話となりました。実態がどう変わるのか良くわからないのですが、日本一なのだから、ま、いいか、ということにしました。(これは愚痴です)

日本一の新年会から戻って、さあて、この一年をどう過してやろうかと、もう一度くるま旅のことを含めて、考えているところです
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 新たな食飲生活への挑戦 | トップ | 本物の冬 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

宵宵妄話」カテゴリの最新記事