山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

へのへのの旅(07東北春旅)第2回その2/2

2008-06-18 05:32:17 | くるま旅くらしの話

283からR294に再び戻って、小川町(今は那珂川町)へ。ここで「那須風土記の丘」という案内板が目に入った。いつも目にしているが、今まで一度も寄ったことがなかった。今日は昨日の続きもあってか、気になって入ってみることにした。「○○風土記の丘」というのは、良く見かける案内板で、全国に幾つかある施設のようだ。良くわからないけど、国が関与した施設なのであろうか。

那須風土記の丘は小川館と湯津上館の二つに分かれて作られている。まずは小川館の方へ、県道を通って山の手へ。なかなか立派な施設だった。一体が町の公園文化施設となっているようで、2軒の古民家なども移築され、丘の上には展望台なども造られていた。風土記の丘の本館の他に「なかがわ館」という建物があり、これの建設に158,300,000円かかった旨の表示がしてあったが、殆ど使われている様子もなく、何に使うのかも町民の大半は良くわからないと思われるような建物を、何故大金を使って造っているのかよくわからない。又、何故わざわざ金額を表示するのかも不可解である。本館に入る前に、何だかこれらの施設が、本当に必要なのか疑問を感じてしまい、風土記の資料などを見る気分がガクンと低下するのをどうしようもなかった。

風土記の丘の本館は、入ってみるとなかなか素晴らしかった。しかし、石器や縄文や弥生の土器などが多く展示されており、そのような古い昔のことはなかなか理解できず、難しい。とにかくかなり古い昔からこの辺日一帯に人が住み着いていたらしい。考古学というのは、興味はあるけど難しすぎて、せいぜい土師器と須恵器の違いくらいしかわからない。直ぐに忘れてしまう。奈良時代以降でないと、なかなかその時間の流れを実感できないなと、改めて思った。

見学を終えた後は、敷地内にある蕎麦屋で昼食。ここの蕎麦は美味かった。次は湯津上館へ。こちらは小川館と比べて迫力がなかった。隣接されている民俗資料館も見学したが、何処でも見られるようなものばかりで、然して印象に残るようなものは見当たらなかった。

途中道の駅:伊王野(那須町)に寄ったが、混んでいて駐車もままならずパス。未だ時間があるので、久しぶりに白河の関所跡をたずねて見ることにした。県道を行こうとしたのだが、しばらく走ってどうやら道を間違えたらしい。しょうがないので、元に戻って国道を遠回りして行くことになった。このような道の違え方はあまり楽しくない。地図と現地とはやっぱりかなり違いがあるものだなと改めて思った。5万分の一の地図なら大丈夫なのだろうけど、地図帳となるとせいぜい10万分の1くらいの縮尺となるので、県道以下のレベルの表示では、道に迷うことが結構多くなる。

久しぶりの白河の関所跡は、かなり人出が多くて、駐車場も満杯に近かった。休日でいい天気なので、子供たちを中心とした家族連れが多い。関所跡の森はカタクリの名所だということだが、花はすっかり終わって、カタクリは青い小さな実をつけていた。関所に思いを馳せるでもなく、唯新緑の森の中をウロウロ歩き回って、それだけで満足である。天気がよすぎて、太陽が眩しく、木陰に入らないと暑くてたまらないほどである。このまま夏になることはあり得ないけど、季節を跳び越えてあまりに暑いのは歓迎したくはない。

  

  奥州三関所の一つ、白河の関跡(福島県白河市)

白河から伊東さんの所までは30分くらいの距離である。4時少し前到着。これでお邪魔するのは3度目だろうか。親戚の家を訪ねるよりも遙かに嬉しく、楽しい気分である。大歓迎をして頂いて、その夜は、美酒と歓談に酔いしれて、やがて前後不覚となって寝床の中へ、となった。

楽しかった歓談の内容は、二家族だけの秘密であり、ここには書かない。

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