山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘16年 東北春短か旅 レポート <第6回>

2016-05-21 05:38:34 | くるま旅くらしの話

【今日(5/21)の予定】 

  道の駅:遠野風の丘 →(R340)→(宮古経由)→(R45)→ 道の駅:久慈(泊)

 

【昨日(5/20)のレポート】  天気:晴れ

<行程>

道の駅:遠野風の丘 →(R283・R340・K他)→ 荒川高原牧場 →(K他)→ 早池峰神社(附馬牛地区)→ 江川牧場 →(K・R340・R283)→ 道の駅:遠野風の丘 →(R283・R340他)→ たかむろ水光園 →(R340・R283)→ 道の駅:遠野風の丘 (泊)

<レポート>

 朝2時過ぎに起床。昨日はブログの原稿を書いていなかったため、今朝に持ち越したのだが、なかなかスムースに記事が書けず、書き終えたのは既に日が昇っていた6時近くとなってしまった。4時間近くもかかったことになる。要反省。

 今日もいい天気のようだ。遠野の道の駅は、皆さん働き者で、そうちょうの時過ぎには野菜や苗などを運んでくる農家の軽自動車で賑わっていた。店の開店も8時からと、他所の土地よりも1時間も早い。くるま旅の者には元気を頂けるものとなる。ここは風の丘と名付けられているように、普段から風の通り道となっているようなのだが、昨夜も今朝も風は殆ど無く、敷地の脇に設けられた風車も殆ど動いていない。あまり風の好きでない我々にはありがたい天気が続いていて助かっている。

 今日も一日のんびり過ごす予定で、先ずは重文景(=重要文化的景観)指定の荒川高原牧場に行き、高原の大気を胸一杯吸った後、次は二つある早池峰神社の里宮の内の上附馬牛という地区にある早池峰神社に参拝する予定である。ついでにあわよくば、神社の少し先にある江川牧場へ行ってどぶろくが手に入ればと思ったりしている。あとは特に何も予定はしていない。

 8時半過ぎに道の駅を出発する。附馬牛に行く道の入り口を間違え行き過ぎてしまって引き返したりして、無駄な時間を使ってしまった。元に戻って、途中にある遠野ふるさと村に立ち寄る。ちょっと覗いただけで、中には入らない。直ぐに出発して、途中から右折して荒川沿いの道をどこまでも登ってゆく。道は新緑の燃える樹木たちに包まれており、何とも言えない清新さだ。空気が美味い。30分ほど登り続けて牧場の入口に到着。そのまま走り続けて少し行くと広大な視界が開けて、牧場の本体が現れる。遥か彼方に雪を戴いた早池峰山が見えるのだが、今日はすでに気温が上がっているのか、かすんでいてはっきり見えないのが残念。北海道の山の牧場に勝るとも劣らない広さである。伸び始めた牧草が青々と光り、間もなくやってくる馬や牛たちを待っているのであろう。休憩所も何もない自然のままの牧場なので、途中まで行って引返すことにした。

 ここで疑問が一つ湧いた。前回来た時は桜が咲いていて、道脇にたらの木が点在して、その芽を大量に収穫したのだが、今回はそれらしき牧場脇の場所がどこにも見当たらないのである。それに前回はこれほど広大なスケールの牧場には見えなかったのも不思議である。どうやら前回とは違う道を通って来たらしい。どこで取違えたのかが気になり、引き返して入口近くにある細い道を入って行くことにした。すると、たちまち前回の風景の記憶が戻って来た。どうやら正解は今回の方のようで、前回は牧場の本体を見ていなかったようである。で、タラの芽はどうなっているかと、同じ場所へ行ってみたのだが、もはや芽は消え去って、大きな葉が笑いかけているばかりだった。未だ少しは出遅れた木もあるのではないかと期待したのだが、今年は春の到来がいつもよりも早かったようで、期待は甘すぎたのを実感する。タラの芽の収穫はなしだったけど、牧場の本体を見ることが出来て良かったと満足する。

   

荒川高原牧場の景観。もう草がかなり伸び出している。牧場の広さを撮るのは難しい。遠くに早池峰山が見えるのだが、今日は霞んでいてはっきりしないのが残念。

 荒川高原牧場は遠野市に二つある国指定重文景の内の一つで、その昔東北地方では馬の飼育が盛んだったのだが、この地方では「夏山冬里」と言って、馬の飼育法として冬は里の曲がり屋の中に一緒に住まわせて馬を買い、夏になるとこの荒川高原の牧場に連れて来て放牧飼育を行った、その当時の原形をとどめているの景観がこの牧場なのである。里中の馬が集められて放牧されるさまは、壮観だったのではないか。馬に寄り添うそれぞれの人々の思いなども浮かんで来て、やはりここへ来て良かったなと思った。

 次は早池峰山麓の一つ丘を越えた所にある早池峰神社に向かう。この辺りは附馬牛(つきもうし)と呼ばれる地区で、早池峰神社は上附馬牛にある二つある早池峰神社里宮の一つである。勿論本宮は早池峰山頂ということになる。何年か前にこの神社を訪れた時は、拝殿の屋根が朽ちて下がりかけており、古びた風情を通り越して何とも不気味な感じすら感じさせられたのだったが、今回訪れて見ると、屋根は葺き替えられて一新されており、全く違う雰囲気となっていた。全体的には重厚な雰囲気があり、早池峰の山のこの地方における影響力を代表する神社なのだなと改めて思った。

   

早池峰神社の拝殿。屋根はきれいに葺きかえられており、以前来た時とは雰囲気が全く変わってしまっていた。

 丁度昼時となっている時刻なので、ここでご飯を炊いて昼食にすることにした。境内脇の駐車場には杉の大木の木陰があり、涼風も良く通って、快適だ。このような場所でご飯を食べるのは不謹慎なのかもしれないけど、神様に守られて食べているのだと、勝手に解釈して感謝しながらの食事だった。境内には未だ二輪草などが咲き残っており、小さなお花畑を作っていた。その中には小さな小さなフデリンドウなども点在して咲いており、これはよくよく注意してみていないと見つけにくいものである。今回も相棒の手柄だった。杉やイチイなどの大木の下にひっそりと咲く花には、誰だって愛おしさを感ずるものであろう。癒された時間だった。

   

早池峰神社境内の木立の中の陽だまりに見つけたフデリンドウの一株。小さいながらも懸命にその存在を主張しているかのようだ。

 昼食を終え参詣が終わって、直ぐ近くに江川牧場というのがあり、ここでどぶろくの製造が許可されていると以前TVで見たのを覚えており、行って見ることにした。5分もかからぬ内に着いたのだが、どうやら昼時なので牧場の皆さんは休憩中らしく人のいる雰囲気が感ぜられず、お邪魔するのは控えることにした。この辺りは未だ八重桜が咲き残っており、その他の花も今を盛りに紅白様々な彩りで咲き乱れていた。

 Uターンして遠野の市街地の方に向かう。相棒が来る時に寄ったふるさと村で買い物をしたいというので、もう一度寄ることにした。途中の田園風景といえば、この地方の田植えは植え時が遅いのか、今がその真っ盛りらしく、田植の機械が忙しく働いていた。水を張った水田が、早く植えてくれよとせがむ如くに、おちこちに光を放っていた。一時田植えというのは北に行くほど早いものだと思っていたのだが、この頃は全国どこでもあまり変わらなくなっているように思えた。稲の品種改良が大きく進歩して来ているからなのであろう。そのようなことを想いながらの走行だった。

   

道脇のあちこちにこのような田植えの準備姿が見受けられた。米作り農家にとっては、秋の収穫期に並ぶ大忙しの時期である。

 途中で相棒がどうしてももう一度山口集落にあるデンデラ野を見たいというので、そこへ向かうことにする。デンデラ野というのは、棄老慣習の一つで、この地方ではその昔暮らしの貧しき厳しさのために、働く力の弱まった60歳の還暦を迎えると、このデンデラ野と呼ばれる小さな草叢の広場の片隅にある掘立小屋で、共同生活をしながらあの世からお迎えが来るのを待つという、哀しい習わしがあったという、その現実の場所なのである。この辺一体の昔の様子は、彼の柳田国男の遠の物語にも載っており、それらの話の提供・協力者の佐々木喜善氏の住まいも直ぐ近くにある。この辺りも又重文景に指定されており、如何にも数々の民話が生まれそうな山奥の農村の暮らしを想わせる風景が残っている。

 デンデラ野に来るのは二度目である。小さな坂を登ると展望が開けて、そこが老人たちが共同生活をした草叢であり、その隅の方に「あがりの家」と呼ばれる小さな藁ぶきの掘立小屋が建てられていた。往時であれば、もっと貧しい姿だったのかもしれない。中を覗くと、真中に囲炉裏が切ってあり、そこに鉄瓶一つが掛けられる自在鈎があるだけで、恐らく老人たちはその周りで暖を取りながら否藁や藁の筵(むしろ)の中で、毎夜を送ったのであろう。何とも哀しい、残酷な景観だった。

   

デンデラ野の景観。中央彼方に見えるのはあがりの家の掘立小屋。自分など、往時であればこの小屋の長老格となっているに違いない。否、それまで生きていられるはずがない。

 デンデラ野を見た後は、相棒が温泉に入りたいというので、道の駅案内の情報誌に載っている温泉に行ったのだが、料金とは全く釣り合わない施設なので、止めることにして一度道の駅に戻り、そこでよい施設があれば紹介して頂くことにした。道の駅の案内の方はとても親切丁寧で、先ほど近くを通ったたかむろ水光園というのを紹介して頂いた。早速もう一度そこへ向かって出発する。結果的には超ラッキーで何と金曜日は特別料金で半額なのだという。十二分に満足して入浴を終え、再び道の駅に戻る。今夜もここ泊まりである。昨日よりも空いている感じがした。静かな一夜が送れるようである。

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