山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘14年 北陸・関西・中四国への旅 レポート <第14回>

2014-11-22 07:26:45 | くるま旅くらしの話

【今日(11/22)の予定】 

道の駅:今治湯の浦温泉 →(R197・西瀬戸自動車道他)→ 道の駅:しまなみの駅:御島 → この後は島に滞在して静養の予定

【昨日(11月21日:金)のレポート】  天気:曇り後晴れ  走行121km

<行程>

道の駅:みなとオアシス八幡浜みなっと →(R197他)→ 大洲市内観光 →(R56・R11・R196)→(松山市街地経由) → 今治湯の浦温泉:ホテルアジュール汐の丸(♨)→ 道の駅:今治湯の浦温泉(愛媛県今治市)(泊) 

<レポート>

 八幡浜の道の駅は、八幡浜港のすぐ傍にあって、そこからは間近に絶壁ともいえるようなみかん山が目に飛び込んでくる。八幡浜も宇和島と並ぶミカンの産地であり、この港から伸びる三崎半島に沿ってずっとミカン畑が続いている。先日の遊子水荷浦の段畑と同じようなこの辺に住む人たちの執着心の造り上げたのが、あのミカン畑ではないのかと思ったりした。このようなミカン畑は、半端な気持ちで出来るものではない。

    

八幡浜港の西方には見上げるようなミカン畑の山がどっしりと構えている。この辺りはミカンの名産地としても知られている所だ。

 昨日手に入らなかった海産物の獲物が何かないかと期待したのだが、焼き物はないようで、やはり名物のじゃこ天に落ち着いたようだった。じゃこ天というのは雑魚類のすり身を天ぷらにしたもので、自分的にはこれが最上の天ぷらだと思っている。パソコンに気をとられている間に、相棒が揚げたてのじゃこ天をゲットして来て、直ぐにそれを口に入れたのだが、うめ~の一言だった。瀬戸内海沿岸のじゃこ天は、魚種が多いだけに他の地域とは違った魚の本物のミックス味を味わわせてくれるような気がする。

 今日は基本的には移動日で、特に予定もないのだが、一応大洲観光を予定している。大洲は内子町の隣にあって、小京都なる雰囲気のある町並みが残っていると聞いている。しかし自分たちはまだ一度もそこを訪ねたことがなく、いつも通過しているばかりだった。今日は、少し時間をかけて歩いてみようと思った次第である。9時半ごろに八幡浜を出発して、30分足らずで大洲の道の駅ならぬ町の駅に到着。ここの駐車場に車を置いてしばらく町中の散策に出向くことにした。予めの情報では、観光の目玉は臥龍山荘と大洲城、それにおはなはん通りだという。それぞれがどのような歴史的な背景を持っているのかは全く知らないままの訪問だった。

 先ずは臥龍山荘という所を見に行く。大洲といえば今頃は鵜飼などが有名となっているが、何処でどのように行われているのかは全く知らないままでの訪問だった。この町には肱川(ひじかわ)という清流が流れており、臥龍山荘は、その川が小さな渓谷を刻んだ淀みの淵の上に造られた、なかなか風情ある建物だった。殿様や金持ち商人などが関わった遺産なのだろうなと思った。ま、経歴はどうであっても。今の世にまでこのような建物が残っていることは価値あることには違いない。何枚かの写真を撮ったが、あまりうまくは行かなかった。

    

肱川が刻んだ渓流の崖の上に、瀟洒な茅葺屋根の建物が遠望できるのだが、足場が悪くて、上手く写らなかった。

 その後は、相棒と別れて、宇和島城の方へ行って見ることにした。肱川の堤防を少し歩いて、赤レンガの遺産建築の大洲商業銀行の脇を通って、R56を横切ってお城の方へ行ったのだが、間近ないい写真が撮れると思って行ったのに、城を見上げる絶好の写真スポットの前には、不格好な市民会館とやらの邪魔ものが立ちはだかって、カメラの撮影を拒絶しているかのようだった。何でこの場所にこのような無風流な建物を造っているのか、行政当局者の意向が全く理解できない気持になった。わざわざ城の天守閣などを復元するのならば、それはこの町にやって来る人たちにより強い印象持って貰おうという考えがあってのことに違いないと思うのだが、この町では、ランドマークたる城郭の景観を只遠望するだけに任せているような気がしてがっかりした。大洲城というのは、遠くから見るだけの城であり、近づくと見えなくなる城である。そのような不愉快な印象を強くした。しかし、市民会館の裏に出ると城は目前で、きりっと姿を現した。今回は中に入るのを止め、そこで写真を撮るだけにして車に戻ることにした。今度来た時には中に入ってゆっくり見物しようと思った。

    

明治・大正期の遺産として残る赤煉瓦の建物。元大洲商業銀行。大正2年7月現在で、資本金64万円、積立額12万円と銀行の入口の看板に書かれていた。

    

大洲は鵜飼い船の観光でも有名なところである。今はシーズンオフなのか、肱川の河原には何艘もの観光船が休んでいた。

    

大洲城の景観の天敵とも思える市民会館。この建物の向こう側に大洲城があるのだが、その美麗さを遮断して止まない愚かな建物だと思った。

    

大洲城。この城は遠くからの眺めに応えるかのような雰囲気を持っている気がした。次回は中に入ってみることにした。

 おはなはん通りというのがあって、それはかなり昔にNHKの朝ドラで同名のドラマの放送があったのに因んで名づけられたようである。もうそのドラマのストーリーなどは忘れ果てているのだが、ここでは未だに大切にこのような形で歴史をなぞる形で残っているのを不思議に思った。映画やドラマが歴史の史実だというような捉え方には少し疑問も残るけど、歴史というのは疑問の塊で出来ているのだと思えば、まあ、いいかという気分にもなる。11時過ぎまで下見的な散策を続けた大洲の町だった。

    

おはなはん通りの景観。ここよりもむしろこの裏側(本当は表?)の方に大洲の昔が残っているようである。

 その後出発して、少し走って大洲の郊外でコインランドリーを見つけて、ここで今までに溜まった洗濯物の処理をする。今回の旅では第1回目の洗濯だった。これは相棒の担当で、自分は只待機するだけ。終了までに2時間近くかかったが、この間に昼食も済ませる。洗濯が終わるたびに、旅の時間が経過したのを実感する。

 その後は、ひたすら移動時間となる。大洲から内子を経由し、山を越えて伊予市に入り、松前町から松山市に入り、中心街を掠めてR11に入り高松方面へ。東温市という何だか違和感のある名称の新しい市を通って、山を越えて西条市に出て、県道経由で今治市の湯の浦温泉を目指す。今日は温泉博士に載っている湯の浦温泉にあるホテルアジュール汐の丸という所に行き、その後近くにある道の駅に泊るつもりでいる。洗濯するのが少し遅くなったのと、思ったよりも大洲からの距離が遠かったこともあって、温泉に入った時は17時近くになってしまっていた。それでもいい湯を楽しんで、道の駅には18時ごろに到着。既にすっかり日は暮れて、辺りは暗くなっていた。この道の駅はR196のすぐ傍にあり、加えて近くに信号のある交差点があるので、今夜の騒音禍は免れないなと思った。無理をすれば来島海峡の橋を渡って、しまなみ海道の中の道に駅にも届くのだけど、無理は禁物だと思っている。少し多めに眠り酒を飲んで眠りに就く

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