月見草という名の野草があります。なんとなくロマンチックな優しさのある名前です。この花の名を初めて耳にしたのは、子供の頃に唱歌だったか、童謡なのか、「月見草の花」というのを聴いた時でした。メロディの方はしっかり覚えているのですが、今頃は歌詞の方の記憶はおぼろになって、一番も二番、三番もごちゃ混ぜになってしまっているので、ちょっと調べて見ましたら、次のようなものでした。
月見草の花
作詞:山川清 作曲:山本雅之
はるかに海の見える丘
月のしずくを吸って咲く
夢のお花の月見草
花咲く丘よなつかしの
ほんのり月が出た宵は
こがねの波がゆれる海
ボーと汽笛を鳴らしてく
お船はどこへ行くのでしょう
思い出の丘 花の丘
今日もひとりで月の海
じっとながめる足もとに
ほのかに匂う月見草
やや少女趣味的な歌詞ですが、夜の海を見下ろす月の夜の丘に咲く花に思いを寄せる人の情景が目に浮かびます。この歌が何時作られたのか判りませんが、現在のような住宅に溢れた丘でも、或いは何の手入れもなしで荒れ果てて雑草の蔓延る丘の情景ではなく、まだ人びとが手入れや草刈を怠らなかった時代の情景に違いないと思います。
毎日の散歩の中で、道端に咲いている月見草を見かけるとこの歌を思い出し、懐旧の思いに捉われます。だんだんと老人が本格化している証拠なのかも知れません。
ところで、その月見草なのですが、本物の月見草というのがどれなのかが良く判りません。道端に咲いているといいましたが、それを見かけるようになったのは、ここ二十年くらいのことで、それまでは野に見かけることは殆どありませんでした。鑑賞用に庭に植えられていたものが野に逃げ出した感じがします。今ではどこにでも見られる雑草の代表の一つのハルジオンやヒメジオンだって、最初は観賞用として外国から持ち込まれたといいますから、この月見草も、もしかしたら野に逃げ出した草なのかと思っています。
雑草の群れに交じって団体で咲いているときも、単体で道端に咲いているときでも、この花には優しい美しさを感ずる。夜も咲いているのかは注意して見たことが無いので判らない。
ここで私が月見草と呼んでいるのは、写真のように淡いピンク色をしたポピーに似た花を咲かせている植物で、花の大きさはポピーよりはずっと小さくて、葉も茎もポピーとは違って小さく、毛などは生えていません。可憐な花なのですが、今頃は荒っぽい雑草の群れに交じって、伍して花を咲かせています。この花が本当に歌われている月見草の花なのか良くわかりません。
というので、ネットで調べてみたのですが、どうもよく判りません。販売されているのもあるようなので、目立つ花なのでしょうが、写真を見る限りでは、野に咲いているものとは違うようです。月見草というからには、夜間に咲く花なのでしょうが、ネットで調べた花も、道端の月見草も夜に咲く花とも思えません。
そこで思い出したのは、これも道端に多い松宵草(マツヨイグサ)のことです。これは宵待ち草と呼ぶ人もいますし、私の亡き母などは月見草とも呼んでいました。この草の場合は、確かに夕方や夜間でも花を咲かせていますから、月を見ながら咲くというのもうなづけます。大型の黄色い花びらも、いかにも月のしずくを吸って咲いている感じがします。やっぱりこの花の方がこの歌に相応しいのかなあと思いました。
マツヨイグサ。これを月見草と呼ぶ人は結構多い。この花は早朝などの散歩で、今朝咲いたばかりの花を見かけると、ハッとするほど美しい。土手に群生しているのも多い。月見草はこの花に似合う呼称のようにも思える。
一体どれが本物の月見草なのか、それはこの歌の詩を書かれた山川清さんにお伺いしなければわからないことです。毎日散歩しながら、海は見えませんが、時に小貝川の堤防であったり、或いは鬼怒川を見下ろす端の袂近くの道であったり、至る所にマツヨイグサや月見草を見かけるたびに、子供の頃に歌ったこの歌の歌詞とメロディーが浮かび上がってくるのです。とりあえず、今は皆さんが月見草と呼ぶのならば、どの花でも良いということにしておくことにします。
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