山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

警察は、警察人魂(スピリット)を見直せ!

2022-07-12 04:10:02 | くるま旅くらしの話

 警察にモノ申したい。普通のビジネスではない、法の番人としての使命を改めて見直して欲しいと。全警察関係者の警察人スピリットを改めて見直し、気合いを入れて仕事をして貰いたい。

 安倍元首相が選挙の応援演説中に狂者暴漢の凶弾に倒れて死去された。何という理不尽で世間を虚仮(こけ)にした事件か!こんなことを許しては断じてならない。我々一般大衆はその怒りをどこへぶっつけたら良いのか解らない。大衆の目前でこんなにあっけなく要人が殺されて良いものなのか、TVのあの場面を思い出す度に怒りがこみ上げてくる。

そして怒りは今。その時に警備を担当していた警察関係者に対しても膨らんでいる。何たる不手際、何たる職務怠慢か!あれが万全の警備体制を引いていた結果だとすれば、警察など不要となるのではないか。民間の警備会社に任せた方が遥かに上等となるのではないか。そんなことまで思ってしまう。

問題の根源は警備体制などではなく、現場に於いて直接役割を担う人間の意識と行動にあるのではないか。机上でどんなに周到な警備体制を計画したとしても、それを実現する関係者一人ひとりの意識と行動が安直で当事者意識が不足していたとしたら、まるで他人任せの生ぬるい警備に堕してしまう。今回の事件のTVを見ていると、この不足と欠如は明らかだ。不審者が明らかなのに何の行動も起こしていないというのは、その場にいた多く(?)の警察関係者に警察魂〈スピリット〉が不足していた以外の何ものでもない。

 

自分は警察はあまりに今の世に横行しているポピュリズムに迎合し過ぎていることが、今回の事件の根底にあるように思えてならない。一般大衆や市民に愛される警察などというスローガンは一見美しい人間愛のように見えるが、基本的に法の番人たる警察が、警察官が、甘ったるく大衆や市民に愛されてどうするのか。そんなことばかりで法を守れるはずがない。厳しさが不可欠なのだと思う。戦前までのように「オイ。コラ!」という行き過ぎ歪んだ警官の権力行使行動が許されるのが当然などとは思わないけど、今の世の警官は、例えば交通違反の取り締まりなどでの対応を見ていると、違反者をまるで客扱いにして、厳しさの欠片(かけれ)もない、親切とも皮肉とも言いようの無い印象を違反者に与えている。自分も何度か違反をして罰金を国に納めているが、違反したことは当然なのだから、警官はそのことを厳しく違反者に説明すべきではないかと、いつも思う。違反したことを自慢する気持など毛頭ないけど、法を犯した者に対しては、それが何であれ、警官は厳しい姿勢で対処すべきだと思う。その方が違反者自身もスッキリするのだ。違反したのを客扱いされてたまるかという気持ちが膨らむのを抑えるのに時間がかかったのを忘れない。

警察は大衆や市民に愛されるなどというスローガンを外さなければならないと思う。当世は外してはならないのだというなら、警察が「大衆や市民に愛される」ということが、実際どういうことなのか、実例を示して全警察官に徹底しなければならないと思う。愛する、愛されるということは、大衆や市民に阿(おもね)り迎合することでは断じてないということを周知徹底して欲しい。。犯罪者もしくは犯罪の疑いがある者に対して、迎合したり注意をする勇気を持たない法の番人など無用なのだ。法の番人としての真剣な厳しさのある警察魂(スピリット)が、今、何より求められているのではないか。

今回の事件の現場を見ていて、そのことをつくづく思った。このような警察魂を現場の誰もが持っていたならば、世界に認められて来た要人を死なせ、失うことはなかったのにと、残念でならない。この後の警察関係者の痛烈な反省と、その結果の実現を期待するばかりである。

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