山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

上り坂下り坂の歩行鍛錬

2016-05-01 12:52:32 | 宵宵妄話

 今年入ってからの我が歩数記録は、4月末時点で約200万歩となっている。これは、1日平均1万6千歩強となり、1歩の歩幅を60cmとして走行距離を算出すると、約9,600mとなる。誤差が30%くらいあるとして、1日の歩行距離を計算すると、6,720m即ち6.7kmほどとなる。実感として毎日それくらいは歩いていると思う。3時間ほど歩く時もあり、そんな時は10km以上歩いているのは確実だ。

 何でそれほど歩くのにこだわるのかといえば、答えは明快で、我が身に糖尿君という厄介な病が取り付いて離れないからである。もはやこれを振り切ることは不可能で、生涯の友として親しく付き合って行かなければならないと覚悟している。この友と付き合うのは真に厄介で、Ha1c(ヘモグロビン・エイ・ワン・シ―)という血液中のデータを一定レベル以下の数値に確保維持しなければならない。そのためには日々きちんとした食事と運動をしなければならず、少しでも油断して過飲・過食や運動不足を続けると、たちまち警告のイエローカードやレッドカードを突きつけられるのである。それを無視すれば行く先は合併症の世界で、壊疽や失明や透析が待ち構えており、その先にはどんな厄介が続いているのかわからない。解っているのは、あの世が近づくのが急速化するということだけなのだ。薬を飲めば何とかなるなどという時間は、ほんのわずかしか与えてはくれない、厳しくも恐ろしい友人なのだ。

 その友人との仁義を守り続けて早や四半世紀(25年)となったのだが、最近確保すべき数値レベルがやや上昇気味となりだしたのである。体重は61kgと不変なのに何故か数値が下がらない。少し厳しい食事コントロールを行ってみてもダメなのである。運動の方も、昨年は年間620万歩(1日平均1万7千歩)も歩いており、カロリーコントロールにはかなり貢献しているはずなのに、この厳しい友は許してはくれないのだ。何故なのかとあれこれ思い悩んだ結果気づいたのは、歩きの内容に問題があるのだと思った。3年前までは少しハードな~ 筑波山登山や早朝の負荷(15kgのリュックを背負い、両足に1kgのウエイトバンドを付け、両手に1kgのアレイを持っての歩行)~ などの鍛錬を多く取り入れていたので、それが功を奏して指標のレベル保持に役だっていたのだが、後期高齢者を迎える時期となり、あまり無理はしないことにして、負荷の部分を距離でカバーすれば大丈夫と考え切り替えたのだった。

 2年ほどそれを続けているのだけど、結果は思わしくなく、このままでは再度薬の力を借りなければならない状況となりそうなのである。折角薬無しで守り続けた指標レベルを、薬ありに切り替えるのは、この超厳しい畏友を裏切る行為となり、仁義に悖(もと)る振る舞いとなってしまう。これだけは何としても避けなければならない。そう考えたのだった。

 というわけで、運動の核としていた歩きの内容を、よりハードなものに切り替えることにしたのである。最良の方法は以前のように週1回くらいのペースで筑波登山を続けることなのだが、登山口まで行くのに約50kmもあり、時間も日程もコストもかなり厄介なものとなる。なかなか日常的にというわけには行かない。走る(=ランニングやジョギング)という手段も有効なのだが、膝に爆弾を抱えている身では、危険が伴う。やっぱり歩くしかない。負荷をかけて歩くには重さが必要で、それには両足にウエイトベルトを巻き両手にアレイを持って歩くのが基本なのだが、もう一つ欲しいのは段数の多い階段なのだ。しかし、住んでいる守谷市に山は無く、平地と僅かばかりの坂があるだけなのである。幾つかある小さな神社の階段も僅かで、皆どれも50段程度しかない。ほぼ同じ段数の歩道橋もあるけど、他者の歩行の邪魔になり危険である。

あれこれ思いを巡らす内に思い当たったのが、隣りの常総市に巣立山公園というのがあり、そこに、かなり大きな築山があることだった。高さ30mほどの築山には頂上に向かって4本の道(階段)が設けられており、あれを使えば神社の50数段を繰り返し上るよりも変化が期待できると思った。早速、下見に行って段数を数えて見たら、全部で320段もあるのである。よし、ここを登ることにしようと決めた。築山の隣には半径が50mくらい、一周300mほどの遊歩道も造られているので、これらを組み合わせると一層面白い鍛錬プランが出来そうである。自宅から車で10分ほどなので、1時間もかかる筑波山に行くよりはずっと近い。段数は少ないけど、何回か繰り返せば自然と足腰は鍛えられると思う。そう決めたのが数日前で、それ以来毎日朝になるといそいそと出かけて行くこととなった。

自宅出発5時。10分足らずで着いて、駐車場に車を置き、まずは登山靴を履く。しっかりと紐を絞め、その足首にウエイト1kgのベルトを取りつける。軽く屈伸運動をして、両手に2kgの鉄アレイを持っての歩行開始である。鉄アレイは決して下には下げず、歩きに合わせて小さく胸で拍子を取りながら歩く。最初の階段の上り口に至り、上りを開始する。呼吸を整えながら69段をゆっくり上り終える。頂上の狭いスペースで鉄アレイを持ちあげ、10回上下運動を繰り返す。持ったまま両腕を3回ぐるぐる回す。その後は鉄アレイは胸の位置に保ったまま、反対側の階段をゆっくりと降りてゆく。しっかり足元を確認しながら、景色などには決して見とれたりはしない。下に着いたら、築山の裾野の周回路を左方向に歩き、次の別の上り口から昇降を開始する。ここの階段は87段で頂上に到着。その後は同じように両手の鉄アレイの上下運動を10回行い、反対側の階段をゆっくり下りる。降りたら周回路を左方に歩いて、次の上り口から昇降を開始。ここは89段の長丁場の階段である。同様にして反対側の階段を下り、周回路を左方に歩いて最後の階段の昇降を開始。ここは75段で頂上に至るのである。このようにして最初の昇降口に到着したら、今度は周回路の反対方向からの順番で昇降を繰り返し、5回で終了。かくて計1,600段の階段昇降を終了する。約1時間、上半身にかなりの汗をかいている。しかし、万歩計は僅かに6千余歩にしか至っていない。

次はいったん車に戻り、今度は足の1kgのベルトを取り外し、2kgに取り換える。そして両手には1kgのアレイを持って、歩行を開始する。今度は築山ではなく、その脇にある1周300mほどの周回路の歩行にチャレンジする。まずは左回りで5回、右回りに替えて5回、計10回の早や足歩行である。1周3分ほどで、約30分間を歩き終えて今日の予定は終了。

今のところこの程度の鍛錬歩行なのだが、これはつくば登山からみれば、コースの1/4にも満たない僅かな足慣らしの距離に過ぎない。息も上がらないし、大して汗もかかない。もの足りないけど、それでも毎日継続しておれば、ただ平地を歩いているだけよりはぐっと効果が期待できる感じがする。僅かだけど、ここ10日間ほどで身体の芯がしっかりしてきた感じがする。

とまあ、とんだ老人の糖尿病対策運動へのチャレンジ模様を紹介させて頂いたのだが、階段の昇降を繰り返しながら想ったことがある。一歩一歩を繰り返しながら、これはまさに人生階段のモデルのようなものだということ。我が人生もとうに上りは過ぎて、今は下りの坂も半ばを過ぎているという老人世代である。この人生階段には、この世の人類の数と同じだけの個人差があり、今その個々人が人生階段のどの位置にいるのかも又人類の数だけあって判らない。ただ判るのは、上りの階段は、足元を多少疎かにして、周辺に気を取られながら上っても、危険や心配は少ない。階段から転げ落ちたりするのは、不用意に左右や下方に気を取られていた時ぐらいで、ひたすら上を目指して一歩一歩を確実に踏み出し続ける者には、頂上が確実に近付いてくる。

しかし、しかしである。下り坂はどうか。危険がいっぱいなのだ。上りと比べれば身体は遥かに楽なのだが、遠くの景色に気を取られたり、脇見をしながら歩いていたりしたら、何時足を滑らし転落して大怪我をするやもしれず、場合によっては命を落とすことだって考えられるのである。そして、それは一瞬のことなのだ。これは特に老人には強く当てはまるように思ったのである。

老を生きるに際しては、上って来た人生以上に足元をしっかり確認しなが生きることが大切だと思った。老を楽しむということも大切だけど、足元を忘れて、楽しみに呆けてはいけない。人生には一本でも二本でもない、たくさんの足元があるけど、老の深化につれてどの足元も、頼りなく劣化するようである。そのことに気づかず目先や過去にばかりとらわれていると、心も身体もこけることになる。杖も必要かもしれない。1,600段の階段を昇降しながら想ったのは、上りではなく、下りの階段を下りることの難しさだった。

    

常総市にある巣立山公園の景観。正面が築山で、手前左手に大きな芝生の広場があり、周遊道が設けられている。この築山の奥の方に鬼怒川が流れているが、昨年の洪水の際はこの辺りは影響は被らなかった。鬼怒川の向こう岸は守谷市である。

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