山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

2004年 九州・山陰の旅 ジジババ漫遊紀行(第8日)

2015-01-31 00:01:54 | くるま旅くらしの話

<この記事は、10年前の旅の記録をリライトし、コメントを付したものです>

 

第8日:11月24日(水)

 <行程>

日向市:お船出の湯 →(R10・R218)→ 道の駅:青雲橋 →(R218)→ 道の駅:高千穂 → 神楽奉納:高千穂町黒口集落公民館(終夜見学) 〔泊〕  <106km>

 6時半起床。よく眠れて気分がいい。今日もよい天気なのだが、残念なことに海面からかなりの高さまで、水平線上に雲があり、日の出の写真は諦めるしかない。広い駐車場には我々の他1台の車があるのみ。近くの林間にツワ蕗がたくさんあり、今日も澄んだ黄色の花を咲かせている。どうしても家に連れて帰りたくなって、2、3本採らせて貰った。濡れ新聞に包んで、ビニール袋に入れておけば大丈夫だと勝手に決める。持ち帰って庭の隅に植えるつもり。このようにして山のお花畑は荒らされてゆくのか、などと少し後ろめたさも感ずるが、ツワ蕗くらいならば許されるのではないか。高山植物なら絶対にしないことなのだが。

今日は高千穂へ行くことにした。27日には元勤務していた会社の保養所がある湯布院へ行くことが決まっているので、それまでの間は高千穂などでゆっくりしたいと考えた次第。高千穂はその昔一度行ったきりで、どうだったかもあまりよく覚えていない。神話や伝説の里でもあり、神楽などの盛んな地方でもある。今回はそれらをじっくり訪ねてみたいと思っている。

延岡からR10を左折してR218へ。この道はその名も神話街道というらしい。高千穂峡につながる五カ瀬川沿いの道を進むと、やがて道は川から離れて次第に高度を増し、川は下方に細く見えるようになっていった。川沿いに鉄道が走っているのも見える。終点が高千穂駅で、この線を高千穂鉄道というらしい。詳しいことはよく分からないが、鉄橋やトンネルがたくさんあって、鉄道の旅人には憧れの一つなのかもしれない。暫く走って道の駅:青雲橋というところで小休止。かなりの山の中だ。日之影川という五ヶ瀬川の支流に架かる橋の名が青雲橋というらしい。その橋の袂につくられた道の駅だった。

高千穂の道の駅には12時少し過ぎに到着。ここを基点に2、3日ゆっくりする予定。駅構内に観光案内所があり、そこで夜神楽の予定などを聞いてみた。神楽は、クニバアの昔からの関心事である。タクジイの方はそれほどでもないが、高千穂に来ればやはり本物の夜神楽とやらを見てみたいという思いはある。聞くと、丁度最近神楽が始まったばかりで、今日は一つだけ黒口という集落で奉納されるという。さっそく行って見ることにした。

案内図を貰って、直ぐに出発。神楽の始まりは16時頃からだというが、道に迷いながら我々が到着したのは13時を少し過ぎたばかりの頃。開始には随分と時間前だが、駐車場が少なかったので早く来てよかった。先ずは昼食。タクジイはその後一杯やって午睡。クニバアが何をしていたのかは知らない。いずれにしても今日はここで一夜を過ごすことになるのだから、眠っておくことは大事だという考えである。

さて、ここから先は翌日の夜明け7時過ぎまで、神楽の舞いは延々と続いた次第であり、それらを逐次書くのは大変なこと。タクジイは深夜(=早朝)の3時頃まで見学の記録を書き続けたが、ついに寒さと睡魔の誘惑に負けて車に戻ってしまった。クニバアが最後まで見続けたのには少々驚いた。昼寝もせずに寒さも忘れて頑張れるのは、やはり並々ならぬ関心事だからなのであろう。少しは見直してもいいかと思った。

神楽のことは初めてのことでもありよく分からない。そもそも神楽というのは何なのであろうか。現地での午睡から醒めると、クニバアが何やら神楽についての立派なプリント資料を貰ってきていた。この町の歴史民俗資料館の学芸員の方から頂いた資料だとか。とても読む気になれないほどの膨大な厚さの高千穂神楽に関する本格的な論文だった。福島明子という方が書かれたものである。タクジイには、それをここに書けるほどの力は無いので難しい話は止める。

要すれば高千穂の夜神楽とは、代々集落の人たちが氏神様に対して今年の実りの御礼と来年の豊穣を願って、自分たちの気持ちを伝えるために、この高千穂の地に伝わる神々の天岩戸の伝説を中心とする寸劇を、舞という形で表現して神前に奉納する儀式のようだ。この様な書き方は些か問題があるかもしれないが、タクジイのレベルで簡単にいえば神楽とは、つまりはそのようなものではないかという理解である。

神楽の会場に来ていた学芸員の方からの解説などから解った主なことといえば、

①神楽というのは踊りではなく「舞い」である。踊りと言ってはいけない。

②舞い手がつける面を「オモテサマ」と呼び、面(めん)と言ってはいけない。

③奉納される舞いは、全部で33番ある。舞の順序は初めと終わりのいくつかは決まっているが、そのほかは集落やその時々によって異なる。

④舞いの音曲は太鼓と横笛と鈴だけである。それから、舞いは男中心であり、女は舞い手にはなれない。(すなわち女人禁制) 

⑤舞の舞台は基本的に注連縄(しめなわ)の張り巡らされた2間四方の座敷(内注連)で行われる。舞によっては外の場所で行われるものもある。

 

夕方16時頃、集落の氏神様を、神主や氏子代表たちなど衣装を整えた人たちが迎えに出かける。やがて笛や太鼓の音を鳴り響かせながら、小さな神輿に担がれたご神体がやって来た。何と、今頃の神様は軽トラに乗ってやって来るのだ。その神輿の中に鎮座しているご神体は、何か陶器のようなものでつくられているようだった。そのあといろいろな儀式があって、我々も集落の皆さんと一緒に中に入って神主のお払いなどを受けた。何しろご神前に金一封を奉納させて頂いたので、壁にタクジイの名前が書かれた奉書が張り出されている。祭りに金一封などを寄付すると名前を貼り出される、あれと同じようなものだが、タクジイとしては初めてのことなので、記念にそれをカメラに収めたりした。

18時15分、彦舞という最初の舞が始まった。彦というのは神様たちが天から降りてこられる時に道案内を務めるという猿田彦大神のことをいうとのこと。天狗のような魁偉なオモテサマをつけた舞であった。これが明日の朝まで続く長い夜神楽の始まりだった。

次々と舞が続く。タクジイはそれらを一々メモしながら鑑賞していたのだが、それが可能だったのは、夜明け前の3時近くまでだった。前記の通りである。神楽というこの素朴な舞の音曲は、僅かに太鼓と笛とそして舞手が手に持つ鈴だけである。しかも見ていると、限られた人たちだけで、それらの全てが上演されており、出演者は殆どの人がオールマイティのようだった。すなわち、舞だけではなく笛も吹くし、太鼓も叩くのである。集会所の中は、かなり冷え込みがきついのだが、舞手たちは皆大汗をかきながらの熱演であった。きっと皆神楽が大好きで、この時が来るのを待ちかねていたのではないか。もし自分がこの土地に生まれたら、さてどうなのか、この人たちと同じように、やっぱり神楽に入れ込むのではないかなどと、踊りの類の苦手なタクジイも人並みな感興に打たれたりしていた。

零時には少し間がある頃、小用を兼ねて外へ出てみると、天空に月が輝き、その周辺にオリオンややカシオペア座の星などが、いつもの数倍の大きさで輝いていた。冬に近いはずなのに、それほど寒さを感じないのは、神楽の熱気のせいだけではなく、やはり今までの暖かさの続いた今年の異常気候の所為なのであろうか。この神楽の里は、霧の名所でもあるとか。これから明け方にかけて、五ヶ瀬川に注ぐ幾つかの細い支流が霧を生み出し、里全体を包んで行くのかもしれない。

そして、その霧は3時過ぎ車に戻る時には、まさにその通りの世界が展開していた。里を囲む峰々の黒い頂を残して、真っ白な川霧が地面から湧きあがり、神楽の灯りを朧にしながら、空に向かって広がっていた。まさに夢幻という光景である。この光景がもう何百年も続いているのであろうか。その広がり行く白い霧は、まさに里に鎮座する神々を包む棉のような気がした。下手な句を詠む。

夜神楽の里は眠らず霧の中  馬骨

3時過ぎ、クニバアを置いてタクジイは車に戻り仮眠へ。朝7時過ぎ目覚めると、既に神楽は終わってしまったらしい。近くからクニバアの話し声が聞こえてきた。一眠りすれば、目覚めてからも最後の舞を見られるのではないかと思っていたのだが、油断が過ぎたようである。残念。車の外へ出てみると、霧が晴れかけていた。今、旭日が昇るところらしく、僅かに色づいた空が白い霧の帯の上に澄んで輝いていた。如何にも神楽の里の夜明けという感じである。

クニバアはオートバイでやって来た舞手の一人と何か話していたようだったが、後で聞くと雲海の上に輝く日の出を見るのなら、近くに「国見が丘」という所があるので、そこへ行くといいと教えて貰ったとのこと。今日は、時既に遅しである。明日にでも行ってみようと思った。

【コメント】

◆ツワ蕗の話ですが、この時連れて来た一株は、今でも我が家の庭のクロガネモチの木の下で、元気に花を咲かせてくれています。冬に向かう晩秋の頃に、澄んだ黄色の花を咲かせてくれるこのツワ蕗には、いつも10年前の九州行の旅の思い出が付き添っていて、連れて来たという罪悪感よりも、生き続けてくれている喜びの方が遥かに勝っていることを告白しておきます。これからも大事に見守って行く考えでいます。

◆この日、初めて見た夜神楽の一夜の思い出は、この旅の中で見出した最高の宝物でした。この種の祭りなどにはあまり関心の無かったタクジイも、この一夜の経験の後は、神楽という人間と神との関係に、かなり興味を持つようになりました。芸術性という点では、歌舞伎や能などには及ばないのかもしれませんが、庶民の神に対する素直で素朴な感謝の意を込めた舞の表現には、ただそれを見ているだけで心を打たれるものが幾つもあります。もう一度夜神楽を見に行きたいと思い続けているのですが、未だその願いが叶っていません。夜神楽の始まりは11月の半ば過ぎからということですので、冬の旅を意図しない限りは実現が難しいのです。でも、思い切って1カ月ほど滞在して幾つかの集落の夜神楽を見てみたいと密かに思っています。

 

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