<近江路から東海道へ>
びわ湖大橋米プラザの一夜は雨が主役でした。ま、寝るだけなので、それは構わないのですが、朝になったらせめて雨は止んで貰いたい。そう思いながら朝を迎えました。降り飽きたのか雨は止んでくれて、雲は残っているものの今日の天気は大丈夫のようでした。どこかで給油してから東海道の方へ向かうつもりなのですが、この辺りは軒並みガソリン価格が高いのです。因みにネットで調べて見たら、守山市に一カ所少し安いスタンドがあるのを知りました。ならばそこへ行って見ようと、ナビをセットして向かうことにしました。どうにか発見して満タンにすることが出来ました。当初の予定では源氏物語の作者の紫式部と縁のある石山寺に寄って行く考えだったのですが、今日は土曜日なのでかなり混むのではないかと考え、止めることにしました。何事もそうなのですが、止めるのは簡単だけど、新しい道を選ぶのは難しいのです。人生もこれと同じです。
で、石山寺から信楽を通って奈良の方へ行くのも止めて、東海道を行ってあの関宿(せきじゅく)を散策したいという気持ちになりました。というのも関宿は江戸時代からの東海道の宿場町の様子がしっかり残っているからなのです。それを見てから奈良の方へ向かうことにしたのでした。
守山から国道1号に出て、しばらく走って道の駅:あいの土山で少し休憩。ここも東海道53次の49番目の宿場町でしたが、その面影はありません。やっぱり関宿迄行かなければならないと改めて思いました。それからしばらく走って、関宿の外れにある駐車場に車を止めて、歩いて行くことにしました。だんだん天気が回復して日差しがきつくなり、気温も上がり出したので、散策は結構厳しいものとなりました。
関宿は東海道の宿場町の中では、最も昔の姿を今に残しているのではないかと私は思っています。中山道には昔を残した宿場町が幾つかありますが、関宿を超える所はないように思うのです。どのような古い町でも時代の流れは、そこに住む人の暮らしを変えてゆき、従って家も変わって行かざるを得ないと思うのですが、関宿はそのようなハンディを乗り越えて、見事に昔の姿を伝えているように思うのです。宿場町を売り物とするような家も店も少なくて、ここに住む人たちは一体どのような暮らしをされているのだろうかと不思議を思うほどなのです。そのようなことを想いながら、長い宿場町の町並を往復しました。全部歩くのは厳し過ぎるので、3分の2くらいの距離を歩くに止めました。東海道の宿場の往時の栄えぶりを思い描きながらの散策でした。
*旅人の行き交う姿そのままに関の宿場はこの地に遺(のこ)る
*何処屋(どのやど)に泊らんとするか旅人の迷いは今もこの地に満てり
*関宿(せきじゅく)の昔を残す町並みは今は昔を閑(しず)かに語る
*関宿の住人のくらし思いつつ町並残す努力讃える