<川古の大楠の話>
私は巨木とか大樹とか古木とか言った植物という生き物に対して格別の尊敬の念を抱いています。くるま旅を始める時にも、その前にこの国の中で最長寿のものに挨拶に行こうと、屋久島の縄文杉を訪ねました。3千年を超えるその姿は、生命の力瘤に溢れていて、何とも言えない感動に胸を打たれました。その時の写真は、今でも部屋に貼って毎日力を頂いています。
巨木や巨樹の多くは深い山の中などにあることが多くて、なかなか逢いに行くのが難しいのですが、でも身近にある巨樹も結構多いのです。その中でも神社などにあるいわゆるご神木と言われている樹木には楠の樹が多く、これらは四国や九州などの西国に多いようです。今までの旅の中では何本かの楠の大樹に遇っています。九州にも楠の大樹が何本かあり、今回はその中で佐賀県武雄市にある川古の大楠というのに是非もう一度逢って来ようと決めていました。12年前に初めて出会って、その樹容に感動したからなのです。千年を超える大樹の中には衰えを見せて痛々しい感じの老大樹も多いのですが、この川古の大楠はどっしりと大地に根を据えて四方八方に枝を伸ばして、葉をつけて不動の姿を見せてくれていたのでした。それをもう一度どうしても見たくて、今度九州へ行ったら必ずあの樹を見に行くぞと思っていたのでした。
武雄にはこの樹の他にも何本かの楠の大樹があると聞いていますが、それらを見たことはなく、全部見る気も無く、この川古の大楠だけでいいのです。12年の間に行く道の記憶は薄れ、頭に残っている楠の樹付近の景色のイメージもかなり実際とは違ったものとなっていました。少し道に迷いながらそこへ到着することができました。大楠は以前と少しも変わらぬ姿をそこに構えていました。逞しい幹の力瘤、根元の祠に神を祀った社を抱えてびくともしない生命の輝きでした。12年などという時間は、この樹にとっては、一瞬にも到らぬ時間なのかもしれません。人間などというちゃちな生き物とは全く違う時間の中に生きている存在なのでした。近くに寄って、遠く離れてその存在をしっかりと確認しました。
*千年を超えてなお活き活きと川古の楠は神を宿して
*十二年は一瞬の時なりと川古の楠は我に微笑む(ほほえむ)