山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

西海道&西国の旅の記録から(その11)

2024-07-15 19:43:03 | くるま旅くらしの話

<川古の大楠の話>

私は巨木とか大樹とか古木とか言った植物という生き物に対して格別の尊敬の念を抱いています。くるま旅を始める時にも、その前にこの国の中で最長寿のものに挨拶に行こうと、屋久島の縄文杉を訪ねました。3千年を超えるその姿は、生命の力瘤に溢れていて、何とも言えない感動に胸を打たれました。その時の写真は、今でも部屋に貼って毎日力を頂いています。

巨木や巨樹の多くは深い山の中などにあることが多くて、なかなか逢いに行くのが難しいのですが、でも身近にある巨樹も結構多いのです。その中でも神社などにあるいわゆるご神木と言われている樹木には楠の樹が多く、これらは四国や九州などの西国に多いようです。今までの旅の中では何本かの楠の大樹に遇っています。九州にも楠の大樹が何本かあり、今回はその中で佐賀県武雄市にある川古の大楠というのに是非もう一度逢って来ようと決めていました。12年前に初めて出会って、その樹容に感動したからなのです。千年を超える大樹の中には衰えを見せて痛々しい感じの老大樹も多いのですが、この川古の大楠はどっしりと大地に根を据えて四方八方に枝を伸ばして、葉をつけて不動の姿を見せてくれていたのでした。それをもう一度どうしても見たくて、今度九州へ行ったら必ずあの樹を見に行くぞと思っていたのでした。

武雄にはこの樹の他にも何本かの楠の大樹があると聞いていますが、それらを見たことはなく、全部見る気も無く、この川古の大楠だけでいいのです。12年の間に行く道の記憶は薄れ、頭に残っている楠の樹付近の景色のイメージもかなり実際とは違ったものとなっていました。少し道に迷いながらそこへ到着することができました。大楠は以前と少しも変わらぬ姿をそこに構えていました。逞しい幹の力瘤、根元の祠に神を祀った社を抱えてびくともしない生命の輝きでした。12年などという時間は、この樹にとっては、一瞬にも到らぬ時間なのかもしれません。人間などというちゃちな生き物とは全く違う時間の中に生きている存在なのでした。近くに寄って、遠く離れてその存在をしっかりと確認しました。

 

  *千年を超えてなお活き活きと川古の楠は神を宿して

*十二年は一瞬の時なりと川古の楠は我に微笑む(ほほえむ)

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西海道&西国の旅の記録から(その10)

2024-07-15 10:17:09 | くるま旅くらしの話

<天神様の本拠地風景>

福岡へ行くときには再訪を避けられない場所があると言ったら、それはやはり天満宮や大宰府の史跡(観音寺・政庁跡)になると思います。40年ほど前に仕事で福岡へ転勤になった時は、最初に住んだのは太宰府市の隣の大野城市でした。この時は子どもたちがまだ小学生くらいだったと思いますが、正月に家から天満宮まで片道5~6km程を歩いてお参りに行ったこともあり、このエリアは思い出が一杯詰まっているのです。今回も久しぶりに参拝して行くことにしました。9時半ごろに到着したのですが、この日は快晴で5月半ばとはいえ猛暑と言った感じの暑さでした。駐車場に車を止めて早速参道に向かったのですが、かなりの人出があるのに少し驚きました。今でもこんなに人気があるのかと思ったのです。しかし、しばらく歩いていると何か違うなと思いました。何が違うかといえば、お参りに来ている人たちが違うのです。本来天神様とは関係のない外国の人たちが多いのです。彼らの多くはこの国の歴史などには無頓着の様で、形振(なりふ)りなどは気に掛けることも無く、アイスクリームなどを食べながら大声をあげて歩いている者もいるのです。浮かれ気分になるのは観光する人の平均的な姿でしょうから、それを安易に批判することは出来ないとは思いますが、せめて神社仏閣を観光で訪れる時は、浮かれ気分を開放するのだけは押さえて欲しいなと思いました。

というわけで私共も人の渦に巻き込まれながら参拝をしたのですが、社(やしろ)の方は修理をする箇所が幾つかあって、なんだか落ち着かない様子でした。何代目かの飛び梅だけが健康そうな若葉の姿を見せてくれていました。久しぶりなので、参拝のあと運転をする家族の皆に一つずつ交通安全のお守りを、そして小学生の孫たちには子供の安全と学業が進むようにとのお守りを買いました。そして帰りにはどうしても梅が枝餅を食べなければならないと考え2個買い入れました。家内は歯の調子が悪くてこの種の食べ物はダメなので、これは自分専用となってたちまち胃に収まりました。

 

*てらてらと若葉輝く飛び梅の天満宮は人渦の中

 

*参拝も観光となるツーリズム天神様を置き去りにして

 

ツーリズムを安易に批判してはいけないのかもしれませんが、最近はオーバーツーリズムなどと言われ出しており、まさに現実は観光の質は低下しつつあり、せめて主催者はその地がどんな所なのか、何が大切で何をしてはいけないのかくらいのことは、客に対してしっかり説明して欲しいものだとつくづく思いました。

 

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