山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

西海道&西国の旅の記録から(その7)

2024-07-13 17:33:42 | くるま旅くらしの話

<播磨高原の老泰人>

私には尊敬する3人の先達がいます。お一人は私がくるま旅を始めるきっかけとなる出会いをつくって下さった人、もう一人は我が家のお隣に住まわれているご夫妻、そしてもうお一人は、十数年前に旅で出会った神戸在住で今回の播磨高原の別荘の主のMさんです。お三方とも卆寿を超えておられて、これからそこまで辿り着こうと考えている私にとって、大きな力を与えてくださる目標となる方たちなのです。

今回の旅では、Mさんの別荘を訪ねました。Mさんからは何度もお便りを頂戴しており、その度にお出でとおっしゃって頂いているのですが、ありがたく嬉しく思っていながらも、なかなか訪ねるチャンスがなくて、今回ようやくその願いが叶ったのでした。

私はMさんは泰人(たいじん)だと思っています。「泰人」というのは、私が勝手に拵えた造語です。「大人」と書いてもいいのかもしれません。でも私はどうしても泰の字を使いたのです。大という字はすべて大きさを意味していますが、泰の字には大きさの他に豊かさが含まれており、豊かな人間性を持った人は大人ではなく泰人と表現すべきではないかと思っているのです。論語に「君子泰而不驕」(君子は泰にしておごらず)とありますが、Mさんはこの君子に相応しい方だと思っています。君子というと王様の様な権力者をイメージしてしまいますが、本物の王様に相応しい方は、この世には何人も存在しているのです。人生に於いて事を成し遂げて、その頂きに達しているにもかかわらず、そのようなことは二の次に、人生を楽しみ、味わいながら尚精進を積み上げてその先を目指しておられる、そのような君子のお一人がMさんではないかと私は思っています。

Mさんは電気関連事業の会社を経営されていて、現在はそれをご子息に任されて、リタイア後の人生を楽しまれています。Mさんが実際にどのような苦難の道を克服されて事業を成功されたのかは知らないのですが、それを知らなくても、Mさんの現在の生き方、生き様を見れば。この方がどれほどの人物なのかは私には明確なのです。十数年前に旅先の北海道で初めて出会ったMさんご夫妻は、魔法の様な電気の設備・装置を備えた旅車を操って、少年・少女の様に好奇心に目を輝かせてくるま旅を楽しんでおられました。時に海に入って昆布などの獲物を探し、時には山に登って景観を楽しみ、仲間と共に語らいながら旅くらしを一層楽しみの多いものとされていました。その時の主役は一見ご主人のように見えますが、その実は裏方で調理や料理を黙々と賄っておられる奥様の方だったと私は思っています。このお二人のコンビは、私の理想とする夫婦二人でのくるま旅の姿そのもので、リタイア後の人生のあり方の素晴らしいモデルなのでした。リタイア後の人生の生き方は人様々であり、それはその人の自由なのですが、私は夫婦二人が(勿論健康を確保しながら)それぞれ自身の好奇心や目的を持って旅を楽しみ、共に過ごす時間を持つことが大切なのだと考えているのです。Mさんご夫妻は、まさにその体現・実践者でした。私共も時々仲間に入れて頂いて、たくさんのことを学ばせて頂きました。

Mさんご夫妻は、現在はくるま旅を卒業されて、年に何回か神戸のお住いを離れて上郡町の播磨高原にある別荘で過ごされています。その別荘をお訪ねするのが今回で2度目となるのですが、でもお二人がどのような暮らしをなさっているのかを私たちは良く知っているのです。というのも、Mさんは、別荘での暮らしを記録した滞在日誌を必ず送ってくださっているからです。この記録づくりは、くるま旅をされておられる時も、計画と合わせて全て実行されており、このようなことを継続して実践されている方を、私は他に知りません。

Mさんの何よりの凄さは、好奇心と創造する力を持って、疑問や興味・関心事を解決・実現されてしまうその行動パワーです。特に電気に関する知識、技術、技能に関しては、それを事業の核として取り組まれて来られたこともあって、私の様な全くの門外漢から見れば、まるで魔法そのものを使いこなしておられるように感じるのです。一つ例を挙げますと、先日のお便りの中で、どなたかが廃棄されたUSA製の古い灯油ランプを見つけて、いつもの好奇心と関心を膨らませて、それを丹念に磨き上げて見たら年代物の製品だったということでした。しかし現代では灯油ランプとして使用するのは難しいので、これを電灯として使えるようにしようと、工夫してたちまち完成させてしまったと書かれてありました。Mさんには、いつ、どんな時でも常に創意と工夫の発想とそれを実現するパワーが用意されており、それは卆寿を超えても少しも衰えることはないのです。

私がMさんを泰人だと思うのは、そのような好奇心と創造パワーのことだけを言っているのではありません。Mさんご夫妻は人との関係をとても大切にされていて、それが誰であっても相手を慮(おもんばか)る心の豊かさを持っておられることが素晴らしいと考えるからなのです。社長や会長など組織の頂点に立つ人を数多く見て来ましたが、どんなに経営手腕が優れているといわれている人でも、心豊かな君子と云える人は少ないものです。人の成長というのは、心の豊かさで測れるものではないかと私は思っているのですが、斯く言う自分もまだまだ発達不良の状態なのを自覚しており、泰人には遠い存在なのです。

今回の旅では、Mさんの別荘を訪ねた日は生憎の雨でした。少し道に迷って電話をすると、Mさんは別荘の前の道で出迎えて下さいました。前回お訪ねしてからもう12年も経ってしまっているのですが、Mさんご夫妻は以前と少しも変わらないお元気なお姿でした。安堵しました。挨拶を交わして部屋に入り、その後は、数々のご馳走を頂きながら、長い長い歓談の時間が続きました。ご馳走の中では、わざわざ京都のお知り合いからとり寄せられたという鴨鍋もあり、それらを噛みしめて味わいながら、たくさんのことを話しし、たくさんのことをお聴きしました。ご馳走とお酒と話しに酔って、家内は車に戻るのを忘れてソファベッドで一夜を明かすことになりました。嬉しくありがたい時間でした。

 

*泰(ゆた)かなる人棲む楽舎(らくしゃ)ここにあり時を忘れて団欒(だんらん)嬉し

*深緑(しんりょく)の播磨の森に降る雨は霧生み消して止むことの無く

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西海道&西国の旅の記録から(その6)

2024-07-13 03:30:15 | くるま旅くらしの話

<岡山ブルーラインの二つの道の駅>

岡山ブルーラインというのは、備前市から瀬戸内市を通って岡山市に至る県道で、瀬戸内海の景観を堪能出来るようにつくられたよく整備された道です。(これは私の勝手な解釈です)勿論景色を見る為だけではなく、いろいろな意味で人とモノの動きを支えている道なのだと思います。自動車専用道路で、有料だったのが、2004年に無料化されたとのことです。車で旅をする者にとっては、大変ありがたい道路ということが出来ます。

私たちもこの道を何度も利用させて頂いています。今は皆瀬戸内市となってしまって、牛窓町、邑久町、長船町などの懐かしさを感ずる町の名は消えてしまいましたが、牛窓のオリーブ園、ヨットハーバー、長船といえば名刀備前長船の刀の産地、そして邑久は竹下夢二の生家がある所として名を挙げていました。旅をしていると、地名へのこだわりが出てくるのですが、合併という行政の変革に対する恨みのようなものが出てきてしまうのは、何も瀬戸内市に限ったことではありません。

さて、このブルーラインには、二つの道の駅があります。黒井山グリーンパークと一本松展望公園です。二つ共に瀬戸内海を見下ろす小高い山の中にあって、公園として機能している部分が大きいと云えるようです。私たちはこの二つの道の駅を何度か利用させて頂いています。というのも、備前市の焼き物の里の訪問や岡山藩の閑谷(しずたに)学校などを訪ねる時に都合が良いからです。これらの道の駅で一息入れてから目的地に出かけたり、或いは訪問の用が済んで遅くなってしまった時などは車中泊の場所とさせて頂いて来ました。

今回の旅では、備前市に隣接する播磨高原のある上郡町の知人の別荘を訪ねるのに都合がいいので、一本松展望公園を利用させて頂きました。その名も展望公園とあるように、ここは下方に牛窓の町とその向こうに瀬戸内の海と島々を展望できる絶好の場所で、子供たちの遊び場や機関車なども置かれていて、休日には大勢の近隣の人たちがやって来て人気のある道の駅なのです。今回訪ねたのも丁度日曜日だったので、道の駅はかなりにぎわっていました。

前回来たのは、10年以上前だったと思いますが、久しぶりに瀬戸内の景色を楽しもうと、駅の横の道を少し行って、展望の利く場所へ行ってみました。すると、牛窓の町の手前あたりの畑のような場所が真っ黒なもので埋め尽くされている異様な景観に驚きました。何なのだろうと疑問を抱きながら、売店の人に訊いてみました。すると、あれは塩田跡に設置されたソーラー畑なのだということでした。塩づくりをやめた跡地をソーラー畑として活用しているということのようでした。なるほど、そうなのかと思いましたが、さて、今日は曇っていて光が少なくて、くすんだ景観の瀬戸内海なのでさほどに気にはならないけど、晴れた明るい日ならば、あの真っ黒い畑の景観は、瀬戸内に相応しいものなのかなと、疑問を抱きました。

傍に大河原京太という方の句碑があり、そこには「天界の日々斯くあらん遠かすみ」とありました。この場所から眺める瀬戸内の景観は、遠く霞んでいて、まさに天の楽園のくらしそのものの様ではないか、というような展望公園からの感動的所感を句にされたのだなと思いました。その時、あの黒い畑は無かったのだと思います。文明や文化の進展は、必ずしも人の心を安らげる方向には向かっていないのだなと、改めて感じました。

 

*電気生む黒畑妖(あや)し霞む海

 

*曇り日の展望悪しき瀬戸内の海は黙して小島浮かべる

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