山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

2004年 九州・山陰の旅 ジジババ漫遊紀行(第28日)

2015-02-28 05:30:28 | くるま旅くらしの話

<註:この記事は、10年前の旅の記録をリライトし、コメントを付したものです>

 第28日:12月14日(火)

 <行程>

野々市町:林さん宅 →(R157・R8)→ 道の駅:河野 →(R8・R365・R21・R41・R256)→ 道の駅:金森温泉ぬくもりの里[泊] <295km>

 今日も天気は良さそうだ。朝ご飯を頂いた後ゆっくりしていると、お父さんが昨夜話しておられた、近くにお父さんを凌ぐほどのくるま旅の達人を紹介するからと言って、その方に電話をされたので少しびっくりした。お父さんよりも4歳も年長の86歳だという。昨日、それをお聞きして驚いたのだが、どのような方がお見えになるのだろうと期待に胸を躍らせた。この頃は若い人よりも年長の方との出会いに期待するものが大きい。今は亡きタクジイの父も、70歳をかなり超えてから、母を病院へ連れてゆくために車の運手免許を取ったのだが、車で旅に出るほどの好奇心も持たないまま、3年前85歳であの世へ旅立っている。浅田さんというその方は、林のお父さんに急かされるようにして、間もなくお見えになった。お会いしてみて、とてもそのようなお歳には見えない。どう見ても10歳くらいは、お若い感じがした。以前北海道で初めて林ご夫妻にお会いした時も、お年をお聞きしてびっくりし、同時に自分がこれから考えているくるま旅の可能性が、一挙に10年以上も幅が大きくなって感動したのだが、その可能性を遥かに超えてご健在の浅田さんの姿を見て、上には上を行く人がいるものだなあと感動した次第である。

浅田さんの行動力、好奇心のパワーは群を抜いていらっしゃると思った。林のお父さんを上回るほどとお見受けした。いろいろお話を伺っている中で、健康法としての食事のあり方に大変興味・関心を覚えた。浅田さんがおっしゃるように、ものを食べるについては、旨い不味いの物差しではなく、生きるか死ぬか、良いか悪いかといった物差しの方が重要という考え方は、タクジイの全く同感とするところである。只、実際に何をどのように食べるかというのは難しくて、なかなかその方法が見出せないで試行錯誤の繰返しをしているのが、タクジイをはじめとする凡人の日常なのである。

浅田さんは、その壁を遠の昔に突き抜けておられるのだと思った。野菜類をミキサーにかけたものを冷凍保存して、解凍したものに工夫を加えてそれを摂るという食事のあり方は、魅力的である。浅田さんの食事は、それを摂るだけに徹しているというから驚きである。そして70歳頃までは病気の巣だった身体が、すっかり健康体となったというのだから凄い。話ではなく、実体験のことだから説得力がある。いいお話を伺った。タクジイも、3食全部が野菜の流動食で、お酒なしというのは到底無理としても、相当のところまでは取り組む自信はある。家に帰ったらさっそくトライしてみようと思った。3人の大先輩に囲まれて、タクジイたちは幸せ者である。この幸せの土台となっているのはやはり何といっても健康であろう。健康でなければ出会いも、知り合うこともなく過ぎてしまう。寿命の尽きるまでそれぞれが健康で過ごせることを心から願いたい。林さんご夫妻、そして浅田さん、本当にありがとうございました。これからもよろしくご指導をお願いいたします。

名残りを惜しみながらお三人とお別れして、いよいよ帰途の最終ステップへ。北陸から山越えして行くコースもあるのだが、もし雪などに出会ったら大変なので、予定通り東海側を通って、静岡は藤枝に住むクニバアの妹宅に1泊させて頂き、旅のしめくくりとするつもりである。高速道は使わずに行き、今日は適当な所で温泉にでも入って泊まり、妹宅には明日お世話になることとする。大体このような予定である。

R8を福井方面へ戻って、滋賀県の木之本からR365に入り、関が原方面へ。途中敦賀の手前の道の駅:河野にて小休止。それ以降は殆ど休憩なしの長距離ドライブとなる。関が原からR21に入り、大垣、岐阜、美濃加茂と進む。大垣を通過する頃には既に夕闇が迫ってきていた。岐阜市郊外を通過時は、もうすっかり暗くなっていた。美濃加茂まで来て、今日は前に泊ったことがある、下呂近くの金森町にある道の駅にしようと思った。暗くてよく判らないが、市内に入ると新しくバイパスが出来ているようなので、それを利用した方が早いだろうと入ったのが大失敗だった。

立派な道を15分ほど走ると突然道はそこで終わり、知らない地名の標識板しかない。どちらに向えばいいのか見当もつかない。下呂だとか、高山だとか、R41とすぐ判るような看板は全くないのである。この道路行政の雑さには本当に腹が立つ。迷っているうちに、近くに日本昭和村という新しい道の駅を見つけた。行ってみると温泉ではないが入浴施設もあり、泊っても良さそうな感じだった。しかし周囲は造成したばかりの無人地帯で、やたらに広い駐車場には殆ど車もない。このような所では、クニバアが安眠を得ることは到底出来ないだろう。諦めてもう一度地図を見直して、暗い夜の細道を、不安を抱えながら進んで、どうにかこうにかR41へ出る。金森温泉の道の駅に着いた時には19時を過ぎていた。あ~、しんど。疲れた。

【コメント】

◆この日の無謀さは、今から思うと呆れ返るばかりです。300km近くも距離を、途中道を間違えたりしながら、夜中近くに宿に着くなどというのは、どんな理由があれ、お勧めできるような行程ではありません。このような結果になるのは、故なき急ぎ心の挑発を受けて、見境もなく走り回った結果であり、旅はもっと冷静に行程を考えて無理をしないことが肝要です。金沢から木曽の山中まで一日で行くべきニーズは何もないのですから、もっと早めに適地の宿を決めるべきでした。

◆後日談ですが、この時林さんからご紹介頂いた浅田さんは、その後90歳の時北海道でお会いしたは、まだまだお元気で、今日は一日500km近くも走ったなどとおっしゃっていました。しかし、その何年か後、お亡くなりになられたとの報告をご家族の方から頂戴しました。マカロニ症候群などとは無縁の天国への旅立ちだったと思います。PPK(=ピン・ピン・コロリ)は私のあの世への旅への理想スタイルです。

コメント
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