山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

2004年 九州・山陰の旅 ジジババ漫遊紀行(第10日)

2015-02-03 02:19:23 | くるま旅くらしの話

<註:この記事は、10年前の旅の記録をリライトし、コメントを付したものです>

 

第10日:11月26日(金)

 

<行程>

高千穂町:高千穂温泉 →(R218・県道他)→ 国見が丘 →(県道他)→ 道の駅:高千穂 →(県道他) → 高千穂神社(夜神楽見学)→(県道他)→ 道の駅:高千穂 〔泊〕 <16km>

 今日も終日高千穂で過ごすことにして、予定としては、先ずは国見が丘へ朝霧の雲海と日の出を見に行き、そのあと市内を散策し、夜になったら又神楽を見ることにする。

6時40分出発。国見が丘到着50分。まもなく日の出なのか、東の山の方向がうす赤く染まっている。しかしその山の峰付近にはかなりの雲が邪魔をしており、まともな日の出は望めそうに無かった。でも雲海は予想通りの素晴らしさである。驚いたことに、我々が着いて暫く経ったとき、何台ものタクシーがやって来て、善男善女の観光客を運んできた。皆この雲海と日の出を見に旅館からやって来た人たちらしい。寝巻きに丹前を引っ掛けたままの人や、旅館の下駄を履いている人なども居る。来て欲しくないね、こんな人たちには。と思ったが、文句を言う筋合いではない。

やがて空が次第に赤さを増して日の出となった。山々に囲まれた高千穂の町や集落は、霧の中にすっぽりと隠れいて、いまその霧の帯が、心なしか少し陽光に染まった感じがして、実に幻想的な世界だった。由布院の朝霧にも似ている。雲が旭日を邪魔しているので、かなり不満があるが、それでもその雲の上に、やがて輝きを増した太陽が踊り出ると、本物の朝となった。展望台地の小さな丘の上には、神話・伝説の神々をモデルにした像がつくられており、それらの古代の装束を纏った3体の神々が、日の出の方向を見つめている姿が印象的だった。日本というのはやはり太陽信仰の国なのではないか。そしてこの高千穂はそれを代表する神話の場所なのであろう。そう思った。

しっかりしたご来光を拝めなかったことを除けば、充分満足して山道を下りる。道の駅に戻って朝食。10時過ぎ、車を駐車場に置いて散策に出発する。先ずは高千穂峡へ。高千穂峡へは2回目である。20年以上も前に訪ねたのは、確か四国の高松に住んでいた時だったと思う。子連れの慌しい旅で、その景観の味わいを写真で見るほどには覚えていない。あの時は、車を降りてほんのちょっと見た程度ではなかったか。今日はゆっくり歩いて存分にその景観を味わうつもりである。

新都高千穂大橋を渡って、脇道を下り、観光バスなどの休憩する大型の茶店の前を通り抜け、更に五ヶ瀬川に向かって細い岩道を降りて峡谷へ。20分ほど歩くとPR写真によく出てくる神秘的な景観が見えてきた。小さな滝の水が幾筋も峡谷に流れ落ちており、その滝の飛沫が朝の光にキラキラと輝いて美しい。まだ紅葉が残っており、その鮮やかな赤が、光を浴びて周辺の大気を染め上げていた。峡谷は真青な淀みを湛えており、貸しボートでの遊覧が出来るようになっている。写真を撮るにはボートの方がいいのではないかと提案したのだが、クニバアはあなたが漕ぎ手では恐いからいやだと言う。タクジイは些か乱暴なので、ボートをひっくり返されたりしたら、たまったものではないということらしい。競争するために乗るわけでもあるまいにと、少しムカついた。ひとの親切が分からない奴だ、としみじみと情けなく思った。しかし、うっかり誤ってボートをひっくり返すよりはましなのかも知れない。

幾つかの大小の滝や水が流れ落ちる場所は、大勢の観光客で溢れていた。我々は来た道を、もう一度その神秘的な景観を味わいながら、ゆっくりと歩き戻った。途中、高千穂神社へ向かう古い道があるのに気づき、その道を登って行って見ることにした。今は使われていない、昔の高千穂峡から神社への参道だったらしい。人がすれ違うのも厳しいくらいの細道の急坂で、下を見ると急流が砕けて白い泡を吹いていた。見上げると木々の間に巨大な新都高千穂大橋が聳えて架かっている。昔はあのような人工的建造物は何も無かったのになあ、と思った。息を切らしながら急坂を登って行くこと30分、少し平らな箇所に出た時、山目前に頭火の句碑があり、「分け入っても、分け入っても青い山」とあった。突然だったので驚いたが、まさにこの句はその通りだなと思った。九州の山は確かに青い山という実感がする。この強烈な漂白の旅人のことはよく分からないが、只者ではないということはよくよく承知している。いつか少しくその生い立ちや生涯などを知りたいと思っている。

句碑の裏が高千穂神社の本殿となっており、境内には夫婦杉と呼ばれる秩父杉の2本の巨木などがあった。今夜見に来る予定の神楽殿などを覗いて石段を降り、街の中へ。高千穂駅へ行ってみることにした。高千穂鉄道は延岡市と高千穂町を結ぶ全長50kmの山間峡谷を走る鉄道だが、まだ乗ったことは無い。トロッコ神楽号とかいう観光列車のようなものが走るらしい。駅へ行ってみたが、1時間に1本あるかないかの運行なので、計画的に行動しないと神楽号はもとより他の列車にも乗れないことがわかった。

駅を出て、近くに町の歴史民俗資料館があるというので、そこへ行く。この種の施設は殆どクニバアの世界で、特別のことが無い限りタクジイは中へは入らない。今日はクニバアが神楽についての資料を欲しいとかで、昨日お世話になった学芸員の方を訪ね、いろいろ教えて貰っている。もうかなり歩いているので、クニバアの体力は限界近くになっているのが判る。これ以上無理して、持病のぎっくり腰が再発すると大変なので、タクジイは待っている間に1kmほどを歩いて、道の駅にSUN号を取りに行く。クニバアは高千穂町史や神楽のVTRなどの資料を仕入れてご満悦のようだった。

道の駅に戻り、昼食休憩。13時半近くになっていた。この頃から空模様が怪しくなり、雨粒が落ちてきた。高千穂神社の夜神楽までにはまだ時間があるので、その後は午睡をとるなどしてゆっくり過ごす。16時半ごろ、神社の駐車場へ移動。雨が降っている。どれくらいの人が神楽見物に来るのか分からないが、駐車スペースがなくなっては困るので、早めの手当てである。夕食の準備を先にする。タクジイはこの旅で「肉なしの肉じゃが」の煮物を作ることを覚えた。ジャガイモと人参と玉葱を煮て、醤油と砂糖で味をつけるだけの簡単なものなのだが、これが結構いけると自己満足しきりなのである。それを作って神楽が終わったあと、夕食のおかずにする考え。

19時半に神楽の受付が始まる。20時開始なので、まだあまり人は来ておらず、我々が一番乗り。一番前の1等席に着座。受付で貰った案内紙では、舞は4番行われるとのこと。

①手力雄(たじからお)の舞

②鈿女(うずめ)の舞

③戸取りの舞

④御神躰の舞

の4番で、クニバアは一昨日に全部見ているが、タクジイは②と④しか見ていない。神主の挨拶のあと、舞が始まる。舞台の横を見ると、先日黒口集落の夜神楽にも出ておられた方が横笛を吹いていた。各集落から代表のような人がここに出演するらしい。開始直前頃には、30分前まではガラガラだった座敷が、200人近い人で満杯になっていたのには驚かされた。これを見に来る観光客が多いのだなということを改めて実感した。舞の方は座敷ではなく、専用の舞台で演じられるので、一昨日よりは上品に見えるのは、当たり前かもしれない。しかし、ホントのことをいえば、一昨日のほうがはるかに親近感を覚える。これは贅沢な所感というものかもしれない。

②の戸取りの舞は迫力があった。これは天岩戸に隠れられた天照大命神に外に出て頂くために、手力雄の命が岩戸をこじ開けるという意図の舞らしいが、渾身の力を篭めて大岩を持ち上げるその所作が、思わず固唾を飲むほど見事に表現されていた。

 また、④の御神躰の舞は、33番中観光客などには最も人気のある舞だそうだが、男女それぞれのオモテサマをつけた舞手が、観客席に入り込み、男は女性に、女は男性にふざけかかるなどしながら、やがて舞台に上がり、豊穣の酒に喜びを分かち合って、媾合に及ぶというコミカルな舞である。もうオバちゃんたちは大喜びで、キャッキャ、キャッキャと、大騒ぎをして嬉しがっていた。隣の名古屋から来たというオバちゃんは、名古屋弁丸出しの大きな声で、「おらも亭主を若けえのと取っ替えて、もう一度元気出してガンバルきゃあの~」などと言っている。その又隣では、90歳を超えたという耳の聞こえない連れのジイサマが、ただひたすらにビデオカメラを舞台に向けていた。これだけ大っぴらに男女の秘め事を演じられると、抑圧されていた何かが一挙に飛び出すものなのかなと、舞よりも観客の反応ぶりの方に感慨を覚えるタクジイであった。

20時過ぎ終了。車に戻り、道の駅に移動して夕食。これで今年の神楽見学は終わり。この次はもう少し時間をかけて見たいなと思っている。

【コメント】

◆この日の過ごし方は、くるま旅としては上々の部類に入ると思います。車を殆ど使わずに、未知のエリアを歩き回ることで、今まで気づかなかったその観光地の別の側面を見ることが出来ました。高千穂峡から高千穂神社への古い参道などは、現地の人でも滅多に通らないのだと思いますが、無謀な危険を伴わない限りは、思いつきでのこのような散策も、時には大きな発見につながる場合があるのです。山頭火の句碑に出会った時には、感動一入(ひとしお)でした。山頭火という人の生きざまの中の真実の欠片(かけら)を拾ったような気分となりました。街角の誰もが見過ごすような場所に立つ句碑とは全く違った、ありのままの自然な環境なのでした。これは、普通の観光巡りでは決して出逢えない、貴重な出来事でした。

◆夜神楽をより深く味わうためには、立派な舞台での舞の披露よりも、やはり地元の本来の姿を見た方が心打つものが多いように思います。この日の高千穂神社の舞台で演じられた4番の舞も、決して軽視するようなものではありませんが、くるま旅の場合であれば、観光客の皆さんと一緒にほんの一部だけを見て済ませてしまうのは勿体ない感じがします。やはり、現地の集落に行って、村の方たちと一緒に一夜を過ごすことにこそ、くるま旅の醍醐味があるように思います。この年は、黒口集落1箇所だけの探訪でしたが、次にはより長く滞在して、神楽の里の本物の味わいを体験したいと思っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする