山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

2004年 九州・山陰の旅 ジジババ漫遊紀行(第23日)

2015-02-23 02:49:04 | くるま旅くらしの話

<註:この記事は、10年前の旅の記録をリライトし、コメントを付したものです>

 第23日:12月9日(木)

 <行程>

道の駅:秋鹿なぎさ公園 →(R431・R9)→ 道の駅:ポート赤崎 →(R9)→ 道の駅:大栄 →(R9)→ 道の駅:はわい →(R9)→ 鳥取市郊外南隈交差点付近 →(県道)→ 鳥取トヨタ社員駐車場 〔泊〕  <133km>

秋鹿と書いて「あいか」と読むらしい。道の駅の目前には宍道湖が広がり、いい景観である。すぐ近くに山田川という小さな川が流れており、その昔、この川は秋鹿川と呼ばれ、出雲国風土記にも登場している場所であるとか。出雲は神話の国であり、ここも由緒ある場所なのであろう。しかしタクジイにはさっぱり分からない。もう少し勉強しないとダメだなと又々思った。

今日も移動日である。明後日のことを考えて、鳥取の先辺りの何処か適当な所で温泉にでも入ってゆっくりしたい。朝ご飯はもっと先に行ってからにしようと考え、少し早めに出発する。最初は順調な車の流れだったが、松江に近づくにつれてとんでもない渋滞となった。通勤の車らしいのが、途中の細道から続々と飛び出してきて、R431を埋めてゆく。しまったと思ったが、抜け道など知るわけもなく、ジタバタするのは止めて成り行きに任せるほかなし。1時間以上もかかってようやくR9に辿り着く。安来、米子を通って海岸沿いの道を進んで、赤崎の道の駅で小休止。魚などを物色したがそそるものなし、次の大栄の道の駅で朝飯にしようとすぐに出発。大栄の道の駅到着10時25分。

この道の駅は大変気に入っている。往路では買えなかったイチゴの苗がまだあったら買おうと思って覗くと、何とあるある、しかも20円安くなっていて1株60円だという。嬉しいねえ。さっそく買い求める。これで、来春は旅に出る前に、自家のイチゴが食べられるかも知れない。イチゴの脇に桃色タンポポの苗や磯寒菊の苗もあったので、そられも手に入れる。復路はキャリアボックスを積んでいるので、運搬には困らない。必要なものを手に入れたあと、裏の台場公園の駐車場に行き、食事の準備。昼食兼用でゆっくりするつもり。幕末には、この近くにお台場が築かれていたらしいが、詳しいことはよく分からない。

食事をした後、付近を散策。往路でも歩いているので大体の見当はつく。お台場跡近くには、この道の駅のほか、運動公園や町の資料館などがあって、その周辺は砂地の畑が広がっている。ここで山芋やラッキョウ、スイカなどを栽培するのであろう。今現在は雪など全くないが、もう少し経つと、一面が雪と凍てついた景観に変わるのであろうか。山陰の冬は東北や北陸などと比べてどうなのだろう。冬は、雪の降るエリアへの旅はしないことにしているのでよく分からないが、厳しい寒さが続くに違いない。それにしてももう12月に入っているのに、この暖かさは何ということなのだろうか。

水を補給して13時ごろ出発。10分ほど走ると、まだ無料の自動車専用道路の脇に、道の駅:はわい(羽合)があった。往路は寄れなかった所である。ここには去年来た時、タクジイの大好物のサバの串焼きがあったので、今回もそれを手に入れようと車を入れる。旅の間中、タクジイは車を停める度にメモをしているのだが、クニバアはそのようなことにはお構いなく、さっさと先に行ってしまう。それ故、タクジイは何時も遅れをとることになる。

いつものように少し遅れて運転席を降りると、サングラスを外した、革ジャンに身を固めたヒゲのオヤジさんが近寄って来た。キャンピングカーに関心があるらしく、いろいろ話しかけてこられた。その方は、ワシとクマに関心があり、野山に入って観察や保護活動をされているとか。その際にバンコンタイプなのか、ハイエース車などを使ったりしていたが、バイクの方が機動性があるので、今はバイクに乗って活動しているというような話だった。相当大きな排気量の、外国製のバイクに乗っておられた。一体どういう人なのかと多少訝しく思いつつ話をしていると、クニバアも戻ってきて話に加わることとなった。何故か気が合って、お茶を一緒しましょうというその人のお誘いに乗ることになってしまった。

改めて名刺交換などをして、いろいろ話を伺う。熊田さんというその方は、米子にお住まいで、現在は仕事を引退され、ボランティア的にワシやクマの自然保護活動をされているとのこと。ワシというのは和紙のことと思って、クニバアは勘違いして話を受け取っていたようだが、和紙ではなく鷲だった。名刺には横文字で「Golden Eagle」とあったが、鷲と鷹の区別もよく判らないタクジイは、黄金と直訳して、エッ金色の鷲っているの!?などと思ったりした。後で辞書を引くとイヌワシのことだと知った。それならTVなどで見たことがある。熊田さんは鷲に関しては、カナダなど外国へも出かけられての交流をされているとか。国際派の方でもあるようだ。

でも鷲よりは今年は何といっても熊の話が大きい。各地で熊が里に出てきて人を襲うというニュースが何度も報道されている。この中国地方でもそのような事件が報道されている。本当のところ何故なのか、どう対処すべきかについては、我々にはわからない。とりあえず、危険だからそのような山には近づかない、というのが普通の考え方であろう。しかしこの異常現象は、専門家から見ればもっともっと根の深い問題なのであろう。熊田さんは、山に入って熊の生態を追いかけておられるので、そのようなことに詳しい。中国山地における、月の輪熊の絶滅の恐れなどについて話しておられた。興味津々である。タクジイには、今まであまり縁のなかった世界の話ではあるが、自然環境に関する話題としては、動物も植物も基本は同じだと思う。タクジイの関心事は、今のところ植物の方なのだが、あまり高いレベルではない。熊田さんの話は、奥行きが深いなと思った。又鷲の話もどんな内容なのかこれ又興味津々である。

クニバアは、熊や鷲の話よりも、彼の皮ジャンにカウボーイハット(?)の姿がカッコイーと、見とれていたようである。熊田さんはタクジイよりも1~2歳(?)年少の若者である。何時までも話は尽きないが、これから先のこともあり、再会を願いつつお別れすることとなった。コーヒー代を熊田さんに振って、すっかりご馳走になってしまい恐縮の至りである。熊田さんどうもありがとうございました。又お会いしましょう。今度は又、ゆっくり鷲の話を聞かせてください。

旅をしているといろいろな人と出会う。しかし出合った全ての人とその後のコミュニケーションが保持されるとは限らない。心がバイブレートしないと、只会っただけで終わってしまう。そしてそのような出会いが圧倒的に多い。極端な話、同じ職場で20年以上も一緒に仕事をしていても、その人物の考えや本当の生活ぶりなどがさっぱり判らないケースは、山ほどある。出会いというのは、少なからず心の琴線に触れあう何かを伴っているように思う。それが何なのかはわからないのだが、旅に出ていろいろな人や物と出会うたびに、その不思議さを感ずるのである。熊田さんも心にバイブレートを覚えるお一人だった。

羽合の道の駅を出てから10分ほど、自動車専用道は青谷町で終わって、再びR9に入り海岸沿いを行くことになる。R9に入ってまもなく、SUN号の後ろの方で、カランカランという何かがぶつかるような音が、断続的に聞こえてくる。何だろう?と脇道に入って、車を停めてチエックしたのだが、別段異常はなさそうである。疑問を感じつつも元の道に戻って暫く走り続ける。その後も時々音がするのだが、発生箇所も原因もわからない。1時間半ほど走って、鳥取市郊外のバイパスを通っている時、信号が赤になったのでブレーキを踏んだのだが、何と、停まらないではないか。ギアを落としていたので減速は出来ていたのだが、最後の停止が、ブレーキを踏み込んでも効かないのだ。幸い先頭だったので追突の心配はなかった。2、3度踏み込んでようやく停止。びっくりして、道路の脇にあったタイヤ館の先の駐車場に車を入れ、降りて後ろを見て見ると、何と左側の後輪から煙が出ているではないか。パンクではなさそうだが、油も少し漏れ出している。一体どうしたのだろう。思案するまもなく、クニバアが突っ走って行って、タイヤ館の人を連れてきた。見てもらったが、パンクではないかなどと言っており、タイヤ以外のことはよく判らないらしい。その人に近くにJAFはないか訊くと、すぐ先にあるというので、タクジイが歩いてその方向へ行ったのだが、見当たらず、すぐに戻って電話をする。JAFの話では、SUN号は重いので牽引する車が必要なのだが、その車が今出払って不在のため、到着まで1時間くらいかかるという。否も応もない。待つだけである。

それにしても危機一髪であった。もし違う状況ならば事故に直結していたかもしれない。一体どうなってしまったのか、車のメカのことはさっぱりわからないので、途方に暮れてJAFの到着を待つばかり。1時間以上経って16時頃ようやく到着。チエックの結果はデフのオイルが漏れており、何らかの異常が発生したらしいが、開けてみないとわからないとのこと。とにかく修理しなければ走行継続は不可能という判断だった。

さあ、それからが大変だった。迫り来る夕暮れの中、JAFの方が何度も修理先を探して電話してくれたのだが、どこもキャンピングカーと聞くとOKしてくれない。又1週間くらい時間があればOKだなどという話ばかりなのである。SUN号のベースはトヨタのダイナというトラックなので、その関係先に訊いてもらったのだが、混んでいて時間がかかるという。ようやくカローラなどを扱っている店で見てくれるというので、自走でそろそろとその店の修理工場まで持っていったのだが、SUN号を見てギブアップ。車高が高すぎて工場の中に入らないし、どうやらダイナというのをガイヤという車種と聞き間違えたらしい。かなり暗くなってきた。困り果て、再度トヨタのこのトラックも扱う店に電話してもらうと、とにかく見るだけでも見てくれるという。ありがたい。再び自走でその工場へ。

それからチエックしてもらったのだが、デフの中のオイルシールが壊れてそこから油が洩れ、ブレーキを効かなくしているとのこと。より詳しいことは更に分解してみないとわからないが、部品を取り寄せるのに2、3日かかるけど、それでよければ修理してもらえるとのことだった。最悪の場合は、たとえ1週間かかろうと直さなければどうにもならないので、長期戦は覚悟しつつあった。2、3日で直るのなら恩の字であろう。人間いざとなると要求や満足のレベルがだんだん下がってゆくのはしようがない。とにかくホッとして修理をお願いすることとなった。やれやれ。

ところで宿はどうするか。ホテルなどに泊る考えはない。部品が着くまでは車はそのままなので、駐車場の一部をお借りできれば、そこで生活したいとお願いすると、店長さんは快く社員駐車場の一部を提供してくれた。そこが我々のここ2、3日の住まいとなった。店の方々は皆親切で、その夜店長さんは、わざわざ我々のために、みかんやお菓子などを差し入れて下さった。

それにしても、突然の出来事に見舞われた大変な一日だった。SUN号は出発前にタイヤを入れ替え、エンジンオイルの交換をして万全を期して来たつもりだったが、まさかこのようなトラブルに見舞われるとは!それにしても事故にならないでよかったと、天に感謝した次第である。

【コメント】

◆この日は、我がくるま旅くらしの人生の中で、最悪・最高の想定外の体験をした日の始まりでした。最低というのは、勿論突然の車の故障で、旅の明日が閉ざされたことでした。又、最高というのはこの日の後から始まった、予想もしていなかった鳥取市内近郊の歩き旅でした。「禍福は糾(あざな)える縄のごとし」と言いますが、真にそのことわざを地で行った感のする日々が生まれたのでした。

◆車の故障のことですが、後輪の左側の車軸のベアリングの損傷ということでしたが、あとで旅車の仲間の人たちから聞いた話では、この車の場合は、荷重のバランスに若干問題があり、ちょうど後部左側に水槽が設けられており、満タンにすると80kgにもなり、これが悪さをしたのではないかということでした。しかし、後部右側には5kgのボンベを2本収納する箱があり、更にカセットトイレなども設置されており、こちらの総重量もかなりのものとなるので、バランス上はそれほど問題にはならないようにも思われます。とすると、何が原因だったのかの疑問が残ります。結局これは解らず終いで今日に至っていますが、修理後の状況としては特に問題は発生しておらず、事故当時から更に10万キロ以上も走った現在でも異常はありません。ベアリングそのものに問題があったのではないかと思っていますが、本当のところは不明です。ただ、走行中の異常音には気をつける必要があり、無神経な運転は危険だなと思っています。何しろ、くるま旅は車が壊れるか或いは運転者が壊れるか、そのいずれかで、その瞬間に旅が終わってしまうのです。この時の経験が、その後の旅を慎重にしてくれているのは間違いありません。

コメント
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