山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

2004年 九州・山陰の旅 ジジババ漫遊紀行(第13日)

2015-02-08 04:53:07 | くるま旅くらしの話

<註:この記録は、10年前の旅の記録をリライトし、コメントを付したものです>

 第13日:11月29日(月)

 <行程>

九重町飯田高原長者原駐車場 →(やまなみハイウエイ・R442)→ 夫婦滝  →(R442)→ 道の駅:竹田 →(R442・他)→ 岡城址探訪 →(県道他)→ 竹田市:河宇田湧水駐車場〔泊〕  <66km>

 高原の一夜はかなり冷え込んだ。しかし、今年のこれまでの暖かさは、一体どうなっているのだろうか。この辺でも未だ霜も降りていないように見える。暖かいのは、旅をするにはありがたいが、本当にこのままでいいのかと心配にもなる。

さて、今日は特段のあても無い。もう一日ここでゆっくりしてもいいのだが、ここからは竹田市が近いので、未だ行ったことがない荒城の月で有名な岡城址を訪ねてみようかと思った。その前に、大阪の大田さんからのメールで、黒川温泉近くに夫婦滝というのがあり、そこの店の経営をされている方が、旅仲間であるとの紹介を受けたので、ちょっと立寄ってご挨拶をしてゆくことにした。これだけのことを決めるのにのんびり時間を使って、出発は11時近くになった。民俗資料館をもう一度覗きたいと思っていたのだが、今日は休みだという。残念。

瀬の本からR442を少し走り、黒川温泉を通過すると、少し先に夫婦滝という名の土産店がある。ここのご夫妻が大田さんの旅仲間だという。さっそく店に入り挨拶をする。大田さんのことを話すと、やあ、やあということで、たちまち我々も仲間入りした感じだった。谷野さんとおっしゃるその方は、天草の方に住んでいたのを、そこを引き上げて来られて、現在はここで茶店の商売をされているとか。駐車場の隅にトレーラーハウスが置かれてあった。今まで全国を旅して廻られたらしい。今はここに定着して充電中ということなのであろうか、あまり立ち入った話は不要。庭先・庭裏にワン公が何匹かとウサ公が数匹飼われていて、ウサ公が箱を抜け出して、その辺を歩き回っていた。面白い人、家である。勧められて夫婦滝を見に行った。田の原川と小田川という源流を別とする2本の川が、この場所でそれぞれが滝となって合流しているという。日本ではここ一ヶ所だけの珍しい場所とのこと。木々に囲まれ、マイナスイオンが多分に発生しているのであろう、ここへ来れば夫婦喧嘩も悩みごとも治まってすっきりするのかもしれない。滝へ行く道の途中に、九州弁(?)で、何やら夫婦滝に絡む民話のようなものが紹介されていた。夫婦に因んだ願掛けや誓いの文語を書き込む絵馬があり、たくさんぶら下がっていた。これらは店の経営者である谷野さんのアイデアによるものなのかもしれない。ワン公の中には滝まで案内をする案内犬がいるということだったが、見たところ案内するよりもお客様に案内されている感じだった。お客とすれば案内してもらうよりもワン公を借りて引っ張ってゆくほうが楽しいのではないか。犬好きの人は結構多いので、そのほうが面白いように思った。いや、失礼。

又一人(二人)、旅の仲間が増えて嬉しい。カミさん同士は何やら布切れのようなもので関心が一致したらしく、SUN号の中でずっと話をしていた。記念写真などを撮って出発。大阪の大田さんにもお礼のメールを打つ。

昨日の長者原とは反対側の高原を久住高原というらしい。それを一挙に走り下って竹田市へ向かう。ここら辺も、又広大な展望の場所である。竹田の市街に入る前に道の駅があり、そこで昼食を摂る。大分名物のだご汁定食をオーダーした。美味かった。しばらく休憩したあと、岡城址へ。

竹田市は、四方を山に囲まれた小さな盆地というか山地というべき街で、橋とトンネルの多い町だ。又湧水が多いことでも有名だ。来る前に案内のパンフレットなどを見て、ここには岡城址だけではない、別の種類の魅力があることに気づいた。今回は、この地に力を入れた旅ではないので措くとしても、何時か時間をかけて、例えば橋を訪ねて回るなども面白いなと思った。が、先ずは岡城址である。

受付で300円也の観覧料を払うと、登城手形という巻物風のパンフットを貰った。なかなか面白い気の利いたアイデアである。その巻物の中に、岡城の歴史他のエッセンスが書かれている。ここでそれらを繰り返して記すことは止める。その後は、隅々までとはいえないけど、1時間半近く時間をかけて、往時を偲びながら城址内を散策した。紅葉も残っており、古城の晩秋の風情だった。

それにしても大変な所に築城したものだ。現代の観光にはいいのだろうけど、戦国時代に天下を狙うとなると、ここに居ては不可能だ。この城は守りには峻険の有利さがある。しかし攻めるには動きがとり難い山城である。篭城ともなれば1年と持たないだろう。何故、信長や秀吉や家康が天下を取れたのか。それは居城を留守にして攻めの動きに徹することが出来たからなのだと思う。岡城の美しさと哀しさは、戦国時代の戦とは無縁の所にあるような気がした。それが岡城址を散策し終えたタクジイの感想である。

16時近くなって少し暗くなり出した。今日の宿は、先ほど夫婦滝の谷野さんに聞いた何とかいう湧水(彼は正確な名前を覚えておられなかった)の駐車場にしようと考え、それらしき場所を探すことにして出発。駐車場もトイレもあり、泊ったこともあると聞いているので、あまり心配していない。やっぱり大丈夫だった。直ぐにその条件の湧水が見つかった。「河宇田湧水」というのがそれだった。

山あいにある民家の少し上手の方に源泉があり、それを引いて水汲み場が作られていて、ひっきりなしに水汲みの人が車でやって来て、ペットボトルやポリタンを満たしていた。近くに、この水を使って虹鱒やエノハ(ここではヤマメのことをこう呼んでいる)の養殖が行われていた。又、クレソン(=オランダ辛子)の栽培なども行われているらしい。確かに名水に相応しいようだ。タクジイは水にはかなり関心があり、旅の中で名水といわれるものにめぐり合うのを楽しみにしている。人間なんて、分解すればその大半は水なのだ。それ故、良い水で身体を潤すということはとても大切なのだという考えを持っている。今日はその名水の傍で一夜を過ごすことになって、何とも嬉しい気分である。

しかし、身体の方は少し風邪気味らしく、夜中に咳が出て困った。珍しいことだ。鬼の霍乱という奴かもしれない。

【コメント】

◆夫婦滝の後日談ですが、この2004年から8年経った2012年の旅の時にも、茶店に立ち寄りご夫妻との再会を果たしたのですが、この時の茶店は8年前とは比べられないほど、ハートの絵馬が店の周辺にまでびっしりと掛けられていて、驚きました。お話を伺うと、まだ出会って間もない頃にここを訪れて札を掛けた若いペアが、今度はめでたく結婚されてお礼に来訪され、そして次にはお子さんが生まれたと感謝をこめて再来されて絵馬を納めるというふうにして、たくさんの方がこの夫婦滝でのご縁を大切に育てられているのだということでした。これはもう出雲の神様と並ぶ大きな縁結び、縁育ての力を持った夫婦滝なのだなと、嬉しく思いました。これから先もこの力がたくさんの男女の結びつきに働いて欲しいなと思いました。

◆竹田市は湧水でも有名で、河宇田湧水の他にも幾つかの生命の泉が湧き出ています。この時は、曖昧な情報で暗くなりかけた時分に訪ねたので、そのスケールの大きさに気づいたのは翌日になってからでした。ここに泊まったのは正解だなと思いました。九重や阿蘇の山々に降った雨が、幾百年を経て大地の下を潜り、その力をたっぷりと沁み込ませ、蓄えて、清冽な水となって地上に溢れ躍り出るその様は、真に感動的です。この地の湧水には、他にないパワーがあるように感じています。北海道の羊蹄山麓にある京極町には、その名も「噴き出し公園」という、伏流水の湧き出ている場所がありますが、竹田市の湧水は、それとは又違った味わいのある湧水であり、来訪の方には是非訪ねられることをお勧めしたいと思います。

 

コメント
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