山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

2010年西日本への旅 でこぼこ日記:第20日

2010-12-19 03:23:44 | くるま旅くらしの話

 

20日<11月11日(木)>

 

行 程】 道の駅:南飛騨小坂 → (K437) → 巌立峡(岐阜県下呂市) → (K437・R41) → 高山市内駐車場(高山市内散策)(岐阜県高山市) → (R158) → 道の駅:風穴の里(長野県松本市) → (R158・K48他) → 道の駅:アルプス安曇野ほりがねの里(長野県安曇野市) (泊)  <128km>

 

昨夜は一時雨降り模様だったけど、朝起きると一面の霧だった。道に沿って近くを流れる川から霧が発生し、それが谷間一帯を真っ白に包んでいた。この辺りの毎日の普通の現象らしい。恐らく霧がかかった時は、いい天気になるに違いない。九州に住んでいた時に訪ねた湯布院の朝を思い出した。しかし、ここは全くの山の中である。道の駅には水汲み場もつくられており、清新な水を汲むことが出来てありがたかった。

 

朝食の後、出発の準備をしていると、軽トラに乗ったご老人と思しきお二人が、派手なウインドブレーカーと帽子をかぶって近くにやってきた。何だか珍しそうなので、側に行って挨拶すると、なんとウインドブレーカーと帽子に「猿追払隊」と書かれていた。この辺には猿が多いのですか?と訊くと、 ああ、猿も多いけど、熊や猪も多くいて、農作物を荒らされる被害が大きいという話だった。それで、それらの獣害を避けるために、主だった所に行って、花火の様なものを用いて、ドカーンと脅しをかけて警告をするのだという。大変だけど面白そうな仕事ですね、というと笑っていた。遊びのつもりでやっておられるのかも知れないなと思った。それにしても飛騨はさすがに山国だなと思った。

 

   

猿追払隊のユニフォーム。鳥獣害の被害はこの地の人たちにとっては、生活に直結する問題である。共存というのは所詮人間だけが描く夢に過ぎないのかも。

 

おじさんたちからの情報として、この先少し行った奥の方に巌立峡というのがあるから、行ってみたらいいよとの話だった。せっかくだから高山に行く前に、ちょっと覗いて見ることにした。10分ほどで到着する。全く知らなかったのだが、イヤア、なかなかの景観だった。御嶽山が何億年か前に爆発した時に流れ出た溶岩が固まった跡とかで、巨大な柱状節理の岩盤が目前に聳え広がっていた。ここからは、御嶽山への登山道もあるようで、近くには温泉もあり、なかなかいい所である。ちょっと立ち寄って覗いて済ませるような場所ではないなと思った。今度来たときは、温泉にも入って、又滝めぐりなどもあるようなので、じっくりと秘境を楽しみたいなと思った。

 

   

御嶽山の噴火の際の溶岩がここまで流れてきて固まったという巨大な柱状節理の岩。傍に立つとその迫力に圧倒されそうだ。

 

巌立峡を後にして、高山に向かう。飛騨の高山には何度も来ており、さほど執着するような魅力もなくなってきているのだが、それでもちょっと寄ってゆきたいと思うのは、自分が茨城県の田舎の山の中で育ったことと何か関係があるのかもしれない。昔の残る山の中の街の風情が好きなのである。邦子どのの方は、もっと別のリアルな目的があるようである。その具体的な中身が何なのかは良く解らない。とにかくここに来たときは、駐車場に車を入れた後は、別行動だから。 時々一緒になることもあるけど、それは朝市を覗く時くらいだ。陣屋も古い町並みも一回りすればもうそれだけで十分という気持ちになってしまうのは、観光ズレということなのかも知れない。とにかく1時間ほどで歩くのをやめ、車に戻って休憩する。今日の高山散策の時間は2時間しか予定していなかったので、邦子どのには不満の残る様子だった。最低でも4時間くらいないと納得のゆく探訪ができないとか言っていた。今度来るときはたっぷり時間を取らなければと思った。その2時間ほどの高山市街の散策を終えて、出発する。

 

   

相変わらずの賑わいを見せている高山の宮川朝市。でも来るたびに賑わいが少しずつ衰え出してきているように感ずるのは、自分ひとりだけなのだろうか。

 

今日は、高山からはR158で平湯トンネルから安房峠下のトンネルを潜り、日本アルプスの横をすり抜けて安曇野市の堀金の道の駅まで行くつもりでいる。高山を出て、少し行った所で昼食休憩。市内の駐車場は有料なので、落ち着いて食事をするには適切でない。昼食のショバ代までが有料というのでは、たまったものではない。郊外のJAの駐車場は無料である。邦子どのは飛騨牛の饅頭を買ってきて大いに期待したらしいのだが、大阪のブタマンにも遠く及ばないと、かなり厳しい批判を繰り返していた。(大阪のブタマンの味のレベルがどうなのかは自分には見当もつかないことである)飛騨牛の饅頭は相当に期待を裏切るものであったらしい。よせば良いのに、やたらに牛などを食べたがるからである。ベジタリアン指向の自分には、単なる愚痴にしか聞こえない。

 

昼食のあとは、いよいよ日本アルプスの谷越えの道に向かうことになる。緩やかに感じて走っていた坂の勾配が次第にきつくなり、体重の重いSUN号にはかなり厳しい走行条件となってきた。朴の木平のスキー場を過ぎる頃から益々勾配は厳しくなる。と、しばらく行くと真っ白に雪を冠した山が現出した。勿論このあたりの低い山(といっても千mは超えていると思う)は、全山紅葉の真っ最中である。この道を通ることにしたのは、今までどこへ行っても中途半端な紅葉しか見ることが出来なかったのを、一気に解消したいと思っていたからでもあった。それはもう、十二分に今叶えられつつあるのである。雪を被った山が何なのかはっきりしないけど、恐らく乗鞍岳ではないかと思った。もう山の頂上近くは完璧に厳冬となっているようである。それどころか、しばらく行くと道の両側には雪が積もっており、既に根雪になり出しているようである。解けた雪が路面を濡らして、こりゃ日中でないと普通のタイヤでは通行は無理かもしれないなと思った。平湯トンネルを潜り、外へ出ると一気に景観は変わって、もうそこは秋の紅葉と冬の雪景色とが同居していた。しばらく道脇の駐車場に車を停め、眺望を楽しんだ。このような妥協を許さない景色を見たかったのである。やはりここを通ってよかったと思った。それにしても今日は天気が良くて助かった。もし寒い曇天なら雪が降り出して、不安を抱えての走行となったに違いない。真にラッキーである。

 

   

 

平湯峠に向かう途中からの乗鞍岳方面の景観。紅葉の山の向うに、真っ白の雪に輝く山々が迫って見えた。

 

   

平湯トンネルの出口からの山々の様子。そこはもう降り積もった雪が解けて流れる冬の厳しい景観が広がっていた。

 

長い坂道を下り、間もなく安房トンネルを潜る。長いトンネルである。これを出ると、一気に下界に下りてきた感じがする。そのあとは幾つものトンネルを潜って、梓川に沿った道を下り続ける。この道は女工哀史で有名な野麦峠につながる街道である。野麦峠には行ったことがないけど、一度はその景観を眺めながらその昔の少女たちの哀しい話を偲んでみたいと思う。やがて道の駅:風穴の里へ到着。いい休憩所である。ここにはおいしい水があり、今回の旅の最後の飲み水の補給をする。

 

更に坂を下り続けて松本市に入り、左折して今日の宿泊予定地の安曇野市堀金にある道の駅:アルプス安曇野ほりがねの里を目指す。途中少々買い物などをして、道の駅に着いたのは、16時近くだった。この道の駅はもう何度も泊まらせて頂いている。信州の常宿といって良い。何故かといえば、日本でも有数(と思っている)野菜類等の地場の新鮮で高品質の産物を安価に手に入れることができるからである。それにここから眺める北アルプス常念岳の景観も良い。駐車場は平だし、隣の公園には水もあって、旅の者にはありがたい環境なのだ。ゴミ処理が出来ないのが残念だけど、今のご時世では仕方ないというべきなのかも知れない。ということで、今回もここに立ち寄ることとなった。

 

もう閉店が迫っており、野菜などの殆どは売切れてしまって在庫がない。買うのは朝一番ということにして、しばらく休憩する。ここへ来て気づいたのだが、今朝小坂の道の駅で水を汲んだあと、ポリタンを紐で結わえるのを忘れしてしまい、どこか途中で落として失くしてしまったらしく見当たらない。これじゃあ水も汲めないなと反省しきりである。近くのJAのホームセンターへ行って見たけど、20Lのものしかなく、補填するのは諦めた。明日は帰宅するつもりなので、もう水の補給をしなくても大丈夫である。しかし失くし物をするとあまり気分が優れなくなる。いよいよ俺も老化が本格化したかとちょっぴり反省する。夕刻から風が強くなり、時折雨粒も落ちてきたりして、かなり寒い夜となる感じがした。旅の最後の夜を迎えることとなった。

コメント
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