山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

2010年西日本への旅 でこぼこ日記:第19日

2010-12-18 02:37:18 | くるま旅くらしの話

 

19日<11月10日(水)>

 

行 程】 道の駅:伊勢志摩 → (R167・K32) → 伊勢IC → (伊勢道・東名阪道) → 山田東IC → (R41) → 道の駅:日本昭和村(岐阜県美濃加茂市) → (R41) → 道の駅:美濃白川(岐阜県白川町) → (R41・K437) → 道の駅:南飛騨小坂(岐阜県下呂市) (泊)  <293km>

 

快晴の朝だった。高台からの眺望はなかなかのものだが、残念ながら海は見えない。この道の駅には、的矢湾で獲れる牡蠣が売りになっているようだけど、その海はどの辺なのだろうかとしばし探してみたが、見えなかった。道の駅の脇には広大な駐車場が広がっている。しかし、使えないようになっているようだ。こんなムダを作って何なのだろうと脇の方にある建物を覗いてみたら、そこは場外馬券売り場だった。笠松競馬というものらしい。そういえば、昨日のニュースだったかで、笠松競馬の存続について報道されていたのを思い出した。観客数が減って維持が難しいとかいう内容だった。競馬というのはどうもよく解らない。馬が走るのを見るのは好きだけど、博打の部分は好きではない。嫌いといった方が当たっていると思う。楽をして稼ぐというのは、庶民の夢なのかも知れないけど、そんなものは所詮あぶく銭である。万馬券を当てたといっても、決して豊かな人生にはつながらないと思う。ま、一時の満足にはなるには違いないけど。このような場外馬券売り場を見るたびに、行政も大衆もどうかしているのではないかと思うのだけど、世の中の大半の人からは、お前こそどうかしているのではないかと思われてしまう。観客が減ったということは、世の中が不景気であぶく銭を追いかけている暇はないということなのかもしれない。それにしても、数百台もの車が駐車できる場所をこんな山を切り開いて造って、肝心の競馬がダメになったらどうするのだろうか。実質の胴元が行政当局であり、結局は税金が使われることになるのであろうから、競馬に関心のない三重県人にとっては、真に心外なことであろう。三重県に住んでいなくてよかったなどと思ったりした。(失礼)

 

  

左は道の駅:伊勢志摩の駅舎。右はその傍に併設されている笠松競馬、名古屋競馬の場外馬券売り場。馬券売り場の方には広大な駐車場が広がっているけど、普段は一台の車も停まっていない。

 

今日は大移動日を予定している。これから出発して、大都市の名古屋を通り抜け、飛騨川に沿って北上し、高山の近くのどこか適当な道の駅に泊るつもりでいる。見学や見物をする予定はない。考えているのは、温泉博士に載っている下呂温泉の風呂に入りたいということくらいである。

 

8時40分、道の駅を出発。先ずは昨日の道を通って、伊勢神宮の近くから伊勢道に入る。名古屋を通過するまでは高速道を使うのはやむを得ないと思っている。名古屋でR41につながるICで下り、そこからは一路R41を走るつもりでいる。伊勢道は空いていた。空いているときは、この頃はゆっくり走ることにしている。混んでいるときは速く走れないので、ゆっくりになるのは当然である。亀山JCTから東名阪道に入ってもさほど混んではいなくて、マイペースを保ちながら名古屋のエリアに入る。名古屋市内の高速道は道幅が急に狭くなったように感ずるのは、防音壁が連続しているからなのであろうか。首都高速よりも狭くて圧迫感を覚えるのは、通りなれていないからなのかもしれない。山田東ICで下りれば、R41にそのまま入ることが出来るので、そこから下りて一般道へ。名古屋は全くの不案内で、山田というところがどの辺なのか見当もつかない。只ひたすら案内標示に従って進むだけである。大都市は、信号が赤になる度に大渋滞のような錯覚にとらわれる。しばらく高速道の下のような道を走って小牧を通り過ぎ、ようやく大都会の呪いから解放されたような気がした。旅車で大都市へ行きたいとは思わない。

 

更に北上を続けて、美濃加茂市にある日本昭和村という道の駅に寄り昼食休憩とする。寒い。今朝の晴天は、ここまで来ると通用しないのか、小雨のようなものが落ちてきていた。かなり大きな駐車場があり、その殆どが車が停まっていないので、何だか勿体ないような気がした。日本昭和村というのは、いかにも大げさな名前だが、50年ぐらい先を見ての名称なのかもしれない。昭和に因んだ建物などがあるようだけど、まだ売店以外は入ったことがない。昭和のことはかなり知っているつもりなので、生きている間は、ここに来ても覗くのは売店だけだと思う。昼食の後、その売店を覗く。なかなか魅力的なものが販売されていた。その中から鶏肉の燻製などをゲットした。名古屋コーチンという鶏は、このあたりが養鶏の中心地なのであろうか。鶏肉の燻製というのはあまり食べたことがない。鶏の肉だけど、ま、偶には良いだろう。(これは超美味だった)

 

13時少し過ぎに道の駅を出発する。次第に山の中を走る道となる。飛騨川を右下に見たと思ったら、橋を渡って今度は左下にと、めまぐるしく川を巡る景色が変転する。途中道の駅:美濃白川で小休止。道の駅は休業日だった。一息入れて直ぐに出発。しばらく走って下呂温泉の入口へ。一風呂浴びてから今日の宿をどこにするか決めようと思っていたのだったが、その後は大失敗だった。下呂温泉の温泉街に入ったのは初めてである。温泉街というのは、どこへ行っても道路が狭く建物が密集している所が多い。下呂も同じ様な感じだったが、狭い町なので、目的の旅館は直ぐに見つかるだろうと安易に考えていたのである。勿論手元の地図になどは載っていない。何しろ初めての場所なので、全く土地勘などない。書かれている住所にはその旅館は見当たらないので、諦めて来た道を戻ることにした。ところが、来た道は途中から一方通行のようになっていて、元のR41の高山方面へは行けないのである。何だこれは!と思った。仕方がないので、R41を逆戻りして少し行き、コンビニの駐車場でUターンして高山方面へ向かう。こんな道路の造り方に大いに腹が立った。ところが、R41をしばらく行くと、温泉街からの出口の道があるではないか。何のことはない、下呂温泉というのは、R41の脇に膨らんで広がっている街で、その温泉街は通り抜ければその先で再びR41に合流するようになっているのである。そのような地形を全く考えておらず、R41からは横に入った奥まった場所に温泉街があるものと思い込んでいたものだから、とんだお笑い的失敗となったのだった。後で家に帰ってから調べてみると、目的の旅館は、引き返した場所のホンの少し先にあったのである。いやあ、呆れた話だった。

 

せっかくの温泉もすっぽかしを食った感じで、腹立ちを鎮まらせながらしばらく走る。明日は久しぶりに高山市内を歩くことにしているので、高山に近いいくつかある道の駅の中から、南飛騨小坂という所に行って見ることにした。気に入ったなら今日はそこに泊まらせて貰うつもり。初めての道の駅である。30年ほど前のかすかな記憶では、この道を通って鈴蘭高原にある勤務先の保養所へ行ったような気がする。仲間と一緒のタクシーだったので、道のことはよく覚えていないけど、恐らくこの道を通ったのではないか。勿論その当時は道の駅などなく、只ひたすらに山の中の道を車の中から見ていただけだった。この歳になってもう一度ここに来るなんて、思いもよらなかったことである。

 

小坂の道の駅は、R41を御嶽山の方へ向かって少し入った県道に面して造られていた。御嶽山の方から流れてくる清流に沿った道路の両側には、かなりの高さの山々が迫っていた。この辺まで来ると、さすがに紅葉も本格的で、全山紅葉の様子を示していた。16時少し前で、まだ日は残っていたけど、暮れだすと一気に夜の帳が降りて来る感じがした。夜間はかなり冷え込む予感がする。駅舎の売店に行ってみたが、目ぼしい獲物は見当たらなかった。暗くなると急に空が曇って、小雨が降り出してきた。ここは完全にTVの受信は不可能のようだ。付近の民家では恐らく山のてっぺん辺りに共同アンテナなどを建てて受信しているのであろう、どの家にもアンテナなどは見受けられなかった。夕食を済ますと、後はもう只寝るだけである。

コメント
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