<旅を終えて>
旅から戻って、早や3週間が過ぎてしまった。旅の期間と同じ時間である。記録の整理にこんなに時間がかかるはずはないのだが、旅の間とは違って、鮮度が薄れてしまい、その上に旅から遠ざかってしまった怠惰心が、あっという間に育ってしまうからなのだ。旅が終ってからは、毎度愚痴の類ばかりである。
旅から戻った当初は、少しは冬の近づくのを感じても、庭の山もみじの紅葉は今一で、数本の連植の内の1本がわずかにそれらしくなった程度だったが、今は全体としてそれなりの風情を示している。この地の我が家にも紅葉があったのだと、今年初めて気づいたというお粗末さである。旅から戻って飛んでいった畑は、食用菊が真っ盛りだった。2日ほどかかって花を摘み、茹でたのをラップに包み、100個ほどを冷凍した。その他の野菜類(大根・蕪・チマサンチュ・レタス・カラシナ・メキャベツ)は順調に育ち、育ち過ぎたのもあって、旅と野菜作りのタイミングの難しさを改めて思い知らされた感があった。植物であっても、生き物というのは、やはり誕生からの生長のプロセスを決して忘れないものなのだと思った。
さて、今回の旅だが、それなりに良い旅だったと思う。晩秋(といってもさほどに寒さを感じない日が続いたが)の好日の中を、夫婦二人で歴史を探訪し、小島でのんびりし、又大自然の中を通り過ぎて全山紅葉などを味わって来れたのは、幸せということなのかも知れない。旅に出ると元気になるというのは真理であって、今回もたくさんの元気を頂戴したように思う。
今回の旅は、まず目的地まで直行してしまい、その後でゆっくりしたいと考え、萩まで1,300kmを走りつないで行ったのだが、これはどうも失敗だったような気がする。足かけ3日も費やしたのに、その中身は只高速道などを走り続けただけで、出会いも発見も真に少ない時間だった。スピードを挙げれば上げるほど、出会いや発見が少なくなることは承知の上だったが、振り返ってみれば、味気ない時間だったような気がする。やはり時間をかけて、一般道をちんたらと行った方が旅らしいと思う。
萩の歴史探訪はそれなりに意義があった。幕末長州の歴史を理解する上で、その町を歩き巡ったことは、大いに役立つと思う。観光バスのツアーで行くのとは違った歴史の受け止め方が出来ることがくるま旅の魅力だなと改めて思った。しかし歩き巡ったといってもわずか3日程度であり、まだ本当の萩という所には気づいていないのかも知れない。大雑把な理解で全てを知ったようなつもりになるのは思い上がりというものであろう。これからも何度か機会を作って町を訪ねてみたいと思っている。
今回の旅のもう一つの大きな目的は、瀬戸内の島でのんびり過すことだった。そのメインにしまなみ海道の大三島を選んだのだが、それは正解だったとしても、肝心の過し方が大変難しいということに気づかされた。のんびりとかゆったりとかいうのは、イメージとしては分るのだが、その実際となるとどうもはっきりしない。毎日多々羅大橋を歩いて往復し、盛港の広場に屯して時を過しても、絶えず何やら細かな雑事にとらわれていることが多くて、とてものんびりなどという気分を実感など出来ないのである。恐らくこれは自分の生来の性質(たち)なのかもしれない。大きな目で見れば、それがのんびりということなのだよ、ということになるのかもしれないけど、自分にとっては、のんびり・ゆっくりは、どうやら瞬間的に味わうもののような気がする。
旅では、その先々でその地らしさを見出し、気づいたときが何よりも嬉しい。そこにしかないもの、そこでしか見られないもの、そこにしかいないもの、等々に気づくことが旅の本質のように思う。勿論人との出会いが何より大切だと思うけど、旅は必ずしも人との出会いだけではないのだから。
その地らしさという点では、今回の旅では道の駅:南飛騨小坂で出会った「猿追い払い隊」が一番印象に残った。御嶽山に通ずる飛騨の山奥ならではの仕事である。鳥獣とは共存しながら仲良くやって行こうなどというのが一般論の世界のコメントなのかもしれないけど、飛騨の山地の暮らしの中では、猿や熊や猪たちと仲良くやってゆくなどというのは、とんだ戯言ということなのであろう。彼らのために果樹や農作物をふんだんにプレゼントすれば仲良くやって行けるかもしれないけど、彼らには貨幣は無関係なのだから、永遠に支払いは果たされるはずがない。せめて警告・警鐘を鳴らし近づくな!と追っ払うのは、村人の優しさというものではないかと思った。一斉に鉄砲で退治してしまえば、彼らからの害を防ぐことが出来るかも知れないけど、それをしないところが哀しくも優しいところなのだと思ったのだった。
今回は多くの知友の近くを通りながら何の連絡もせず素通りの旅となった。久しぶりに会いたいなという気持ちと、会うことになればお互いに煩わしい気遣いも生まれるなという、相半ばした葛藤があり、ま、時には全く自分勝手というかマイペースの旅があってもいいだろうと、どなたにもお会いすることなしの旅となった。少し淋しい気もするけど、自ら望んだことなのだから仕方がない。次回には元に戻そうと思っている。
反省点もある。その最大のものは旅の途中でバッテリーの一つを交換しなければならない事態が生じたことであり、更には残りのバッテリーもかなり性能が低下していることに気づかなかったことである。暮しの基幹部分となる装備については、それなりに事前のチエックを行なって来ていたつもりだったけど、大きな抜けがあったことを思い知らされて、反省しきりである。装備品にはどれも寿命があり、いつか修理や交換が必要だということを知りながら、そのタイミングを失してしまいがちである。これから物忘れが多くなる世代に入ってゆくわけなのだから、これを防ぐ方法を何とか確立しておかなければならないなと強く思った次第である。
3,400kmは少し走りすぎたと思うけど、我が家の近くには島から島へと掛かる橋もないし、みかん畑に囲まれて、終日身を置いてのんびり風に過せる島もない。一時の満たされる時間を求めるためには、今の時代では、これくらいの距離は必要だということなのであろう。旅で出会った多くの人たち、景色や風物に感謝・多謝で一杯である。