山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

草取りジジイ

2009-05-28 07:13:26 | 宵宵妄話

このところの日中は、歩きと昼寝の合間を見ながら庭や畑の草取りをしています。旅に出ていないときは、一日の経過が真に退屈で、それを紛(まぎ)らわすために、基本的には歩くか、飲んで寝るかの二つの時間の過し方が生活の柱となっています。残りの時間の中で、書き物や調べものなどをしているわけですが、それは実にわずかな時間で、本来はそちらの方がもっともっと多くなければならないのですが、そのことは承知していても行動に移せないというのが、我が人生の来し方の実態であり、真に怠慢なのです。さて、草取りの話ですが、その怠慢を少し削って合間を見ながら細々と取り組んでいるその感想です。

わが家の除草といえば、家の周辺(前庭、後ろ側の野草園が中心)と市からの借用菜園(計80㎡)がその対象となるのですが、これらの全ての草君たちを一人で退治するのはなかなか大変なことなのです。家内は虫に刺されるとあわや入院となり兼ねない箱入りばあさんのようなお人なので、草君たちとの対峙は全て私に課せられているのです。

何しろ合わせれば結構な広さなのですが、場所が3箇所に分かれており、順番にしかも手早く対処する必要があり、心は結構急いているのですが、身体の方は思うようにはなりません。草取りというのは、しゃがんだ姿勢で行なわなければならず、老が刻々と迫る身では、その体勢で作業をし続けていると、そのまま立ち上がらずに横倒しになって手足を伸ばしたくなるほど、腰がギリギリと痛くなるのです。更には、今頃の季節は早くも蚊が発生していて、集中砲火を浴びるが如く、見境なしに攻撃を受けますし、時には蜂君だって近づいてきます。草取りをしなければ気づかない危険環境というものが、身近にあることを思い知らされたりしています。

この中で一番厳しいのが、腰の痛さです。若いときでも田んぼの田植えや稲刈りは相当に厳しかったのを思い出しますが、たかが除草くらいで泣き言を言うほどのことはありませんでした。それが泣かざるを得ないというのは、やっぱり老以外に原因はないように思うのです。しかし、泣いていても草君たちの同情を得るのは不可能ですから、少しずつ、黙々とやるしかありません。

まずは庭の方から始めたのですが、腰が痛くなるのを何とかしようと、坐って作業が出来る車付きの箱を買いました。これを使うとかなり楽になりました。歩いているときに農家の人がそれを使っているのを見て、ホームセンターに行って探したら適当なものがありましたので、使ってみることにしたのでした。今頃は便利な用具が出来て、真に有難いものだなと思いました。

我が家の裏庭には、去年全面が緑に染まるほど海苔のような苔に覆われて、これを除去するのにエライ苦労を強いられたのですが、今年もその苔が蔓延(はびこ)り出したので、これを徹底的に取り去ろうと、まずはこの退治から開始しました。地面を削ぎ取りながらの作業は厳しいですが、その苔と一緒に生えている草君たちを、こいつは何だったかと名前を思い起こしながら引き抜くのは結構楽しいものです。同時に彼らの生き方のようなものが見えてきて、細々と生きているように見えても、結構しつこく逞しいのが判るのです。

苔の方は何という奴なのか解りません。野草の図鑑には載っていないので、さりとて新しく苔の図鑑を買う気にもなかなかなれません。でもキノコのことを考えると苔の図鑑も必要かも、……などと考えながら作業をしていると、2cmもない丈のままで黄色い花を咲かせたカタバミが、苔などものともせずに四方に点在しています。カタバミというのは、草取りジジイから見れば天敵のような存在です。柔らかい地上の茎や葉っぱは、引き抜く間もなく切れてしまいますが、地下の根は想像以上に頑丈で深く、芝などと競合してもひけをとらないほどなのです。この草は、小さい内に芝の中に入り込まない内に引き抜いておくことが除草のポイントです。我が家では手遅れになった嫌いがあり、前庭の芝はこのカタバミのために相当に痛めつけられ衰退してしまいました。花だけを見ていると「カワイイ!」などという人も結構多いのではないかと思うのですが、それはこの草の本性を知らない人の気まぐれに過ぎないと私は思っています。

カタバミの次に多いのは、ミミナグサとヒメジオンです。ミミナグサは殆どが1本の姿で頼りなさそうに小さく横たわっていますが、その多くはとっくに花を咲き終え、膨らんだ実をつけています。引き抜かれてもたちまちそのばら撒かれた実が次の世代の子を芽生えさせ、あっという間に花を咲かせて実を結ぶという、このサイクルを超スピードで繰り返しているのが判るのです。

ヒメジョンは、春先から秋まで全国至る所で見かけられる野草ですが、もともとは観賞用に輸入されたということですから、驚く話です。それが野に逃げ出し、日本中を席捲(せっけん)しているというのですから、大したもんだと褒めるべき野草なのかもしれません。とにかくしつこく生き抜く力を持った野草です。冬の間は生きている環境に合わせて大小様々なロゼット状の姿で葉を赤紫にしたりして寒さに耐えて過していますが、春になると一気に至る所に花を咲かせ始めます。我が家の庭にもどんなに取り除いたと思い込んでも、必ずどこかに生き残って、気がつけばたちまち子孫を残しているという、天晴れにして厄介な野草君です。

これらの外にも図鑑には載っていない名前のわからない小さな草が何種類かあるのですが、疲れの方が先になっており、それを調べてみようという気が起こりません。とにかく彼らなりの作戦を立てて、この裏庭の地で、生き残りの拡張・拡大を図っているのです。動物も植物も、この世においては生の鬩(せめ)ぎあいなのかなあ、と思ったりしながら1時間ほどの作業を、今日はここまで、としているのでした。

草取りジジイの仕事は、未だ家の周辺を終えたばかりですが、これから畑の大物が待っています。つまりは、苦しみと楽しみが綯()い交じった畑の世界が待っているというわけですが、勿論楽しみを膨らませたいものだと思っています。草取りジジイの話の断片でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする