山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

昔を訪ねる

2009-05-21 02:18:56 | くるま旅くらしの話

絵画展を見に行ったついでに小さな旅をしました。旅といってもその内容は散歩です。私にとって毎日の散歩は、健康を保持するための必須要件なのですが、それは又小さな旅でもあるのです。毎日歩いている道でも、視点や感覚を変えて周辺を見渡すと、必ず小さな発見がもたらされます。旅というのは、出会いと感動で構成されるものだと考えていますが、毎日の散歩の中にも、出会いや感動は無数といって良いほどあるのです。ですから、毎日10km近く歩いていても決して飽きることは無いのです。さて、今日はその小さな旅について感じたことを書いて見たいと思います。

私は東京の小平市という所と仕事の関係で縁があり、それは昭和38年(1963年)に新入社員として入社して以来のお付き合いなのです。望んで研修の仕事に就いたのでは全くありませんが、入社して最初の仕事が、社内教育で中学卒業の人たちの技能訓練教育担当でした。研修場は東京の荒川区の工場だったのですが、小平には寮があり、そこでも研修の一部を行っており、私は寮監を兼ねていきなり彼らと一緒の生活を強いられた(?)のでした。今では忘れかけている懐かしい思い出です。

その後3年ほどで技能訓練生の教育は終わりとなり、対象は高校・大学卒新入社員に切り替わりましたが、私の仕事も彼らの技術以外の領域の指導や一般社員や管理者の研修へと変ってゆきました。そして同じ職場での10年近くが経過し、その後は四国高松に5年、九州福岡に7年の勤務を経験して東京に舞い戻り、平成に入ってから少し経って、再び小平の地で仕事の7年間を過したのでした。

会社を辞めてからも研修のコンサルタントとして小平に住んでいましたので、小平市との係わり合いは、20年以上になると思います。そのようなわけで45年以上も前の小平市の有様も未だ目に残っており、近隣の小金井公園や玉川上水、多摩湖、野火止用水などの遷り変わりも忘れることの出来ない思い出となっています。今回はその思い出の場所を、早朝散歩の中でほんのちょっと訪ねたのでした。

研修所は小平市の東部の花小金井という所にあって、西武新宿線花小金井駅から徒歩15分くらいの場所にあります。その駐車場で一夜を明かしたのですが、早朝の3時過ぎにはもう目覚めてしまい、直ぐにでも散歩に出掛けたいのですが、幾らなんでもその時間では誤解を招く心配がありますので、書き物などで我慢をしながら時間を過ごし、5時過ぎ明るくなってきた頃を見計らって出発したのでした。

この付近を歩くのは8年ぶりくらいでしょうか。守谷に越す前に住んでいた東村山市の時も、偶には遠出をして水道道路(多摩湖の水を都心新宿方面へ運んでいる道水路で、地上は人びとの行き交う交通路となっている)を歩いたものですが、花小金井まで来ることは滅多になく、専ら野火止用水(その昔、川越領主だった松平信綱が幕府に願って、玉川上水から分水して、川越まで導水した用水路。これによって武蔵野の原野の開拓が進んだとも言われている)の方を歩くことが多かったのです。

まずは研修所の近くの小さな商店街を歩いてみたのですが、すっかり様子が変ってしまって、名を覚えている店は数が少なくなっていました。未だ開店前なので実際活動の様子は判りませんが、日中は恐らくもっと変っていて、看板の残っている店でも、もしかしたら営業はしていないのかもしれません。小規模の小売り業では、もはや経営が成り立たない時代となってしまったのかもしれません。敷地一杯に建てられた住まいと思われる2,3階建ての家には立派な車庫があり、高級車が鎮座している家が目立ちました。子どもの世代となって、店は住居に変ったのだなと思いました。その昔はさほど狭いとも感じなかった道路は、両側にビッシリと建て込んだ家々に圧倒されて、実に貧弱な狭い生活道路に成り果ててしまった感じがしました。

近くの商店街を通った後は、更に裏道から住宅街を抜けて小金井公園に向いました。小金井公園は、桜の名所としても有名ですが、東京でも有数の広さを持つ公園で、その中には江戸東京博物館の分室として江戸東京たてもの園などの施設の他に、各種運動施設をはじめ様々な憩いの場所が用意されています。周囲を一回りするには1時間以上もかかり、5kmを超える距離となると思います。隣接する小金井カントリーよりも公園のほうが広いのではないかと思います。この小金井公園には様々な思い出があります。

普通の人ならば、休日などに桜を見に行ったり、子どもをつれて遊びに行ったり、或いはたてもの園を見学したりということになるのでしょうが、私の場合は、その昔はこの公園の桜の木の下で訓練生の人たちと一緒に、授業としてのサッカーなどをして時間を過ごしたのでした。今は老大木となっている桜の木も、45年前は幹の太さがまだ手のひら両手に収まるくらいの若木だったのです。ソメイヨシノの寿命はわずかに100年足らずですから、今の老大木を見ていると、生長のスピードが思われ、当時のことが全く嘘のような気がしてならないのです。樹木の生長というのは遅いようで早く、人間の時間物差しでは計ることが出来ない世界のようです。久しぶりに行ったその場所は、8年前とはさほど変ってはいませんでしたが、大木の緑に囲まれて、その隙間から見える空も緑に染まっていました。

公園の西端から東端に向って、ゆっくりと新緑を味わいながら歩きました。たてもの園では、家内がボランティアで古民家などの建物のメンテナンスやガイドを勤めており、毎週来ていましたので、私も車で送迎をしたりして、懐かしい感じは一入です。以前と変らぬ景色がそこにありました。これらは変ってはならない景観です。

   

小金井公園の中にある江戸東京博物館の分館である、たてもの園の正面入口棟の偉容。昔は此処に武蔵野郷土館という建物があった。現在のたてもの園には、江戸末期以降の建物を中心に幾つもの家屋が移築されており、宮崎駿監督のアニメの「千と千尋の神隠し」の中に出てくる湯婆の銭湯のモデルとなった建物も健在している。

たてもの園の少し先に行くと、小金井薄紅桜という、此処で発見された新種の桜の原木があります。自然交配によって生まれたものだそうですが、以前見ていた時は元気が無く、今にも枯れそうで心配だったのですが、今日寄って見てみますと、思いのほか元気な様子で少し安心しました。新緑の葉が活き活きとしていましたので、今年はきっとたくさんの花を咲かすことが出来たのかも知れません。ソメイヨシノは一本の木のクローンで広がっていることで有名ですが、この薄紅桜もクローン技術によって広められているのかも知れません。そのようなことが案内板に書かれていました。

   

真ん中にすくっと立っている黒い幹が小金井薄紅桜の原木。緑が濃くて判り難いが、以前よりもかなりしっかりした新緑の枝を伸ばしていた。

次第に散歩などの人が増え出し、6時を過ぎる頃になると、すれ違う人の数が半端ではなくなってきました。休日なので、人出が多いのかなと思ったのですが、そうではなくて、歩いている人たちの殆んどがリタイア後の世代と思しき人たちであり、皆さん健康のために早朝散歩を心がけてやって来られた方々のようです。周辺は住宅街なので、朝を待ちかねて家を出てきた人が多く、さながらシルバー天国の様相を呈している感じがしました。さすがに東京は人が多いのだなあと改めて実感した次第です。

1時間ほどかけて新緑の公園の空気を味わった後は、田無(現在は西東京市)の方に抜け、水道道路に出て花小金井の方に戻ることにしました。水道道路の両脇には桜などの木が植えられ、その下には有志の方たちのご尽力なのか、所々様々な種類の花が植えられており、今頃の季節は、最高の散歩道となっています。7時近くとなって、通勤、通学の人たちも増え出したようで、かなりの人出となり出しました。

   

水道道路の景観。これは花小金井駅付近の早朝の様子。緑のトンネルは、仕事や学校に急ぐ人たちの後押しをして元気づけている感じがした。

花小金井の駅を過ぎ、ちょっと気になって、その昔いろいろお世話になった文房具屋さんのある駅前商店街を覗いてみました。どの店も皆開店前なのでひっそりとしていましたが、驚いたのは商店街のある道がインターロッキングのような舗道となっていたことでした。それは車の出入りよりも人の歩きを重視することを意味しているように思い、嬉しいようなそうでないような気持ちとなりました。この道は、車が殆んど歓迎されていないことだけははっきりしたということです。裏道が好きな私は、文房具屋さんの後ろの方に市の役所の出張所のようなものがあったのを思い出し、覗いてみたのですが、何とその建物は撤去されていて、自転車の駐輪場となっているではありませんか。市民に対しては、役所の出先機関を置くよりも駐輪所を設置した方が優れたサービスとなるという当局の判断なのかと思いました。いやあ、短い時間の間にも街は少しずつ姿を変えてゆくものなのだなとしみじみと実感した次第です。

その後は、もう車に戻ろうと再び水道道路に戻って研修所を目指したのですが、その昔最も頻繁に通った駅から500mほどの通勤路だった水道道路のその道は、真に懐かしく、全てに周囲の風景を噛みしめての歩きとなりました。風景を噛みしめての歩きがどんなものなのかは、私だけの世界の話です。その中で一番驚いたのは、道の脇にあった公園が同じ面積のはずなのに、ものすごく小さくなっていて、まるで箱庭のように見えたことでした。歩きを常とする者の目には、一木一草の存在が強く印象に残るものなのですが、その水道道路脇の公園は、その四辺に植えられていた桜の木が、この8年間の間に途轍もなく生長して、殆んど公園を埋め尽くすほどの緑の枝を伸ばしていたからなのでした。2時間ほどの歩きの中で、全てが変化していることを、複雑な思いと一緒にしみじみと感じた小さな旅の時間でした。

コメント
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