東京多摩借地借家人組合

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さまよう住まい 阪神大震災22年/上(その1) 一生の家と信じていた

2017年01月18日 | 最新情報
http://mainichi.jp/articles/20170113/ddn/002/040/031000c

 昨年5月12日の神戸地裁203号法廷。男性は「被告」として証言台に立った。「この家で終身、生活できると信じてきました。被災した時、まさか21年後に神戸市に訴えられるとは夢にも思っていませんでした」。意見を聞いてもらえる数少ない機会と思い、原稿を丸暗記した。まっすぐに裁判長を見つめた。
 男性は、神戸市が阪神大震災(1995年)の被災者向けに用意した借り上げ復興住宅「キャナルタウンウエスト」(兵庫区)に住む元調理師の吉山隆生さん(66)。震災で戸建ての自宅が全壊し、仮設住宅を経て99年12月に移った。周囲の環境にも慣れ、落ち着いた日々を過ごしていた。
 20年の期限で家主に返還される制度と知ったのは6年前。「入居時には書面でも口頭でも説明はなかった」と訴える。その後、85歳以上や重度の身体障害者などの継続入居は認められたが、吉山さんは対象外だった。退去を拒むと、昨年2月11日、明け渡しを求める訴状が届いた。被告の欄に自分の名前があった。紙を持つ手が震えた。
 「神戸市という大きな組織が、自分を訴えた」。眠れず、睡眠導入剤が欠かせなくなった。それでも午前5時には目が覚める。一からやり直す自分を想像する。「何か悪いことをしたのか」。何度も自問するが、答えは出ない。

     ◇

 兵庫県と神戸市など6市の借り上げ復興住宅には昨年末現在で約2800世帯が住む。宝塚、伊丹両市は計71世帯について無条件の継続入居を決断したが、それ以外は年齢などの条件を満たさなければ2022年までに次々と入居期限が訪れ、転居を迫られる。西宮市と大阪府豊中市は猶予期間を設けて原則転居を求めており、入居先によって格差が生じている。
 昨年11月下旬の夜。神戸市灘区の県営借り上げ住宅「HAT神戸灘の浜」の集会所では継続入居の可否判定について、県が年内最後の説明会を開いていた。「みんな1人で住んどる人ばかり。支え合って生きとるんや」。初老の男性の怒号が飛ぶと、約10人の参加者が一斉にうなずいた。

     ◇

 17日で阪神大震災の発生から22年を迎える。昨年末に前立腺の手術をした吉山さんは年末年始を県内の親戚宅で過ごし、1月4日に住み慣れた部屋へ戻った。体調は優れないが、「ほっとする」という。「やっぱり、出て行かなければならない理由が分からない」とつぶやいた。

さまよう住まい 阪神大震災22年/上(その2止) 「ハコ」優先のツケ
http://mainichi.jp/articles/20170112/ddn/002/040/049000c

 真冬の早朝に起こった未曽有の大災害は、全壊だけでも18万世帯から住居を奪った。「一刻も早く住まいを」。22年前の当時、行政側も懸命だった。
 阪神大震災1週間後の1995年1月24日深夜。建設省(現・国土交通省)から兵庫県に出向し、都市住宅部長として被災者の住宅復興に奔走していた柴田高博さん(67)は貝原俊民知事(2014年死去)からこう告げられた。「失意の底にいる被災者に、生活の基本となる住宅の早期供給が必要だ」
 それから2カ月のうちに柴田さんらは住宅復興計画を作り上げた。公営住宅の建設や民間からの買い取りなど考えられる手段を総動員した。公営住宅が足りない場合を想定し、建設省と算段をつけたのが、公団住宅などを借り上げる手法だった。柴田さんは「被災者目線とはスピード。必要なのはモノだった」と振り返る。
 その結果、震災5年後の2000年1月14日に仮設住宅の解消にこぎ着けることができた。今もプレハブ仮設が2万戸近く残る東日本大震災被災地の現状を考えると、その早さが分かる。だが、大事なことが忘れられていた。「借り上げ期間の20年の途中で、入居者と話し合って次のステップを考えないといけない、という問題意識が続かなかった」。当時の県幹部はこう打ち明ける。

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 仮設の次の住まいを「ついの住み家」にできるか。この課題に取り組んだのが、東日本大震災の被災地・仙台市だ。ピーク時に約1万2000世帯が仮設住宅で暮らした。その8割は自治体が公営や民間住宅の空き部屋を借り上げ、避難者に無償提供する「みなし仮設住宅」に入居していた。
 仮設住宅の供与はいつか終わる。同市によると、「追い出し」にならないように次の住まいに移ってもらうことが至上命令だった。そのため、震災直後から仮設の全戸訪問を1年かけて実施し、「日常生活の自立性」と「住まい再建の実現性」を調べた。支援が必要な世帯への訪問や聞き取りを繰り返し、「いつか出ていかなければならない」と伝えた。
 公的支援ではすくいきれないニーズについては民間支援団体と連携した。その一つに、「伴走型支援」を行う一般社団法人「パーソナルサポートセンター」(PSC・仙台市)がある。不動産業者と連携し、連帯保証人不要の物件を紹介。転居の初期費用がないケースでは民間の貸付制度を活用した。転居先の候補には一緒に足を運び、「次の生活」をイメージしてもらった。
 PSCはこれまで、166件の転居に携わった。1世帯当たりの平均相談数は20回。「166通りの支援をした」という。PSC理事でもある「人と防災未来センター」(神戸市)の菅野拓研究員は「『ハコ』ではなく、『暮らし』を用意することを重視した」と強調する。「ハコ」を優先した阪神大震災の負の側面は、その後の災害で教訓として生かされている。(この連載は井上元宏、神足俊輔が担当します)

さまよう住まい 阪神大震災22年/中 家賃補助 国は依然難色
http://mainichi.jp/articles/20170113/ddn/002/040/031000c

 仮設住宅を出なければならないが、住める場所がない--。東日本大震災(2011年)の被災地で、こんな事態に直面する被災者が相次ぐのではとの懸念が広がっている。
 津波で甚大な被害を受けた被災地では、仮設建設が間に合わず、民間賃貸住宅を転用する「みなし仮設」が多い。2年の期限は更新されているが、家賃を全額公費負担する「仮設」の状況をずっと続けるわけにはいかないのが実情だ。
 一方、有力な移転先となる災害公営住宅(復興住宅)は自治体の条例や公営住宅法に基づいて運営されており、入居には条件がある。被災した自宅が撤去されていない場合や税を滞納している人などは対象から外れてしまう。
 宮城県石巻市は15年12月、仮設住宅から民間賃貸住宅に移る際の家賃補助への財政措置を復興庁に要望した。復興住宅への入居資格がないみなし仮設の被災者に家賃を補助することで継続入居を可能にし、生活再建を促す、という思惑があった。だが、国は「公営住宅が同じ役目を果たす」と消極的だった。
 昨年11月、同市は市税滞納者らについても条件付きで復興住宅への入居を認める決断をした。それでも行き先が決まらない世帯が数十世帯残るという。同市で仮設入居者の聞き取り調査をしてきた宇都彰浩弁護士(仙台弁護士会)はこう指摘する。「震災で仕事を失うなどして生活に困窮している人もいる。他の自治体でも同じような人がいるとみられ、対策が必要だ」

       ◇

 被災者への家賃補助の是非は、阪神大震災(1995年)の翌年にも実は議論されていた。
 兵庫県と神戸市、国の復興協議で、県や市は「自らの努力で民間賃貸へ高い家賃を払っている低所得者層へ家賃補助を行いたい」と求めた。だが、国側は「大阪、東京でも高家賃に苦しんでいる人はたくさんいる」と素っ気なかった。
 県や市は既存制度では対応困難な支援を行うために創設した復興基金を活用。民間住宅の家主に補助金を出す形で被災者の家賃負担減額(1万~3万円が上限)を実現した。支出総額は約346億円に上った。
 被災地の自治体が被災者への家賃補助を求め、国が難色を示す--。この構図は昨年4月に発生した熊本地震でも繰り返された。
 「国の支援はありますでしょうか」。昨年8月、国土交通省で熊本市の幹部が問い掛けた。市が用意したA4の資料の項目には「短期の家賃補助」とあった。
 市は中心市街地に人口を集めるコンパクトシティ構想を進めている。少子高齢化が進む中、郊外に公営住宅を増やせば、住宅政策の転換を迫られることになる。
 対策として「みなし仮設」の借り上げ公営化が当初浮上したが、期限途中で退去しても家賃負担が続く問題や、期限後に阪神大震災被災地で起きている「借り上げ復興住宅からの立ち退き問題」を抱える可能性があるため断念。既存の公営住宅への優先入居を進めることで復興住宅の建設を150戸に抑えることにした。これで足りるのかは、担当者もまだ分からない。
 国交省は空き家活用策として今秋にも、低所得の子育て世帯などに家賃を一部補助する施策を始める。だが、「災害時の制度ではない」と、くぎを刺すのを忘れていない。

さまよう住まい 阪神大震災22年/下 進まぬ自力再建支援
http://mainichi.jp/articles/20170114/ddn/002/040/029000c

 熊本市南区の2階建て民家は地盤が15センチ沈下し、少し傾いていた。ドアは開かなくなり、庭のブロック塀には電柱が倒れかかったままだ。住人の女性(56)は熊本地震から9カ月が過ぎた今も、「半壊」と判定されたこの家で暮らす。仕事はコンビニのパート。「修理したいが、お金がない」と肩を落とした。
 業者への見積もりでは、地盤のかさ上げだけで600万円かかる。夫は5年前に死亡し、住宅ローンは生命保険で払い終えたが、蓄えはわずかだ。被災者生活再建支援法の対象になるのは「大規模半壊」以上。仮設住宅に移っていないため、公費の支援は応急修理の費用(上限57万6000円)だけ。トイレの水回り修理に消えた。「亡き夫と建てた家を離れたくない」
 昨年末、熊本県は地盤かさ上げの独自補助を決めた。とはいえ、自己負担分や家のゆがみの補修などの出費は重く、修理もままならない家に住み続けるつもりだ。
 一方、熊本県西原村の男性(60)は「全壊」の自宅の再建をあきらめ、災害公営住宅への入居を考えている。地震数カ月前に退職したばかりで、大学1年と高校2年の娘を養うためアルバイトを始めた。再建するなら被災者生活再建支援制度で300万円が支給されるが、それだけでは足りず、ローンを組む自信もない。「地震保険が切れてなければ……」とつぶやいた。

       ◇

 大災害が起きた時、被災者自身による住宅再建を、どう支えていくのか。
 内閣府が設置した「被災者に対する国の支援の在り方に関する検討会」のワーキンググループでは2014年5月、半壊住宅の修理費支援の拡大が議論されていた。仮設住宅の建設費は東日本大震災で最大1世帯あたり700万円に達していた。そのため、支援の上限を引き上げるべきだとの意見も出た。
 同年8月の検討会で、委員だった林春男・防災科学技術研究所理事長は「被災者一人一人の自立のために、包括的な法制度にし、支援メニューを広げることが重要」との姿勢で臨んだ。だが、内閣府の担当者に「それは難しいですよ」と反論された。「修理費を増やすと、私有財産への補償になりかねない。それに南海トラフ巨大地震の規模を考えると、財政的に持続しない」との論理だった。
 検討会は同月、中間とりまとめを出したが、修理費支援問題の意見の食い違いは埋まらず、結論は先送りされた。その後、会議が開かれないまま、熊本地震が発生した。

       ◇

 内閣府は昨年11月、「大規模災害時における被災者の住まいの確保策に関する検討会」を新たにスタートさせた。首都直下や南海トラフ巨大地震を想定したもので、仮設から恒久住宅の確保策まで議論し、今夏にも新たな方針を打ち出すとしている。
 現行制度では、仮設住宅は災害救助法、その後は被災者生活再建支援法や公営住宅法に基づいた別々の対応となる。一方で、民間賃貸住宅を転用する「みなし仮設」など、東日本大震災以降、住居確保の手法も被災者のニーズも、法の想定を超え多様化している。
 座長に選ばれた林理事長はこう決意を語る。「現在は阪神大震災当時より高齢化が進み、支援が必要な人も増えている。型どおりの支援では済まないし、財源を確保するためには地震保険や公的な共済制度なども組み合わせる必要がある。大事なのは、人の生活を優先して考えることだ」(この連載は井上元宏、神足俊輔が担当しました)

記者の目 阪神大震災 22年後の住まい=神足俊輔(神戸支局)
http://mainichi.jp/articles/20170117/ddm/005/070/007000c

被災者目線で支援を 神足(かみあし)俊輔

 阪神大震災で自宅を失った「被災者」が、再び住まいを追われようとしている。兵庫県や神戸市などが民間から借り上げた復興住宅が、入居期限の20年を超えつつあるためだ。神戸市や同県西宮市は、継続入居を望む住民に明け渡しを求める訴訟まで起こした。17日で発生22年を迎えた阪神大震災の被災者が、住居を今なお定められない姿は、災害後の住宅確保策の不備を象徴している。

入居期限迎える「借り上げ」住宅

 なぜ今、住民が追い出されるのか。私は同僚とともに、2011年の東日本大震災と16年の熊本地震の被災地も取材し、「さまよう住まい」(大阪本社発行12~14日朝刊)を連載、課題を探った。取材を通じ、被災者の生活再建の基盤は住宅だと強く感じた。
 借り上げ復興住宅は、「住宅災害」とされた阪神大震災で行政がスピードを最優先に検討、採用された制度だ。公営復興住宅が不足したため民間などから借り上げて家賃の一部を行政が支払い、入居者は公営並みの家賃を負担している。だが期限を迎え、高齢や障害の程度などによって継続入居を認める自治体もあるものの、大半は住み替えを求められている。一方、公営復興住宅に入居した人は住み替える必要がない。
 「ついのすみかだと思っていた」。昨年2月に神戸市から提訴された吉山隆生さん(66)はそう語る。被災後20年近くを過ごし、かかりつけの病院を含め、なんとか再構築した生活環境がある。住まいを追われるのは、暮らしを奪われることと同義だ。
 退去を求めた理由を市は「借り上げ住宅の家賃の一部を行政が負担し続ければ、公営住宅の入居者らに対する財政負担と比べ不公平が生じる」と説明する。提訴についても、退去に応じた住民との公平性を強調する。だが、好んで出て行った住民がどれだけいるだろうか。震災で足に障害を抱えた神戸市のある夫婦も、全壊した自宅近くの借り上げ住宅から4年前に市営住宅に越したが、「あのまま住み続けたかった」と今も残念がっている。
 制度を定めた公営住宅法の改正が入居後になったため、契約時に期限が通知されなかった住民もいる。それでも、期限について神戸市などが住民に説明し始めたのは、制度が始まって15年近くたった10年ごろだ。市は相談会などで「個別に手厚い対応をした」というが、疑問が残る。
 一方、東日本大震災の被災地・仙台市では、仮設住宅で暮らした約1万2000世帯(ピーク時)のうち8割が、公営・民間住宅の空き部屋を市が借り上げて無償提供する「みなし仮設住宅」に入居していた。市の担当者は全世帯を訪ね、被災者の自立の可能性を分類し、支援を検討した。貧困や病気などで支援が必要な世帯とは特に話し合いを重ねた。入居期限についても説明しながら、次の暮らしを見据える「伴走型支援」によって、追い出しにならないよう心を配ったという。仮設は今年度中に解消される。

働きかけ怠った行政の責任重い

 住民への働きかけを長く怠った神戸市などの責任は重い。阪神の被災者が移転を迫られているのが仮設ではなく復興住宅である点にも、問題の根深さを感じる。自治体の対応に問題はあるが、住まいを取り戻そうとする被災者への支援制度に、より根深い問題があるのではないか。
 住宅は住み慣れた場所に再建するのが望ましい。再建がかなわなくても、場所を変えず継続的に住まいが確保されるべきだ。必要なのは「持ち家の再建」と「賃貸住宅の家賃」に対する支援だろう。
 だから阪神、東日本、熊本の被災地の自治体は、民間賃貸住宅に入居する被災者への家賃補助への財政措置を、それぞれ国に対して要望した。だが国は財政的に持続できないと難色を示し続けている。
 住宅再建への支援も不十分だ。被災者生活再建支援法の対象は「大規模半壊」以上で、額も300万円にとどまる。仮設住宅には建設・解体で1戸500万円以上かかるとされ、被災者の住宅再建に詳しい津久井進弁護士(兵庫県弁護士会)は「再建可能な場合は、仮設用の費用を住宅の修繕に利用できるようにすべきだ。仮設住宅を減らすことにもつながる」と訴える。津久井弁護士ら阪神、東日本被災地の弁護士や研究者のグループは、持ち家への直接支援や家賃補助を拡充する立法の提言を検討している。
 私有財産への公費投入や現金支給による支援に、国などは強い拒絶感を示してきた。財政問題も無論大きい。それでも、被災者の目線で多様な状況に応える住宅支援制度を整えることが、今後懸念される大災害に備えるために不可欠だと私は考える。
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