本席の掛け物
与謝蕪村の自画賛の軸
賛は
散る梅の五つに分ける匂かな
平安夜半亭蕪村
禅語
一華五葉に開く
の心を句にしたとう
兎庵さまの文章を拝見
賛の句は「ちる梅」とあるからには梅花の季節に逝った故人を偲んだ
追福の句であろう。
さらには人口に膾炙した禅語「一華開五葉」に因み、
家運隆盛、子孫繁栄の意を込めて応需揮毫した作と思われる。
空想をほしいままにすれば、
明和8年12月8日に没した盟友春泥舎召波の嗣子維駒の需に応じて
その忌日に書き与えたもの、とでもしてみたいものだ。
初祖達磨が二祖慧可に書き与えた伝法の偈
「吾本来茲土 伝法救迷情 一華開五葉 結果自然成」
-悟りの花を開き仏の五智を開発するならば、
菩提という仏果は期せずして結実成就する-
という意の遺偈を念頭においた句であろう。
類句に「一輪を五ッにわけて梅ちるぬ」があり、
自筆句稿よりなる『蕪村遺稿』に採られている。
このかすかに詠嘆のひびきが聴き取れる句は『落日菴』句集の順序から
明和七年頃の作と推定されている。
蕪村に桃や松などの樹木を描いた絵は多いが、
明清画によく見られる構図のこのような下がり梅は
ありそうでこれまで類を見ない。
安永五年出石の霞夫の需に応じた絹本水墨二幅対「梅花叭叭鳥図」の
梅の木を逆さまに描くとちょうどこの図になる。
白みかけた空、薄明を思わせる薄墨を背景に、
左上から右下に渋滞なく一気に描かれて垂れ下がる大きな枝、
枝末に咲く白梅と散りかかる花びらを外隈で白抜きにした手法は
晩年に多く描かれた傑作「雪中鴉図」などの降り散る雪に見られる
蕪村手練の水墨表現である。
となんと深き事
床の間に向かい
しばらくは頭を下げるのみである
与謝蕪村の自画賛の軸
賛は
散る梅の五つに分ける匂かな
平安夜半亭蕪村
禅語
一華五葉に開く
の心を句にしたとう
兎庵さまの文章を拝見
賛の句は「ちる梅」とあるからには梅花の季節に逝った故人を偲んだ
追福の句であろう。
さらには人口に膾炙した禅語「一華開五葉」に因み、
家運隆盛、子孫繁栄の意を込めて応需揮毫した作と思われる。
空想をほしいままにすれば、
明和8年12月8日に没した盟友春泥舎召波の嗣子維駒の需に応じて
その忌日に書き与えたもの、とでもしてみたいものだ。
初祖達磨が二祖慧可に書き与えた伝法の偈
「吾本来茲土 伝法救迷情 一華開五葉 結果自然成」
-悟りの花を開き仏の五智を開発するならば、
菩提という仏果は期せずして結実成就する-
という意の遺偈を念頭においた句であろう。
類句に「一輪を五ッにわけて梅ちるぬ」があり、
自筆句稿よりなる『蕪村遺稿』に採られている。
このかすかに詠嘆のひびきが聴き取れる句は『落日菴』句集の順序から
明和七年頃の作と推定されている。
蕪村に桃や松などの樹木を描いた絵は多いが、
明清画によく見られる構図のこのような下がり梅は
ありそうでこれまで類を見ない。
安永五年出石の霞夫の需に応じた絹本水墨二幅対「梅花叭叭鳥図」の
梅の木を逆さまに描くとちょうどこの図になる。
白みかけた空、薄明を思わせる薄墨を背景に、
左上から右下に渋滞なく一気に描かれて垂れ下がる大きな枝、
枝末に咲く白梅と散りかかる花びらを外隈で白抜きにした手法は
晩年に多く描かれた傑作「雪中鴉図」などの降り散る雪に見られる
蕪村手練の水墨表現である。
となんと深き事
床の間に向かい
しばらくは頭を下げるのみである