新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

『ローマ亡き後の地中海世界』上

2009年01月25日 | 本・新聞小説

昨年秋に塩野七生著『ローマ人の物語』をやっと読み終わったあと、ちょっとした脱力状態におちいりました。そうなるほど、私にとっては長く、面白く、エネルギーを使う本でした。そんな時にちょうどローマ亡き後の地中海世界』(上)発行されたのです。

塩野さんの本はルネサンスを中心にした本が多く、私もここから入り込んでその面白さにひかれ、ヴェネツィア1000年の興亡を描いた『海の都の物語、ビザンチン帝国の終焉を書いた『コンスタンティノープルの攻防』、イスラム勢力の興隆してきた中での『ロードス島攻防記』、キリスト教国がやっと勝利した『レパントの海戦』と読み進みました。

しかしそれでは私には歴史を点で捉えることしかできなくて、もっと世界史が知りたいと『ローマ人の物語』にまで至りました。やっとのことで読み終えてみると、しかし今度は西ローマ帝国滅亡とルネサンスの間までがどうしても埋まらないのです。

Sionoそんな中で読んだ『ローマ亡き後の地中海世界』は、私の疑問に応えてくれるぴったりの本でした。何よりもそこにルネサンスの萌芽を見出したからです。イスラムに支配されたスペインの高度な文化の発達が、後のルネサンスにつながったことをテレビで見て興味を持ち、まさにその前哨となる部分がありました。

「パクス・ロマーナ」が崩れた後の地中海は、サラセンの海賊の襲撃でイタリア半島とシチリアはまさに暗黒の世界。アフリカ北部サラセンの海賊がイタリアの海辺の街はおろかローマ教皇の居住地まで襲い荒しまわったことは、私には驚きの知識でした。

しかし、シチリアにおけるアラブ・イスラムの支配200年の中で、「イスラムの寛容」はキリスト教徒とイスラム教徒の共生を赦したのです。そして、アラブ人はシチリアの首都パレルモに「ビザンチン帝国の締め付けを嫌ってペルシャに逃げたギリシャ人を通して知った、哲学、天文学、数学、幾何学、医学、のすべてを移植した」のです。それは「イスラム支配時代のシチリアに限定されず、後代にも広く影響した」のでした。

海賊に拉致され奴隷としてアフリカに連れて行かれたキリスト教徒。十字軍ばかりでなく修道会や騎士団が、奴隷として拉致された人たちを何百年にもわたって救出し続けた努力も記されています。

「パクス・ロマーナ」が過去の栄光となり、地中海をはさんで向かい合ったキリスト教とイスラム教という一神教同士の闘い。年表には表れにくい細かい記述もあり、中世前期が大変面白くまとめられています。

少し疑問に思ったところ・・・。ふつうは、オットー1世の戴冠で962年が神聖ローマ帝国の起源とされていますが、塩野さんは800年フランク王国シャルルがローマ法王レオ3世から冠を受けたときを神聖ローマ帝国の始まりとしています。

800年のこの戴冠が、後代の歴史家から「ヨーロッパの誕生」のビッグイベントとされているところから、塩野さんも同じ見方をされたのでしょうか。

下巻の刊行が待ち遠しいですが、あと1年待たねばならないと思います。


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15 コメント

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面白いですねえ。私も何時フランク王国がフランス... (山口ももり)
2009-01-26 09:12:12
東ローマ帝国が1453年に滅びるといっても、もはや、ローマというより、「ビザンツ」これはギリシャ人の世界だったんだとか・・・読んだことがあります。ビザンツ帝国は言語もギリシャ語が主だったそうですね。塩野七海さんは、去年の読書目標にしていたはずなのに、最近の興味は「京都」に移っています。目下は平安京。こう、フラフラと目先が変わっちゃいけませんね。あなたを見習わなくっちゃ。でも、シチリア旅行がすごく面白かったです。カルタゴからギリシャ、ローマ、ビザンツ、イスラム、ノルマン、キリスト教と・・・文化が重なっているのですもの。
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「イスラムの寛容」なのですか。宗教を理由に人を... (kazuyoo60)
2009-01-26 10:10:43
壮大な物語なのでしょう。心が広がる情景が思われます。
宗教の前に、同じ人類、殺しあうことは止めてほしいです。
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>ももりさん (ちゃぐまま)
2009-01-26 21:53:02
シチリアの歴史的意義はすごく高いんですね。
ローマ帝国の以前から、そして以後も存在がとても貴重です。
イタリア旅行にもう一度行き直し・・とはなかなかいきません。
ももりさんはいい旅をされましたね(≧∇≦)ъ ナイス!
フランス人は、ゲルマン系蛮族フランク族と、ローマ系ガリア人の
融合なんですって。
フランク族は「平然と不潔」だとは塩野氏の言葉ですよ(o^^o)ふふっ♪


>kazuyoo60さん
「イスラムの寛容」は、一時期シリアあたりでもそうだった
ような気がします。
キリスト教もイスラム教も元をたどれば同じ神。
それがなぜ今こうなったんでしょうね~。
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そう・・・不潔。それにあの絶対王政の時代、「フ... (山口ももり)
2009-01-27 08:20:43
そう・・・不潔。それにあの絶対王政の時代、「フランス人みたいに瘠せてる」って言葉があったんですって。それ程人民からの収奪が酷かったんでしょうね。ルイ14世なんか、その上の贅沢です。この言葉をどの本で読んだか、それが、わからないのです。
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>ももりさん (ちゃぐまま)
2009-01-28 00:58:53
この本からですが、石鹸は古代ローマの名残があった南イタリアや
シチリアで使用されていて、9世紀の初めにシャルルがローマにきて
石鹸の良さを知り、フランスにもどって広めたのだとか。
それまでは不潔だったらしいですよ。
ローマ帝国の初めのころは、ガリア人を「ズボンをはいた長髪の野蛮人」と
軽蔑していたようです。
それが、今はパリかミラノかですからね~。

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わぁ~、いつか読んでみたいと思っている本ばっか... (あむ)
2009-01-29 22:35:27
わぁ~、いつか読んでみたいと思っている本ばっかり・・・!もうみんな読まれたんですね、いいな~。この時期に近い本で、ゲルマンのほうから読んだことがあります。松谷健二さんの≪東ゴート興亡史≫、とてもよかったです。いつかぜひ♪
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塩野ローマ漬けだった一年。ローマ亡き後の地中海... (クッキーまま)
2009-01-30 12:23:57
塩野ローマ漬けだった一年。ローマ亡き後の地中海世界上下、図書館へリクエスト入れました。多民族間の自国の安全と食の確保をかけた知恵くらべ、栄枯盛衰。惹かれます。
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>クッキーままさん (ちゃぐまま)
2009-01-30 15:34:24
初めまして!こちらにいらして下さってありがとうございます。
「塩野ローマ漬け」を見て、同じ思いを持つ人を見つけてとても嬉しく
思いました。
《塩野力》には、人をのめりこませてしまうような不思議な魅力が
あります。
イタリアで資料をふんだんに使った研究の深さからくるものでしょうか。
『ローマ亡き後・・・』は、まだ上巻しか出版されていないと思います。
この今の瞬間、塩野さんも書斎で下巻を執筆中なのでしょうか・・・。
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>あむさん (ちゃぐまま)
2009-01-30 15:43:56
ヨーロッパの成り立ちは複雑で、わかりにくいところもありますが、
とにかく興味をひきつけますね。
『ローマ人・・・』には、蛮族の「侵入」として矢印で出てくる場面が
多いですが、ヨーロッパの成り立ちには欠かせないところですね。
松谷健二さんの≪東ゴート興亡史≫、メモメモです!
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ちゃぐままさん (クッキーまま)
2009-01-31 14:16:08
素敵な内容のHPに魅せられて入り込み、ついそのままお邪魔しちゃって
すみません・・・・
ローマをも乗っ取った東ゴートの興亡史、早速読みます。
国の歴史って人の一生にも通じるものがあり、いとおしいです。
何気なく「ハンニバル」から~ それから遡り、時代を下って、
点から面になって、わたしの世界も広がっていく感動。
主人公が、またなんて魅力的な男達~

山口ももりさん

暖かい色彩の北欧4カ国旅日記、お話も共に本当に惹きつけられました。
古代地中海世界からスカンジナビア半島へ・・・・・楽しみますね。

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