新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

やっと出会いました!「松林図」

2017年11月22日 | 美術館&博物館

私にはまぼろしの屏風図だった等伯の「松林図屏風」が、なんと九州国立博物館にやってきたのです。数年前、九州初上陸と話題をよんだ大分県美での展示を見損なって、もう縁がないものとあきらめていました。
その豪華な展覧会「新・桃山展」が11月26日まで、九州国立博物館で開催されています。

   
国宝、重文がズラリとあっては、それぞれの作品の前は順番を待つ人が行列なのは当たり前。各章ごとに人の列の隙間を見つけ上手に回ります。

   

  

等伯「松林図屏風」、故郷七尾の海の霧に包まれた情景を描いたものだそうです。が、霧は描がれていません。見え隠れする松の墨の濃淡だけでその情景を表す、すごい技だと思います。
近づいて見ると通常の絵筆で描いたとは思えません。線書きの先が細らず直線のままなのです。普通の筆では等伯の心は表せなかったのでしょう。松林図の前だけは人がまばらで、作品を遠巻きに見ています。
さすが皆さんよくご存じで、この朦朧とした空気感は離れて見ないと近くでは感じられないのです。
学生時代に19世紀ターナーの絵が大気を表現しているのに感動しましたが、等伯はそれよりも早く16世紀に描いたのです。余白が多い分だけ、見る人にいろいろな思いを持つ時間を与えてくれます。

数年前、安部龍太郎『等伯』が直木賞を受けました。その中の、聚楽第の秀吉の前で、等伯が松林図を披露する張りつめた場面が忘れられません。
家康も利家もいました。秀吉の「わしは今まで何をしてきたのであろう」とつぶやき、「心ならずも多くの人を死なせてしまいました」と涙を拭う家康・・・。大自然の幽玄を心で描いた絵を前に武将たちをねじ伏せた瞬間です。

もう一つの私の発見は永徳「琴棋書画図襖」、これも国宝。4枚のうち右2枚に描かれた松の木の葉。永徳のいつもの鮮やかな緑のべた塗とは違います。何故か足が動かなくなりました。
何故こうまで足を止めさせるか・・・?
   
葉は1本1本が描かかれ、それも普通は葉先が細くなるはずなのに、逆に葉先が太くなっています。
発散しようとするエネルギーを逆に内に向かわせようとする、そこに生じる倍化したエネルギーが私の心に飛び込んだのです。心に残る絵になりました。書画しか表しえない表現かもしれません。

もう1枚は「洛外名所図屏風」、作者はわかりません。とにかく清水寺、洛北、洛西あたりの庶民の暮しや景観が細かく描かれていて、ガラス戸の外からはよく見えません。複製でも映像でもいいからゆっくり、じっくりその風俗を楽しめたら、と私の希望です。
立ちっぱなしで3時間、もう1時間で常設展に回ったら閉館5時のアナウンスが。大宰府天満宮と連動しているので、門前町は閉まりかけていました。健康的な町です。

いつ行っても門前町の通りもお土産屋さんも中国人が埋め尽くしています。日本語が恋しくなるくらいです。こうして日本に対する理解が深まるといいなと思っています。
中国人の買い物もスマホが大活躍。梅が枝餅の店で、ピッ、ピッ、ピッとスマホを入力すると日本語に変換され「中に何が入っていますか?」の文字が出てきました。店員さんがそれを見て「ああ、あんこです」。「何個いりますか?」に対し、商品の個数と金額を書いた表で指さしします。決済もスマホの数クリックで終了。日本人の買い物と同じスピード、というよりおつりが要らない分早いかもしれません。日本人の買い物の仕方の方が遅れているような・・・。

この九州国立博物館の建設に関しては、箱モノに対する賛否両論がかしましく話題になりました。しかしオープンしてみれば、主たる収蔵品も少ないのに、美術館運営は見事に人の心を惹き付けて毎回盛況です。
  
   
右手の山はガラスに映った山で、違和感なく繋がって見えます。設計者の自然を取り込んだ見事な意匠が心憎いばかりです。

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