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新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

休載していた伊集院静『ミチクサ先生』が再開!

2020年11月07日 | 本・新聞小説
伊集院静氏の突然の入院、手術で、日経連載中の『ミチクサ先生』が2月21日から急遽休載になりました。「休止」でなく「休載」という言葉に希望を繋いでいた11月6日に再開の記事が目に入りました。思わず「やったーぁ!」

伊集院さんの完全復活に乾杯です。コロナと相まって気の抜けない療養生活だったことでしょう。

ミチクサ先生は夏目漱石を中心に展開していきます。幕末から明治にかけての揺籃期の庶民生活や庶民文化が丁寧に書かれていました。後に明治を代表する文化人の卵たちの出会いと生き様から、新しい時代の息吹がむんむんと漂ってきました。とても新鮮でした。

伊集院さんの病に心を痛め、中断に泣いた人も多かったと思います。嬉しいニュースでした。
11日からの連載再開がとても楽しみです。
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宇江佐真理『髪結い伊三次捕物余話』文春文庫

2020年09月03日 | 本・新聞小説
今、凄い音を出して風が吹いています。台風9号。暴風雨圏の端っこですが風速が凄い。それでも少しずつ北の方に遠ざかるのが感じられます。日本列島は間断なく襲ってくる天災の通り道、いじめぬかれている感じがします。
台風の真夜中、ゴミ収集車の音がしています。ゴミを出したら吹き飛ぶと思って控えていましたが、きちんと定刻にきています。責任感の強さ、本当にご苦労様です。

♪♪♪☆☆♪♪☆☆♪♪☆☆♪♪♪
コロナ禍の不自由な生活には本は絶対に必要だろうと、37℃の猛暑の中、友人がどっさりの本を届けてくれました。
今度会うときにでもと言ったけど、近くの美容院に来たからと立ち寄ってくれたのです。外は今年最高という37℃で注意報が出るほどの猛暑でした。

面白かったからと届けられた、彼女の誠意と愛にコーティングされた本は11冊です。

私の知らない作家ですが、著作数が多くドラマにもなったようです。
1800年頃の江戸の時代物。一話ずつ読み切りになっていて、読み出したら面白くて止められないので睡眠不足になりそうです。
○○町、○○橋、○○寺と固有名詞が沢山出てくるので、ネットでその時代の古地図を探し出しました。16分割された白い地図をクリックすると、その部分の詳細な色付けされた地図が出てきます。こんな詳細な地図が江戸の世にあったことに驚きました。
プリントアウトしたA4地図6枚を、ちまちまとつなぎ合わせるのはなかなかの作業でした。
頭の中に江戸の町を行き交う町民の図ができて楽しさが倍・倍増です。

縮尺図も表示されてるので、距離も分かるし、出てきた町名にマーカーで印をつけていくと、登場人物の後ろからついていくようなリアル感が出ます。
登場するのは上層の武士でなく与力、同心で、主人公は髪結いでありながら、同心の下で小者として活躍する伊三次と妻・深川芸者お文、彼らを取り巻く江戸町民、それらの人情溢れる話です。
歴史小説でなく、時代小説は本屋では自分から手にすることはない分野でしたが、昨年からいわば「お仕着せ」の本にたくさん出会って、面白く楽しい読書に目覚めています。食わず嫌い・・・だったのです。
自粛の期間にずーっと聞いていた志ん朝の落語と共通するところも多く、心はすっかり江戸町民です。
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原田マハ『たゆたえども沈まず』幻冬舎文庫

2020年08月22日 | 本・新聞小説
この本を知ったのは花水木さんのブログです。ゴッホファンの私としては見逃すことができず、すぐ買い求めました。



読んですぐ感想を書くには余りにも辛いゴッホの人生、弟テオの人生を引きずって、なかなかその気が起こりませんでした。
生きている間にはたった一枚しか売れなかった絵。弟テオの援助を受けながら画家生活を送った37年の短く激しい人生を思うとき、報われなかった人生を思うとき、心をかきむしるような痛みと寂しさと苦しさに襲われました。

小説の舞台はほとんどパリ。美術商「グーピル商会」のテオと
日本美術の販売を行う林忠正の会社の交流、社会状況を軸にしてゴッホとの関わりが書かれています。
テオの献身的援助が画家ゴッホを作り上げました。どうにかして兄ゴッホを盛り立てていこうとするテオの熱意は、新しい芸術を後押ししていくという彼の人生を賭けたものでもありました。
美しい兄弟愛ですが、二人ともお互いにすれ違う感情と葛藤にさいなまれ、どうしようもない孤独感に陥ります。
テオはゴッホとは正反対の様に見えて、実は近い気質の持ち主でガラスのように繊細でした。
今までそんな二人の心底を深く覗き込むイメージが湧かなかったのですが、その部分にストンと腑に落ち納得できました。

当時のブルジョワジーが求めるのは光あふれる絵、幸福感のある絵、孤独を感じさせない絵でした。暗い絵を描いていたオランダから、パリのテオのもとに移ったゴッホの色彩は劇的に明るくなりましたが、それでもパリに受け入れられなかったゴッホは、日本の絵のような清澄さを求めてアルルに移ります。パリでテオと同居したのが2年でした。

テオが陽光きらめく黄色の世界を描くゴッホに安心したのもつかの間、芸術の理想郷は失敗に終わり、精神の錯乱で自分の体を傷つけてしまいます。アルルの生活が1年。
それからはサン・レミの療養院で絵だけは驚くほどのスピードで描き続けました。この療養院で1年。
小康を得て再びパリに戻ると、穏やかになったゴッホはテオの家族に好意をもって迎えられ、その近くで療養することになりすべてがうまくいったかに見えました。そんなゴッホが命を絶ったのは2か月後でした。
テオには愛する家族、守るべき家族、幸せな家庭を作る希望もあります。イラついたテオがわがままなゴッホに投げた心ないひと言が繊細なゴッホを苦しめました。
テオを苦しめる自分がいない方がテオは幸せになれるのだと、描きかけの「草の根」をイーゼルに残したままピストルを自分に向けたのです。

テオは自分の心ないひと言がゴッホを死に追いやったと苦しみ、繊細なテオは持病とうつ病を併発し精神病院で半年後に命を落としました。
数えきれないほどの絵は、すべてテオの未亡人が引き取りました。その一点一点には題名と製作年、製作場所のラベルが張られていました。その作業はすべてテオがやりきったものでした。

この本の表紙は「星月夜」です。うねる糸杉、のたうちまわる夜空に不安が広がります。しかし輝く星と家々から洩れる灯りに救われる気がします。ゴッホはこんな灯りの漏れくる暖かい家庭を夢見ていたのではと思いました。

実在の「林忠正」のパリでの活動を具体的に知ることができました。日本の浮世絵や工芸品をヨーロッパに知らしめた人物という知識しかなかったので、ヨーロッパのジャポニスムにどういう風に関わったかがよくわかりました。

ゴッホのパリ生活を知る資料は少ないとのことで、そこは作家のイメージが大きく膨らむ余地があったことは否めませんが、書簡や参考文献がよく調べられているのに作者の並々ならぬ努力を感じます。
衝撃的な「耳切事件」は、耳を全部切り落とした様なイメージを持っていましたが、「小指大」程の大きさだった様で、そこは少しほっとしました。


これは「アルルのゴッホの寝室」のメモ帳です。陽光明るいアルルに来て、ゴッホの一番幸せなときだったと思います。短くてもこんな清んだ気持ちの時間も持てたのだといとおしくて、古くなったメモ帳でも捨てられません。

7~8年前、ゴッホの療養院での大作2作品が奇跡的に集められていることを知りました。「アルルの療養院の庭」「アルルの療養院の病棟」です。門外不出なら行くしかないとスイスのヴィンタートゥールまで飛びました。
うねる糸杉も、カラスもいない、むしろ静謐で穏やかな療養院の庭と病室の絵でした。精神状態も安定していたのでしょう。

同じコレクション室のルノワール「眠る浴女」。孫のジャンも絶賛の、何の不安もなく夢見るように眠る初々しい若き女性を描いた絵です。何の苦悩も見られません。「絵は楽しく美しく愛らしくなければならない」というルノワールの幸せの描き方に、尚更にゴッホの報われなかった人生が切なく偲ばれました。

たゆたえども決して沈むことのなかった描くことへの信念。いつかはきっと自分の絵が分かってもらえる日が来る!それだけを胸に必死に『自分だけのかたちを、色を、表現を希求』したゴッホ。数十億円で落札されるオークションを見下ろしながら、今天国で幸せでしょうか・・・。
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渡辺俊男『凍土の約束』

2020年07月22日 | 本・新聞小説
ブログ「人生ブンダバー」さんの記事を読みながら涙した本が『凍土の約束』で、ぜひ読んでみたいと早速取り寄せました。

ドラマよりドラマティックで小説ではないかと思うほど、戦後50年を、そして世界を駆けめぐった人生の実録です。
著者は軍医として従軍しながら終戦を迎え、そのままソ連抑留。美しい文体で書かれた客観的な捕虜の生活はかえって身につまされます。
ラーゲリで出会ったルーマニア人捕虜は同じく医師。お互いに信頼を寄せ合うほどに交流が深まりますが、容赦なく引き離されることになりました。
より過酷なラーゲリに行かされることになったルーマニア人は、生きて戻れないことを覚悟し、著者に「もし生きて帰れることがあったら、祖国の婚約者に届けて欲しい」と故国にいる婚約者への指輪を託します。著者は「きっと届ける」と凍土での固い約束をします。
著者は3年間の抑留から日本へ帰国しますが、彼と交わした約束が果たせないままで、それがずっと心底に引っ掛かっていました。

著者は多才な人で挿し絵も描いています。


ここから後編へ。
戦後50年を経て、多くの友人の助けで、そのルーマニア人と劇的な再会を果たします。その細かいところは、上手にまとめられている「ブンダバー」さんのブログにリンクしますhttps://blog.goo.ne.jp/katsura1125/e/87e6c3c419e18929552143c16252f2cc

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「鶴瓶の家族に乾杯」と沈壽官氏と司馬遼太郎氏

2020年07月14日 | 本・新聞小説
13日の「家族に乾杯」は2020特別編。その最後の20分間に鹿児島県日置市で思いがけない人が登場して大感激でした。司馬遼太郎『故郷忘じがたく候』の主人公・沈壽官さんです。鶴瓶さんも壽官さんもお互いに感激して話が盛り上がりました。
壽官さんの柔らかい語り口、物腰、品格、さすがだと感じ入りました。2008年放送のこの番組が見られてよかった!
今なら「NHK+」の「エンタメ」で「鶴瓶の・・・」をクリックすると、72分間の放送が見られます。壽官さんとの場面は開始からから52分ごろからです。
二人の出会いから4年後の番組でこの繋がりが大きく広がっていく後日譚がありました。
川内市の武家屋敷を訪れたこの番組は私が見ていた放送です。ここで再度、壽官さんが絡む美しい人情の出会いがありました。番組をはなれても人の繋がり、心の繋がりが続いていくという鶴瓶さんのエンターテイメント性は全開です。

この夜ブログ解析を見たら、9時前後のアクセスのグラフがベタ塗り状態に。???。ページを見るとなんと『故郷忘じがたく候』でした。
この本は再読するほど心に残る内容だったので、自分と同じ興味、共感者がいるということにとても感激しました。
下記がその本について書いた過去のブログです。
自分の記録を読んでいたら、又この本が読みたくなりました。

※※※♪♪※※※♪♪※※※♪♪※※※
今日出かけるときに、マスクのフィルター入れにミント2枚を忍ばせました。時どきトンと叩くと爽やかな香りが立ちます。ほんとはマスクの外側は触らないようにと言われていますが・・・。




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須賀しのぶ著『革命前夜』 文春文庫

2020年07月12日 | 本・新聞小説
花水木さんのブログで紹介された本で、私は著者の名前もまったく知りませんでした。しかし説明文を数行読んだだけで私のアンテナはピッと受け止め、もう読むことを決めていました。

時は1989年、舞台は東ベルリン。これだけであのベルリンの壁が崩壊する場面が浮かびあがります。

主人公の日本人シュウジは敬愛するバッハが息づく東ドイツでひたすらピアノに向き合いたい、と夢と希望を持って留学したのです。しかしドレスデンでの音楽大学では優秀な友人を前に自分の音の響きを見失ないます。
それに、東ドイツという特異な政治体制の中でシュタージ(秘密警察)、IM(監視員)という見えない恐怖にさらされ、巻き込まれ、シュウジの周りの若者達も命がけで生きて、苦悩し、行動を起こす話です。
『この国の人間関係は二つしかない。密告するか、しないか―――』このギリギリのところで友情、恋愛、裏切りに翻弄されます。


音楽大学という場所柄、作曲家や曲名がふんだんに出てきます。ストーリーの場面に合わせた曲を選び、その音を豊かな感性ですくい上げ、それを繊細な文章に変換する能力の奥の深さに心を動かされます。この、音楽が聞こえてくる様な感じ・・・が陰鬱な東ドイツの暗い空気を和らげています。

ベルリンの壁崩壊に繋がる教会での集会、ピクニック、ショプロン・・・はテレビで報道として見ていましたが、それが市民の生活の中に具体的に詳しく描かれていて、壁崩壊にいたる前哨戦のことがよくわかりました。
  
ラストシーンのまとめ方も秀逸です。最後の3ページは今までのシュウジの苦悩を解き放つ場面です。
郵送されてきた「ピアノ・オルガンデュオ《革命前夜》ーー我が親愛なる戦友たちへ捧ぐ ラカトシュ・ヴェンツェル」としたためられた楽譜はヴェンツェルの手になるものでした。お互いに理解しあえなかった友からのこの文字に、シュウジはすべてを呑み込み、友の深い思いと本当の心を理解します。
そのときに「たったいま、ベルリンの壁が壊れたわ!」と隣人がドアの外で叫びます。
東ドイツに来てから10か月あまり、嵐のなかで立ち向かい、時には追い風に快く、ある時は身をかがめて嵐をやり過ごし、とそれでもしっかり地に足をつけて歩きました。シュウジは今、すべてから自由になったのです。
(写真の本の横にある色のついた破片は、落書きされたベルリンの壁の本物のかけらです)

この本は半分は音楽、半分は革命。これを上手に紡いで歴史と音楽の小説にしたところが作者の素晴らしい能力だと思います。
ドレスデンもベルリンも統一ドイツになってから訪れたところでもあり、街の地図を広げながら追体験しながら読み進めました。460ページの本ですが中だるみが全くありません。
この半年の中で一番読み応えのある、一番心に残る本でした。情報元の花水木さんに感謝します。

  ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
数年前に観た、やはりシュタージを描いたドイツ映画『善き人のためのソナタ』がとてもいい映画でした。[アカデミー賞外国映画賞受賞]
東ドイツの監視社会の実情が丁寧に描かれています。ここでも盗聴したピアノソナタに心を動かされた監視員が感動の動きをする話です。

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遠藤周作『男の一生』上・下巻

2020年04月19日 | 本・新聞小説
コロナ禍に会わなかったら、多分書棚から取り出すことはなかったであろう本です。30ページほど読み進むとぐいぐい引き込まれました。

上巻。時代は信長の桶狭間のころ。木曽川を拠り所に成長する地侍・前野将右衛門、土豪・蜂須賀小六が木下藤吉郎と出会い、その能力と人柄に惹かれて秀吉の部下になり、一族の住む地方を守ります。
秀吉も同じ目線で農民を見て、農民の生活を知る武将でした。同じ心意気で同じ方向を見ていた3人で、心暖まる展開です。

この本の資料のひとつになったが、伊勢湾台風で壊れた土蔵から出てきた古文書です。子孫の吉田氏が全5巻の『武功夜話』にまとめられたそうです。
遠藤氏は、歴史のトップに立つ人物にではなく、彼らを支えた武将の心と目を通してその時代を見つめており、人物相関図と歴史の流れがとてもつかみやすいのです。

下巻では、お市から茶々に至る女性の戦国の世の生きざまや利休の死に至る過程が分かりやすく書かれていました。利休の死にも納得できました。
何よりも秀吉の心変わりの過程で、信長同様の残虐な処罰を命じるところなど権力を持った者の危うさに身が縮みます。
将右衛門は利休やキリシタン大名やパードレとの交流の中で自分の心を見つめ、生き方を深く考えます。
しかし歴史の歯車は思わぬ方向に回り始め、律儀な将右衛門はそれを甘んじて受けます。そして関白・秀次の処罰に伴い、親子共に切腹に至りました。

下巻で心に残ったのは秀吉と利休の心が徐々に離れていく場面です。遠藤氏らしく、利休の心の襞が細かく描き出されています。

「麒麟が来る」にダブった場面を期待しましたが、光秀は出てきませんでした。それでも先週から佐々木蔵之介の秀吉が登場して、どんな秀吉像が描かれるのか楽しみです。

本のクリップタイプの栞に、シールがセットできる便利グッズが役に立ちます。


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信長と光秀••••『安土往還記』辻邦生

2020年04月07日 | 本・新聞小説
1.信長 2.秀吉 3.家康。小学生向けの偉人伝を読んだその頃に、いつの間にか好きな順位が決まっていました。3人を17文字で表した鳴かないホトトギスへの対処の仕方も小学生には分かりやすい例えでした。
その後、本でもドラマでもこの3人に出会う機会は沢山ありましたが、この順位は風化しつつもずっと残っていました。
以来、私には信長はずっと孤独だったのではないかという漠然とした思いが流れていました。

私のその思いを納得させてくれたのが『安土往還記』でした。著者辻邦生氏がフランスに留学したときに構想して、本になるまで10年をかけたということです。
文体の美しさからも歴史小説というより、外国人の目を通して信長の内面を深くえぐりとった文学作品です。

宣教師オルガンティーノと一緒に来日した船員、つまり一西洋人の視点で日本を見て、民衆を見て、政治を見て、信長を見た作品です。

自己の運命に挑戦してでも「事を成す」ことにすべてをかけている信長。ひたすら「理」を求める合理精神は日本では理解されず、だから信長は孤独でした。
フロイス、オルガンティーノ、ヴァリニャーノらは、「キリシタン布教というただその一事の為に危険な航海を冒して遠い異国へやって来ました。自分の恣意を捨てひたすら燃焼して生き抜くそのひたむきさに信長は心を打たれました。同じ孤独のなかに生き、それを限度まで持ちこたえようとする生き方」に、信長は同じものを感じ共感したのです。

信長の論理を理解できた明智光秀は、それ故、その限界まで自分を持ちこたえられず滅びたというのが著者の見方です。
信長と光秀に「外観の冷たさは事を成すため、理に従うことに徹しようとする人間の刻印だったのかもしれない」と共通するところをあげています。しかし冷徹な理知の光秀は反面、人間的な弱さに同情する人間愛も持ち合わせていました。
光秀は、信長の自分を見る眼は『憎悪でも怨恨でも軽蔑でもない。それは共感の眼なのだ。ひそかに深い共感をこめて、おれを高みへと駆り立てる眼なのだ。この眼がおれをみている限りおれはさらに孤独な虚空へのぼりつめねばならぬ。名人上手の孤絶した高みへと。しかしおれにはもはやこれ以上のぼりつめる力はない。ああ、おれは眠りたいのだ』
『さらに高い孤独の道を辿るように促す一つの眼を感じた。この眼が鋭く自分をみているうちは、自分は休むことはできないのを感じたのである』。光秀はその孤独の極限を支えきれない自分を感じ始めていました。
本能寺の変は謎として随分語られてきましたが、ここでやっとの私の疑問が解けたという感じです。

信長と宣教師たちの警戒心のない友情、ヨーロッパ人を驚かせたという安土城の全貌の描写が見事で目に見えるようです。
建物、障壁画のテーマや配置には信長の芸術性や知識がうかがえ、幻の安土城を再現するかのようにイメージが膨らみます。
活気溢れる安土の町並みや人の動きが優しい眼差しで美しい文体で描かれています。最初から最後まで研ぎ澄まされた辻氏の美しい文章は他の著書でも同じですが、私にはゆっくりしか読み進めません。

信長の孤独...。かなり前に大河ドラマで演じた反町隆史の信長がずっと心に残りました。庭に降りて虚空の一点を見つめる姿は、孤独さに覆われていて胸が張り裂けそうでした。あれが信長の姿だった。この本とぴったり一致して、問題が解けたような快感がありました。

「麒麟がくる」の明智光秀を見ていると、信長と光秀が似ていると思えそうな予感です。
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恩田陸「蜜蜂と遠雷」

2020年02月21日 | 本・新聞小説
先に見た同名の映画があまりにも素晴らしかったので、原作は読まないと決めていましたが、ボランティアの折友人から回ってきたので読むことにしましたやはり原作は素晴らしい!あっという間に読み終わりました。 
  
上下2巻読まないとストーリーは完結しないという意匠の表紙もなかなか工夫されています。

世界的に有名になった日本の国際ピアノコンクールに挑む4人の主人公が自分との過酷な闘いを軸に、ライバル達と友情をからませながら成長していく姿が描かれています。3度に及ぶ予選をクリアしたものだけが進むことができる本選。戦略的とも言える選曲を一年がかりで決めることもあるようです。下記は四人の第一次・二次・三次予選と本選に演奏する曲目で、きめ細かに書いてあり、まるでドキュメンタリーみたいです。三次まではリサイタル形式で進み、本選はオーケストラとのコンチェルトです。
  
映画で圧巻だったオリジナルの藤倉大作曲「春と修羅」はカデンツァを含めてYouTubeで視聴できるし、他の演奏曲もYouTubeで著名な演奏を聴きながら読めるので、ひと味違う贅沢な読書ができます。

ストーリーのみならず、曲や演奏の描写が緻密で文学的で、著者は音楽に相当造詣が深いのだと思いました。
解説によると、3年おきに行われる浜松国際ピアノコンクールを2006年を皮切りに4回も取材されたそうです。しかも1回のコンクールは2週間の長丁場。ただただひたすら演奏を聴かれたとか。恩田さんの戦いは、コンテスタント達の青春をかけた戦いと同じだったのです。
この内容は10年がかりの取材で書かれています。本になる前は7年間の雑誌の連載で、その間の出版社の経費は1000万円の赤字とか!それでも恩田さんは認められていたのですね。

この本を読みながら、なんか「ピアノの森」と似てると思いましたが、過酷なレッスンを重ねたり、英才教育を受けたり、生まれながらの絶対音感を身につけていたりと、ほんの一握りのピアニストになる、いや選別されるということはこういうことなんだと思いました。

原田マハさんにしろ恩田さんにしろ、芸術を取り上げた小説に出てくる人たちは「選ばれた階層」の人で結果的にエリート、背景がクリアで美しく、明日の糧に苦しむ様なところは出てきません。苦しみもなくさらっと読めるのはそんな背景を土台にしているからでしょうか。

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ネモフィラがなかなか咲きません。ただ一輪・・・・。
 

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伊集院静『ミチクサ先生』その⑤ 伊集院氏、くも膜下出血

2020年02月14日 | 本・新聞小説
伊集院静、くも膜下出血!先月半ば、このにニュースに「ええっ!」。執筆ばかりか多岐にわたる才能でテレビにもよく出演されていたのに。幸い手術は成功し、しばらくは療養されるということです。
連載小説「ミチクサ先生」はひとまず2月20日まで連載し、その後休載ということで、早く元気になって続きの執筆に入られることを望んでいます。
ということで、次は赤神諒「太陽の門」です。映画「カサブランカ」に着想を得て外国人が主人公。スペイン内戦の中、劣勢でも誇りを失わない市民が何を求めて戦っていたかに迫り、『日本人が謳歌してきた〈自由と民主主義〉のかけがえのない価値を、歴史を通じて見つめ直すささやかな試み』でもあると意欲的です。

赤神氏は日経小説大賞を受賞した新進気鋭の歴史小説家です。

  ★☆☆☆☆☆★☆☆☆☆☆★

『ミチクサ先生』その⑤  (120~151回)
子規は進むべき道を見据え帝大をやめて新聞『日本』の記者になり、従軍記者として清国に渡ります。そこで軍医の森鴎外に出会い意気投合しました。
大学院へ進んだ漱石もその後四国松山に英語教師の職を得ます。清国から帰国した子規は病状が進み入院しますが小康を得て、松山の漱石と同じ家で生活することになりました。「愚陀仏庵」と名付けた部屋には沢山の俳句好きの友達が集まってきます。それまでと一変した騒々しいまるで戦場みたいな生活ですが、集まってくる人たちのこれまで見たことのない人間の創作の無垢な姿が嫌ではなくむしろ受け入れていました。こうして『漱石と子規が二人して過ごした最初で最後の「愚陀仏庵」での52日間』が始まりました。
子規も漱石も理想を求めてひたすら坂を上る強い意志は、この時代特有のものでしょうか。しだいに病状が悪化していく子規を漱石は胸を詰まらせながら見守ります。子規と漱石の心と心を交わす静かな友情、男の友情はそれだけで小説になります。
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私の『銀の匙』

2020年01月20日 | 本・新聞小説
叔母が亡くなったという知らせが入りました。91歳。
母が教師をしていたので、昼間は父の妹である叔母が私を育ててくれました。女学校を卒業して嫁ぐ迄だから4~5年間だったでしょうか。
細かい記憶はないのですが、いつも笑顔で優しかった叔母。訃報を聞いたときにその温もりがよみがえり涙が溢れました。
18歳で家を離れてからは夏、冬、春休みに帰省すると必ず会いに来てくれましたが、学生生活が中心の、私の心がだんだん離れていくことに微かな胸の痛みを感じていました。

中学の国語の教科書で知った中勘助『銀の匙』は、ずっと私の心に居座る本になっていました。作者が叔母の背中にお負われて見た世界を子供の純粋な心で描いた美しい小説です。

本の「叔母と甥」の関係を「叔母と姪」に置き換えて、私の幼児期の思い出にダブらせたのかもしれません。時折読み返してはその郷愁に浸りました。

叔母の7人の孫と17人のひ孫が祭壇の前でお別れの言葉を述べました。叔母の幸せだった人生をしみじみと感じるシーンでした。
祭壇の微笑んだ遺影に感謝と、そして疎遠になっていたことを詫び、懺悔の気持ちを語りかけ合掌。葬儀に出席できてほんとによかったと思います。
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伊集院静『ミチクサ先生』その④

2020年01月12日 | 本・新聞小説
渋皮煮の渋皮を取り除いて潰し、ちょっとだけ安納芋と蜂蜜を混ぜて茶巾絞りにしてお茶タイムです。


新聞連載『ミチクサ先生』も佳境に入ってきました。(86~120回)


一高の予科では、まさに坂上の雲を仰いで地方から出てきた意気高く熱き血潮の若者達のたくさんの出会いがありました。 
ある日金之助(漱石)はずっと欲しかった本『ハムレット』原語版を、ボロ下宿で共同生活を送っていた中村是公(後に満鉄総裁、東京市長)からもらいます。是公は宿敵・高等商業学校とのボート大会に勝利した褒美として、自分のためでなく漱石のためにシェークスピアの本を所望したのです。
本の虫と呼ばれた金之助の書棚は生きてきた道標。小学時代の学業優秀の褒美の『輿地誌略』、兄・大助が取り寄せてやった『ナショナル・リーダーズ』、漢詩・漢文にのめり込んだ時の陶淵明、荻生徂徠などがズラリ。
身だしなみは大助から教えられたもので、一度もだらしない格好をしたことがないと言われるほどダンディーな一高の学生でした。

本科に進学した金之助は英文学を、子規と米山保三郎は哲学を専攻します。金之助の勉学振りは校内でも有名になるほど。
英語のスピーチ大会で、兄の死に対して悲しみの縁に佇む自分を見つめ、なぜ悲しむのか、どうすればこの苦悩から解放されるかと金之助のこころを詩的に告白した文章は、後の漱石の小説世界を予感させるものでした。原稿を読むのではなく諳じたスピーチは教授陣からも大好評でした。

子規といえば、“常磐会ボール会„の主将として、野球の試合や練習に明け暮れていました。
念願の文集『七草集』にも力を注いでいましたが、完成と同じくして喀血してしまいます。医者は10日ほどの軽症だが養生に専一するように伝えました。そんな病床の子規へ金之助は長い手紙を書きます。『・・・小さい思いなら君の母上のために、大きい思いなら国家のために、自分を大切にしなきゃイケナイヨ。・・・to live is the sole end of man!』と、生きることこそ人間の唯一の目的と励まします。子規は早い快復で皆を喜ばせました。

金之助は子規の『七草集』の感想を漢詩で書き、「漱石」の名前で手紙で送ります。
子規も松山時代から自分の号を十数個準備しており、その中に頑固さ、愚かさの意を持つ「漱石」も含まれていたので、二人の知的な偶然性に喜びます。「夏目君は本物の“畏友”じゃ」と広くて深い知識に心底敬意を持っていました。

漱石は子規の『七草集』に衝撃を受け、英文学の向こうに封印していた漢詩・漢文の世界をよみがえらせました。夏休みの房総の旅を漢詩にまとめた『木屑録』を松山に帰省していた子規に送ります。これを見た子規の『木屑録』への賛辞も尋常ではありませんでした。
『木屑録』は作家・夏目漱石として次々に発表する小説の気配と思想が十分に読み取れるものでした。
一高本科の子規は松山の若者にとっては憧れの的。後の河東碧梧桐、高浜虚子が集まり、子規の夏の帰省は賑やかなものでした。

金之助と子規がやり取りした手紙の長さは4尺(1.2m)や7尺(2.1m)と長く、二人とも書くスピードも速く、それでいてほとんど書き直しがないというもの。後に『草枕』を5日間で、『坊っちゃん』を10日間で書き上げたという噂もあります。
今、二人には心に秘めた片想いの女性がいてその行く末が気になるところです。
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成田山久留米分院 「救世慈母大観音像」工事の物語

2019年12月13日 | 本・新聞小説
JR九州上り線久留米駅の手前右手に遠く、路線バスなら近くに天を突くほどの真っ白い巨大な観音像を目にします。千葉成田山新勝寺直系の、成田山久留米分院の「救世慈母大観音像」です。高さ62m、1982年建立。写真はネットよりお借りしました。 
     
この観音像50mの肩の上に、高さ12mの巨大な「お顔」を乗せる難事業を清水建設から請け負った断熱会社の物語です。
タイトルは、箱嶌八郎「領収書」副題が〈続自分史・苦闘編〉。第7期『九州文学』第41号に掲載されたものです。
著者は古文書サークルの、同じテーブルの「仲間」で、幕末期の黒田藩の下級藩士を題材にした『ほくろ』が九州文学大賞に選ばれました。

現実に早大政経出身の著者は商社に勤めていましたが、転職に大きな夢を描き友人と会社を立ち上げます。
小説ではポリウレタン施工会社・三工ダンネツです。友人・神崎が社長に、主人公・鳥山は専務になります。
観音様の仕事がなぜ断熱会社なのか?
当時冷蔵車が普及してきて、ウレタンフォームを使った断熱材はトラックや漁船に使われていました。これを応用して型枠を作ろうというものです。
地上で作られた実仏大の観音像頭部(高12m×幅10m)、このマスターモデルに硬質ウレタンフォームを吹き付けて凹型の型どりをします。原型に忠実に滑らかさを出し、上空50mまで引き上げるための軽量化の条件をこのウレタンフォームは兼ね備えていたのです。
著者が携わった実際の話ゆえ、ゼネコンと下請け、経営者と組合、歩合制の改革、技術集団の技の凄さ、時代背景、科学と背中合わせの占いの精神世界、工事現場のリアルさで息つく暇もないほどの原稿用紙420枚の小説です。
 
依頼された型枠取りは、頭部を横に三分割して行われました。更に頭部の上に乗せる1.5mの「懸け仏」の型枠も作ります。滑らかな顔に仕上げるのには型枠も滑らかに。失敗は許されません。
この間に組合員の残業拒否や退職に振り回され、他社の従業員を借りたり、精神的に切羽詰まって山奥の占い師のもとに走ったりします。
この凹型を高さ50mまで運び上げて、型枠材をバックアップさせて組み立て、内側に木材を組み60cmの空間を作り、そこにコンクリートを流し込んで固めるのです。空中での作業にはハラハラドキドキ。『ひやひやもんの』難工事でした。

現実の観音様のお顔は、空中で部品が3段に組み合わされているとはとても思えない様な、滑らかな優しい美しいお顔です。
作業現場の内容が理解しやすいのは著者の描写力だと思います。私のような素人にもよく分かるし、当時の日本の上昇エネルギーを感じました。昭和57年という身近な時代背景は親近感が持てます。

空中作業は順調にいったものの、最後にコンクリートから型枠が外れないという苦境に立たされます。その時助け船を出したのが得意先の女社長。かねてから鳥山に愁波を送っている男勝りのやり手経営者です。
「グリスを流し込んでは?」と言うアドバイスが大きな効力を発揮し無事切り抜けることができました。
この難工事が評価されて清水建設は「技術賞」を獲得、下請け会社の凹型とマスターモデルを作成した芸術家先生の像は壊され何も残りません。プロセスよりも大空に映える観音様だけが評価されるのです。
清水建設の久留米分院建て替え工事の総額は30億円。ダンネツ会社の請け負い費は550万円。信じられないような格差にも鳥山は鬱屈とした思いを持ちます。

ヒントをくれた女社長に大きな借りを作った鳥山と会社は、神崎社長の意も含めて、女社長と山あいの温泉宿に宿泊することになります。勿論領収書は神崎社長も公認の会社持ち。この事が後に苦い結果をもたらすとは思ってもいませんでした。

丁度、親会社を経営する神崎の父親が亡くなると、その後継者として親会社の社長に昇格し、ダンネツ会社の新社長には妻が横滑りで決定しました。以前から社長の妻とは反りが合わず、鳥山の知らないところでこの話は進められていたのです。信頼していた工場長にも裏切られました。

鳥山は前社長・神崎から退職を勧告されます。しかも退職金は無し!新社長は領収書をちらつかせ「私的な旅費を会社のお金で支払ったのは横領に当たり、その者には退職金を支払う義務はない」と告げられたのでした。神崎も暗黙の了解をしていたあの温泉宿の「領収書」です。
工事の難題をひとつずつ解決し、滑らかで美しい観音像を作り上げた難工事完了の暁に待っていたもの、それは得意先の女社長との一夜の宿代の「領収書」という、苦い落とし穴でした。

結局は、ここで鳥山が所有していた会社の土地の一部を売り払うことで4000万円の売却代金が入ります。
もともと安く買った土地は、何十倍にも地価が膨らんでいたのです。計られたと苦笑しながらも、さばさばと辞めていく鳥山には悲惨さありません。それを元手に、もう次の新しい仕事を考えていました。
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『あきない世傳 金と銀』高田郁

2019年12月04日 | 本・新聞小説
安納芋で「芋羊羹」を作りました。ほんのひとつまみの塩を入れ忘れたので、代わりに桜の塩漬けをちょっと乗せました。



友人から高田郁さんの本が回ってきました。1・2・3巻は読んでいたのでその続き4・5・6巻の時代小説です。武家社会とは違う庶民の生き方、市井の生活が丁寧に分りやすく書かれています。NHK「みをつくし料理帖」の原作も高田郁さんです。



江戸中期、学者の父とよき理解者である兄をなくした主人公・幸は9歳で大阪天満の呉服商「五十鈴屋」に奉公に出されます。
「一生鍋の底を磨いて暮らす」女衆(おなごし)でありながら、徐々にその才能を番頭に見いだされます。
学者の父からは「商は詐なり」と教えられていた幸ですが、次第に商いに惹かれていきます。

そして奉公人から五十鈴屋の店主の妻の座に。結婚、死別、再婚、離婚、再婚、死別と同じ五十鈴屋の家族の中で、あり得ないことを有りうることのように自然に繰り返しながら、危機に陥った経営を建て直し・・・と幸・不幸を繰り返しながらの、言わば立身出世伝です。
一つ一つの事象、商法、世の中の経済状況をなるほどと納得させ、共感させ、ジグザグしながら右肩上がりに上っていく義理人情が心地よいです。

歴史小説ではないのですが、著者は庶民の衣食住を丹念に調べていて、大阪商人の家庭、老舗の仕組み、商人の組織と流通、着物の歴史がよくわかります。
たびたびの危機を乗り越え、大阪を本店にして江戸進出を果たし、人や商習慣の違いを乗り越えながら、呉服が絹から木綿へと流通が変わろうとしているところで力量発揮、そこで終わります。まだまだ7・8巻へと続きます。
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呉服商仲間の決まりは厳しかったようです。商品を客の元へ持参して売る「屋敷売り」、つまり外商。注文を受けて客の元に届ける「見世物商い」。この二つは掛け売りで、貸し倒れのリスクもありました。
「店前(たなさき)現金売り」もあります。
この頃は反物だけを買い、その後は個々人に合った仕立てが普通。絹物だけを扱う「呉服屋」、綿は繊維が太いので「太物商」とは区別されます。
絹が重宝されていますが、合理的な綿が勢いを持ってきます。この頃の帯は前に結び、それが後ろ結びに変わるところです。

この辺りの仕組みにヒントを得れば、商習慣を破って新しい需要を考えた商いの発展があり、これが緻密なストーリーに繋がっています。

丁稚→手→️番頭と変わっていくごとに、名前も〇吉、〇七、〇助と、吉→️七→️助と規則的に変わっていきます。〇には名前が1文字入り、ここで他人と区別されます。これは私には大きな発見でした。

丁稚の間はおよそ10年。住み込みで無給、お仕着せを与えられます。
手代になってやっと接客、商いができ給料ももらいます。
番頭は経営や家政も任され、暖簾分けもあります。
とにかく肩の凝らないスラスラ読める楽しい読み物でした。

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伊集院静『ミチクサ先生』その③

2019年11月29日 | 本・新聞小説

2m以上もある皇帝ダリアは、茎の先端にびっしり蕾をつけるので頭が重たそう!花に気づかない人もいます。次々に開花して花は12月終わりまで咲き続けます。

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さて「ミチクサ先生」は78回を迎えどんどん面白くなってきました。
明治の新しい世の中は、『十年ひと昔というが、日本の歴史の中で、これほど目に見えて、街、市の風景、人々の姿が変わったのは初めてだった』というほどに目まぐるしく変わりました。
そのところを作者は市民の目で分かりやすく書いているので、政治史が先行しがちな明治の初期がとても身近に感じられます。明治の市井の生活、苦労のなかにもイキイキした息づかいが見えます。
政府の最重要課題、不平等条約の改正を念頭にキリスト教禁止の高札を下ろしたこと、太陰暦を採用したこととそれによる市民の混乱ぶりがあります。
日本でのキリスト教徒の弾圧は海外では野蛮人と非難され、また国際的な交渉の場では元号・陰暦では話が進まないという理由がありました。

武家社会が崩壊し生活に困窮した士族の反乱は西南の役に発展し、圧倒的な政府軍の勝利は軍備拡張と富国強兵の名実を与えてしまいました。

その間にさまざまな土地で、後の日本を代表する優秀な子供たちはきっちりと成長していました。

正岡子規。夏目漱石と同じ1867年、松山藩士の家に生まれた子規は6歳で父を亡くし、漢学者の祖父・大原観山から漢学を学び、祐筆だった叔父から書を習うという英才教育を受けます。松山中学に入学するも東京への憧れは絶ちがたく、中退して上京すると、持ち前の能力で直ぐ予備門に合格します。予備門は東京大学に入るための修業校なのです。旧藩主・久松家の給付生として奨学金を得て憧れの学生生活を始めました。
『皆が子規という若者の人柄に惚れ、何かにつけて子規のもとに集まった』と言われるほどの人物だったようです。

森鴎外。津和野藩の典医の家に生まれた鴎外は、6歳で論語・孟子を、7歳で四書を、8歳でオランダ語を学び『15歳以上の才能』と周囲を驚かせます。
西洋医学の重要性を考えた父は、10歳の鴎外を連れて上京し、鴎外は医学校本科に進みました。

夏目漱石。この小説の主人公・漱石は塩原家の養子になりますが、養父母不仲の冷たい空気の中で、蔵の中で掛け軸を見る密かな楽しみを見つけます。この経験は後の漱石の執筆に影響を与えます。
教育に熱心な実家の兄・大介はいち早く漱石の才能を見抜いて、学問の重要性を説きアドバイスしサポートしていきます。
漱石は20歳になる以前にさまざまな学校に入り「ミチクサ」しますが、これで色々な能力がついていきました。「夏目は英語ができる」と噂になるほどの力をつけて予備門の試験を一番で合格したのです。

優秀な若者が集まった予備門ではたくさんの出会いがありました。
漱石と子規の出会いは予備門の中です。漱石の寄席通いは実家の家風として子供の頃から。これが後の文学に大いに影響を与えました。
子規も、上方文化がいち早く入ってくる松山の風土でいろんなことに好奇心と興味を持ち、寄席にも馴染んでいました。漱石と寄席繋がりので出合いです。
子規の雑記帳には『夏目金之助君、秀才の人なり、その上、こころねやさしく、余のことを常に思ってくれる人である。余にとって金之助くんは、畏友なり』と記されています。お互いに相手の才能に敬意を払いながら、人間的にも評価していました。
子規はこの頃、日本に入ってきた野球に熱中しチームを作り毎日のようにグラウンドに出ていました。
予備門では同郷の親友秋山真之もいましたが、彼は後に経済事情で学問を断念し海軍兵学校へ入ります。

もうひとつの出合いは、漱石をして天下の秀才と言わしめた金沢出身の米山保三郎です。
漱石が建築科に進もうとしていたとき、米山は「君が言うような美的建築は今の我が国の技術では不可能だ。まったくもって無駄だ。それより文学をやりたまえ。文学なら何百年後、何千年後にも伝えられる大作もできる。それが新しい国家のためというものだ」という言葉に納得し深く感じるところがあり英文学に進むことになります。もし彼と出会わなかったら日本の文学界はかなり違っていたかも知れません。
子規は哲学科の米山の才能に恐れをなして、自分には無理だと哲学科に進むことを止めたというほどです。

今日から、明治論壇の雄・陸羯南の登場です。津軽の貧乏藩士の子で熱血漢。子規の叔父加藤恒忠(拓川)が羯南と親友の間柄で、子規の東京での後見人を頼んでいたのです。
やはり藩士の子弟は能力と横の繋がりに恵まれていた、根っからの庶民とは違うのだと実感しました。
連載が一年続くとして、まだまだ盛り上がってきそうです。「明治は遠くなりにけり」をぐいっと引っ張ってきた伊集院さん、分かりやすいストーリーを毎朝楽しみにしています。
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