人生ブンダバー

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渡辺俊男『凍土の約束』  天満敦子「望郷のバラード」

2020-07-18 05:00:00 | 読書

7月8日に、シベリア抑留をテーマにした、清水潔『鉄路の果てに』
(マガジンハウス)を取り上げた(→こちら)。

私の父(大正7[1918]年生まれ)もシベリア抑留経験者であり、
いささか興味深く読んだ。

数日後、妹からやや長い手紙とともに、渡辺俊男『凍土の約束』と
いう本が送られてきた。
手紙には大要次のようなことが書かれていた。

 大学時代、保健体育の教員免状を取得するために、生理学の授業を受けました。
 その先生のお一人が渡辺俊男先生でした。

 それから何年も経ち、NHKテレビを視ていると、渡辺先生が映っていました。
 ご専門とは関係ない、シベリア抑留のドキュメンタリー番組を食い入るように
 視ました。

 その後またしばらく経って、同封の『凍土の約束』(祥伝社)を書店で見つけ
 ました。巻末にあった「100字書評」を祥伝社に送ろうと思いましたが、いろ
 いろな想い、感情が頭の中をグルグルと回って、まとめられませんでした。


本書の著者渡辺俊男先生は、本書によれば、
「大正3(1914)年、新潟県生まれ。東京慈恵医科大学卒業。医学
博士。戦時中は軍医として応召し、中国戦線に従軍。戦後ソ連軍の
捕虜としてラーゲリに収容され、2年あまりを過ごす。
その間に知り合ったルーマニア人捕虜との交流が、本書の基となる。
帰国後、お茶の水女子大学、横浜国立大学にて生理学を担当」。


あらためて、著者の足跡を追うと・・・・・・
北朝鮮で終戦を迎え、ソ連軍の捕虜となる。北朝鮮から船に乗り、
着いた港はウラジオストク。

そこから延々とシベリア鉄道に乗り、その後は三日三晩の雪中行軍。
送られた所はウラル山脈も越えたエラブカという所だった。

極寒での苦しい捕虜生活、強制労働の中で、ドイツ語を話すルーマ
ニア人捕虜アールヒップさんと知り合う。
その後、アールヒップさんにはさらに奥地に移動命令が出る。

そこで、アールヒップさんが隠し持っていた婚約者あての指輪を預
かることに。しかし、その指輪を「うっかり」失くしてしまう。

1947(S22)年12月、渡辺さんはようやく日本へ帰還できた。

時は流れ、1990(H2)年、突如、ルーマニアのアールヒップさん
から手紙が来る。
しかし、その頃は、ルーマニア革命の混乱で、ルーマニア大使館も
閉鎖しており、連絡は取れずじまいだった。

それから10年、自宅から手紙を探し出し、ルーマニア大使館へ。
親身になったルーマニア大使館員アンカーさんがアールヒップさん
の居場所を探し当ててくれた。

2002(H14)年8月、88歳となった渡辺さんはブカレストへ。
アールヒップさんは病院に入院していた。
「ああ、君、生きていたのだね。生きていてくれてほんとうによか
った。会いたかったよ」
一生懸命勉強したルーマニア語も忘れ、日本語で話しかけた。

看病する奥さんに、
「申し訳ありません。大切な指輪を失くしてしまいました」
と言うと、
「とんでもありません。あなたは指輪より大切なものを持ってきて
くださいました」
再会を約束して、帰国。

帰国後数カ月して、アールヒップさんの訃報が届く。
ようやく2年後に墓参りに行くが、その直前、奥さんも急死してい
た。

二人のお墓参りの時に、渡辺さんは、元の婚約者が、戦後、別の男
性と結婚していたことを知る。
アールヒップさんの奥さんは、すべて事情を知っていたうえで、対
応してくれていたのだった(涙々)。



過酷なシベリア抑留の<実態>が、難しくない表現、抑えた筆致
で書かれている。90歳近い渡辺さんの文章力は驚異的だ。

抑留された日本人は、助け合い、励まし合いながら生きる。
渡辺さんは、シベリアで極力目立たないように行動する(--そう
いえば、私の父も抑留中は目立たないように大人しくしていたと言
っていた)。

1947(S22)年頃からラーゲリ内で民主主義教育(=共産主義教育)
が盛んになる。「インターナショナル」を歌えないと帰国できない
らしいというウワサに、みんな「インターナショナル」の練習をす
る(--このあたりは日本人らしい?)。

日本人は、どんな逆境でも、みんなで「知恵」を絞り、助け合って
生きていくものなのかもしれない。



渡辺俊男『凍土の約束』(祥伝社、2005/5刊)★★★★★



CD:天満敦子「望郷のバラード」
ルーマニアがらみの話で、本書p172でも紹介されている、C.ポルム
ベスク作曲「望郷のバラード」。
天満敦子のこせこせしない演奏がいい。悲しみの中にも「救い」が
ある。


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2 コメント

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Unknown (tkgmzt2902)
2020-07-18 12:16:53
ブログを読んだだけでも胸がつまりました。シベリア抑留はいつまでたっても悲しさしか出てきません。
もっと若い世代 も記憶しておくべき歴史ですよね。読んでみたいと思います。

天満敦子さんをモデルにしたという高樹のぶ子『百年の預言』にも、微かな記憶ですが「望郷のバラード」がでていました。
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Unknown (katsura1125)
2020-07-18 12:39:37
tkgmzt2902さま、早速のコメントありがとうございました。

戦争が終わっても、ルーマニアではアールヒップさんの消息、生死すら分かりませんでした。
不安と絶望にあった婚約者は、彼の友人に何かと相談していました。友人は親身になってくれ、シベリアの情報収集もしてくれましたが、何の手掛かりも得られません。結論は彼の死でした。
絶望の彼女が、親身になってくれた彼の友人と結婚したのも無理からぬことだったでしょう。
しかし、やっとの思いで帰国したアールヒップさんには、あまりにつらい現実でした。婚約者は泣きながら「あの人とは別れます」と訴えましたが、アールヒップさんは子どもまでいる二人の仲を裂くに忍び難く、一人悲しみに耐え、何年かして心優しい女性と結婚したのでした。

日本でも同じような悲劇があったかもしれません。

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