未唯への手紙
未唯への手紙
エヴァンゲリオンのフィギャーがいっぱい
未唯。この最近は仕事関係の話が多いので、少しだけ、私の中のエヴァンゲリオンについて述べます。
現在はエヴァンゲリオン3のフィギャーがコンビニで売られています。1個420円です。今回は6種類です。それを1個ダブっただけで、集めることができました。シリーズ1は肝心のミサトが出なくて、同じものが三つも重なってしまって、10回以上買うことになりました。未だにミサトを欲しがっています。シリーズ2は最初に買った2個ともミサトで、超ラッキーです。
92年からメモっている雑記帳で「エヴァンゲリオン」を検索したら、雑記帳#147「エヴァンゲリオンのエピソードガイド」97.3.15から記述が始まっています。95年に放送開始ですから、2年後ぐらいから本格化したみたいです。記述は雑記帳#429までの32冊に渡っています。
その雑記帳をくくっていたら、東富士のNAKさんとのメールの中にも出てきました。全てのメールが残っています。以下はその記述です。
私「はっきり言って、なにか冴えない状態が続いています。自分の中に方向が向いています。外にはあまり向いていません。だから、『複雑性』とか『エヴァンゲリオン』とか物事を分析する方にいっています。」
NAK「平松さん、しっかりはまっているじゃないですか!」というレスが書かれていました。10年前はメールでおしゃべりする相手がいたんですね。
新世紀「エヴァンゲリオン」で知らない人とも会話したし、千葉の販売店のTUTさんとも、エヴァンゲリオンが縁で話すようになりました。
先ほどのNAKさんとのメールにもあったように、エヴァンゲリオンの中に「複雑性」を見ていました。その当時のメモには「日常と非日常との関係」です。そのころの記述です
「あれは日常の中に非日常があり、非日常の中に日常があるという人間の持っている二面性、トータル面を描いていました。戦争しながら、UCC缶コーヒーを買う。自分の中の問題と世界の問題(戦闘中)のどちらが大きいかというと、明確に自分の中の問題です。非日常だからといって、自分のなかの問題にふたをしない。そのために、戦闘に出かけないこともある」
それと綾波、アスカ、ミサトの世界です。ミサトに憧れを抱いていました。今はただ、フィギャーで、一度に2個という中途半端な「大人買い」を繰り返しています。
現在はエヴァンゲリオン3のフィギャーがコンビニで売られています。1個420円です。今回は6種類です。それを1個ダブっただけで、集めることができました。シリーズ1は肝心のミサトが出なくて、同じものが三つも重なってしまって、10回以上買うことになりました。未だにミサトを欲しがっています。シリーズ2は最初に買った2個ともミサトで、超ラッキーです。
92年からメモっている雑記帳で「エヴァンゲリオン」を検索したら、雑記帳#147「エヴァンゲリオンのエピソードガイド」97.3.15から記述が始まっています。95年に放送開始ですから、2年後ぐらいから本格化したみたいです。記述は雑記帳#429までの32冊に渡っています。
その雑記帳をくくっていたら、東富士のNAKさんとのメールの中にも出てきました。全てのメールが残っています。以下はその記述です。
私「はっきり言って、なにか冴えない状態が続いています。自分の中に方向が向いています。外にはあまり向いていません。だから、『複雑性』とか『エヴァンゲリオン』とか物事を分析する方にいっています。」
NAK「平松さん、しっかりはまっているじゃないですか!」というレスが書かれていました。10年前はメールでおしゃべりする相手がいたんですね。
新世紀「エヴァンゲリオン」で知らない人とも会話したし、千葉の販売店のTUTさんとも、エヴァンゲリオンが縁で話すようになりました。
先ほどのNAKさんとのメールにもあったように、エヴァンゲリオンの中に「複雑性」を見ていました。その当時のメモには「日常と非日常との関係」です。そのころの記述です
「あれは日常の中に非日常があり、非日常の中に日常があるという人間の持っている二面性、トータル面を描いていました。戦争しながら、UCC缶コーヒーを買う。自分の中の問題と世界の問題(戦闘中)のどちらが大きいかというと、明確に自分の中の問題です。非日常だからといって、自分のなかの問題にふたをしない。そのために、戦闘に出かけないこともある」
それと綾波、アスカ、ミサトの世界です。ミサトに憧れを抱いていました。今はただ、フィギャーで、一度に2個という中途半端な「大人買い」を繰り返しています。
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