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小集団化のこころ。

未唯へ。子どものうち、あなただけが裾野生まれです。あなたが生まれた東富士での仕事は楽しかった。一人1テーマで、自分のミッションを果たすことに専念していた。そこでは、管理することでお金をもらっている人はいなかった。専門家がプロジェクトごとに組めばよかった。そのかわりに、成果が出ないと、そのプロジェクトは中止で、次のテーマを探さないといけない、厳しさも持っていました。

そのフラット制を、この会社は止めて、メーカーの徒弟制である「小集団化」に人事主導で変えようとしています。

18年前に始まったフラットで、問題解決型からビジョン創出型へ転換してきました。そして職場の一人ひとりが、プロフェッショナルとしての誇りとスキルを備えていきました。フラット化は、確かに大きな成果を生んだが、「人が人を育てる文化」を忘れたので、先輩から後輩への手渡しの文化に戻すということです。

何と単純な論理なのでしょう! あまりにも、メーカーという観点からしか見ていません。その分、懐古主義の人には受け入れやすいものです。兵站が延び切っているから、元に戻ろうという人にはわかりやすいです。

彼らのイメージは、親方がすぐ近くでじぶんの背中を見せながら、若いヤツに倫理を説いていく。ときには叱ったり、ときには一緒に喜び合って、家族になろう、というものです。共依存した家族関係では持ちこたえることはできません。

技術開発の部署では親方はいません。個々の技術者は、日本有数でないといけません。ジャンルがどんどん拡大します。新しい技術だけが有効です。

その技術者の目で見た、マーケティング部門はもたれあいになっています。フラット制のベースとなるプロ感覚がありません。ミッションではなく、「お仕事」になっています。お客様とつながりを持っていかないといけないときに、従来型の親方方式で乗り切れるわけがありません。

フラット制にしたが、ついてこれない連中、ミッションにしたがって、知恵を出すことができない連中の待遇に苦慮して、中間層を作り、仕事をしている振りをさせようというものです。

では、私が考えるフラット制を超えるものは何かというと、夢を持った人を中心とした「小集団」の有機的な結合です。その中は理数系の発想で結びつきます。フィンランドモデルです。それでお客様を取り囲むのです。
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